南大門駅にて
澤田慎梧
南大門駅にて
大正八年(一九一九年)の朝鮮の治安は最悪だった。大韓帝国初代皇帝であった李太王の逝去に端を発する独立運動を、朝鮮総督・長谷川好道が武力をもって鎮圧した為だ。
悪しき武断政治の典型のような武力鎮圧は国の内外で非難を浴び、長谷川総督は更迭されることになった。その後任となったのは、元海軍大臣・斎藤実だった。
斎藤の持つ国際的な感覚を活かし、武断政治を廃し文化政治への転換を図りたいというのが、本国の狙いだったようだ。
同年九月。斎藤新総督が
当時、私は仕事の都合で家族と共に京城に滞在していた。なので、折角だから総統をお出迎えしようと、妻と共に南大門駅のホームへと赴いていた。
妻は水沢出身で斎藤総督とは親戚関係にあり、その縁から私も親しくしてもらっていたのだ。
「閣下はお変わりないだろうか?」
「大丈夫よ。おじ様はたくましい方ですもの」
朝鮮では独立運動の残り火がじわじわと燃え続け、そこかしこで過激派による暴力事件も起こっていた。斎藤総督の着任が明らかになって以降、独立運動も理知的なものへ方向転換しつつあったのだが、それでも少数の武闘派が暗躍していたのだ。
軍人出身の新総督など、過激派からして見れば恰好の的と言えた。
それ故、私は斎藤総督が危ない目に遭わないかハラハラしていたのだが、妻はどっしりとしたものである。
子どもが生まれてからは休職しているが、元は日赤の看護婦として多くの修羅場をくぐった女性だ。私とは肝の座り方が違うのかもしれない。
「ほら、汽車が参りましたよ、あなた」
遠くに鳴る汽笛を耳聡く聞きつけ、妻が促す。
目を向けると、遠くに黒鉄の陸蒸気が姿を現し、ゆっくりと南大門駅へと近付いているところだった。
汽車は黒い煙を吐きながら線路を滑り、やがて甲高い金属音を響かせながら停車した。
私達の周囲では、陸軍儀仗兵が一糸乱れぬ動きで整列し、総督閣下を出迎えるべく式礼を行っていた。
――そして、列車の中から斎藤総督が姿を現した。
「ご苦労、諸君」
正服に身を包み帯剣した総督が、儀仗兵や警護の兵達の式礼に答えながらホームへと降り立つ。軍人らしい、肉厚のいかつい体型をしているが、妻によれば、故郷の水沢では「勤勉」で名の通った
しかしその眼光はするどく、やはり武人としての心構えを感じてやまない。
――と、その眼光が私達夫婦を捉えた。
「息災かね?」
「はい。お陰様で妻子共々」
「おじ様こそ、なんだか艶々して。少しお若くなられたのでは?」
「ははっ! 忙しくて老ける暇もないわい! この後も、直で総督府行きよ。……子ども達とは、またいずれ、日を改めてな」
そんな短い会話を交わしただけで、斎藤総督は細君の春子夫人を伴って駅の外へと行ってしまった。
改札口の向こう側、駅前の広場には総督用の立派な馬車の姿がある。その周囲には、総督の姿を一目見ようと、様々な人々が集まっていた。
東洋人が殆どだが、中には西洋人の姿もある。京城が国際都市になりつつある証左だろう。
「やっぱり、お忙しそうね」
「そりゃあな」
妻は「艶々」等と言ったが、その実、総督の顔色は優れない。恐らく、総督着任が決まって以来、寝る間も惜しんで朝鮮半島情勢の把握に勤しんでいたのだろう。
「体を壊さねばいいが」等と、いらぬ心配もしてしまう。
しかし、総督は疲れの一つも見せず、群衆に答えながら悠々と馬車へと乗り込んでいった。
――その刹那、凄まじい轟音が駅前に響いた。
「っ!? 伏せろ!」
妻の体を庇うようにして、ホームの床に伏せる。
一瞬の後に、私達の体にバラバラと何かが降りかかる。轟音に混じってガラスの砕ける音がしていた。恐らくは粉砕された駅舎のガラスが舞い落ちているのだろう。
――間違いない。駅前広場で爆弾が炸裂したのだ。
「お、おじ様は!?」
「分からん! 爆発は馬車の向こう側で起こったみたいだが……今は動くな!」
駅舎の外は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
泣き叫ぶ人々の声、石畳を濡らす夥しい鮮血、手足があらぬ方向に曲がり倒れ伏した人影。さながら戦場のような光景だ。
だが、そこに総督の馬車の姿はない。まさか、粉々に吹き飛んだとでも言うのだろうか?
「総督閣下夫妻はご無事だ! 憲兵隊は、犯人を捜せ! まだ遠くへは言っていないはずだ!」
誰かが叫ぶ。恐らくは憲兵隊の誰かだろう。
過激派にとっては不幸なことだったが、今日の南大門駅には総督の出迎えと警護で多くの憲兵が動員されている。
これだけの犯罪をしでかしたのだ、恐らく犯人は遠からず捕まるだろう。広場で傷付き倒れ伏す人々は日本人だけではない。西洋人の姿もあるし、もしかすると朝鮮人もいるかもしれない。
心ある人ならば、この蛮行を許しはすまい――。
***
駅前の混乱を抜け、私達夫妻が総督官邸に辿り着いたのは数時間後のことだった。
「おお、二人とも無事であったか」
「閣下こそ、よくご無事でした。全く、肝が冷えましたよ」
自ら私達を出迎えた斎藤総督は、所々に擦過傷を負いながらもほぼ無傷だった。もちろん、春子夫人も無事だ。
「馬車の丈夫さと、こいつに命を救われたよ」
言いながら、斎藤総督が何かを差し出す。見ればそれは、帯剣ベルトだった。先ほど総督が身に付けていたものだ。
革性のベルトには、いくつもの鉄片が食い込んでいる。どうやら爆弾の破片のようだ。
裏も見せてもらったが、どうやら破片はギリギリのところで貫通しなかったらしい。
「いくつも青あざが出来たがな。命に比べれば安いものよ。まさに紙一重、危機一髪であったわ」
ガッハッハと、豪快に総督が笑う。
傍らの文官の方々は、水野政務総監をはじめ、総督とは反対に真っ青な顔色でふさぎ込んでいる。これが武人と文官との違いだろうか。
私はおかしな感心をしてしまった。
――斎藤総督はその後も朝鮮半島の統治に邁進したが、度々命を狙われもした。
爆弾騒ぎや銃撃は一度や二度では済まず、モーターボートで河を遡航中には、峡谷の両側から狙撃されたこともあったという。
その度に銃弾が身体をかすめるような目に遭ったのだが、いつも紙一重で事なきを得たのだとか。
斎藤実総督の朝鮮統治は、斯様に危機一髪の連続だったのだ。
それでも、斎藤総督は臆する事なく精力的に動き続けた。
何か意見のある者は、日本人朝鮮人問わず膝を突き合わせて話を聞き、朝鮮の地方自治の強化にも力を入れた。
その手腕は国の内外から高く評価されたものの、安易な朝鮮独立論には断固反対の立場も示していた為、独立闘争の志士からは命をつけ狙われ続けた。
そんな危険な中でも、総督は一九三一年(昭和六年)まで、任期を見事に勤め上げた。並大抵のことではないだろう。
――しかし、時は流れて一九三六年(昭和十一年)の二月二十六日。斎藤実は凶弾に斃れることとなった。
俗に言う二・二六事件である。
未明に斎藤邸を襲撃した青年将校達は、無抵抗の斎藤子爵に軽機関銃や拳銃を乱射。銃剣で斬りかかった者もいたとも。当然、即死であった。
春子夫人の必死の制止にもかかわらず、将校達は銃撃を止めなかった。結果、斎藤の体には四十余の弾痕と無数の刀傷が残されることとなった。
朝鮮独立の闘士達による襲撃を常に危機一髪で乗り越えてきた斎藤実が、自国の未来を担うはずの青年達に惨殺された。
何とも皮肉な最期だった。
この事件を鏑矢の一つとして、日本はあの凄惨な戦争へと本格的に加速していくこととなった。
その結果は後の歴史が示す通り。日本国は、二つの原子爆弾と、首都を含む主要都市への爆撃によって人命も土地も徹底的に蹂躙され、敗北することとなった。
日本という国体が守られたことを持って「危機一髪で滅びずに済んだ」と評する歴史家もいるのだろうが、失われたものの大きさを考えると、個人的には受け入れがたい話である――。
(とある文士の日記より抜粋)
南大門駅にて 澤田慎梧 @sumigoro
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