『危機一髪』「カクヨムWeb小説短編賞2023」創作フェス 2回目お題参加

だんぞう

「危機一髪」

 その日、テレビでは火星特番が放送された。

 特番では、火星に送られた探査機より送られた画像や分析情報などをもとに、火星における水や生命の痕跡について大いに論じられていた。


△△△△△


「ね、火星に知的生命体なんて居ると思う?」

 須礼愛すれあはテレビを観ながらクスクス笑った。

「居るわけ無いだろ」

 傍らでずっと機械弄りをしていたスルマは顔を上げ、眼前の光景に顔を赤くした。

「おい、須礼愛! なんて格好してるんだっ!」

「ごっめーん」

 須礼愛は年頃の女子特有の無邪気なてへぺろ顔で、だらけていた触手を人の手足の形へと再整形する。

「まったく。地球人に見られたらどうするんだ」

「外じゃそんなヘマしないし」

「いや、須礼愛は地球人の学校に潜入しているだろ。そういう油断が我々の」

「あー、ハイハイハイ。わかってまーす!」

「須礼愛っ!」

 須礼愛はソファから立ち上がり、スルマの背後へと回り込む。

「もうかなり出来上がってるじゃない? 完成はいつ?」

「今度の満月までには、というところだな」

「地球時間であと十日もないね。皆にはもう連絡済なんだよね? 全員揃うの久々だよねぇ」

「ああ。ようやくだ。過去に火星を脱出してこの地球へとたどり着いてからずっと地球人に擬態しながらずっと隠れて生きてきた。しかし、そんな隠遁生活ももうすぐ終わる。地球人の文明が進み、ようやく我々の科学で利用できる部品を調達できるようになったのだ。ようやく……ようやくだ。ようやくアレが完成する」

「ここが、火星人の末裔たちの第二の故郷になるのね」

 須礼愛はうっとりと、テレビ画面に映る火星を見つめた。


☆☆☆☆☆


「お嬢ちゃん、そんな格好でどうしたんだい?」

 まただ、と、聖女オーソンは眉間にシワを寄せる。

「あらー。美人は怒った顔も美人だよねぇ」

 見るからに胡散臭い男たち――彼らが、地元で疎まれている半グレ集団だということをオーソンは知らない。

 というよりオーソンはつい最近この世界へと転移してきたばかり。

 オーソンが前に居た世界イシュタでは、勇者パーティの一員として魔王を討伐する旅に同行していた。

 常に死と隣り合わせの危険な旅。

 それでもオーソンはじめ勇者パーティは死力を尽くし、激闘の末に魔王討伐に成功したのだ。

 そこで平和が戻るはずだった。

 いや実際には平和は戻った。オーソン以外の全ての人にとっての平和は。

 「英雄、色を好む」という諺は、異世界イシュタにも存在する。

 勇者が自分のハーレムにオーソンを入れようと俄然、執着し始めたのだ。

 聖女オーソンの力は無垢なる状態――つまり生娘でないと使えない。

 オーソンには魔王のせいで荒廃した世界を復興するという崇高な目的があった。

 だからまだ聖女の力を失うわけにはいかなかった。

 それなのに勇者は「魔王はもういないんだからいいだろ」と無理やりオーソンを手籠めにしようとした。

 聖女オーソンは人の悪意を感じ取ることができる。

 その時点の勇者はオーソンにとって彼女の貞操を、そして彼女が世界を建て直そうとする力を、奪おうとする悪人にしか感じられなかった。

 オーソンは聖女の寿命を減らすという秘められし大奇跡を用いて「勇者の手が及ばぬところ」へと自ら転移した。

 そして気づいたらこの世界――地球のとある小さな街に居たのだ。

 ところがこの街においても、この半グレ集団たちのように彼女にやたらとちょっかいをかけてくる男たちが後を絶たない。

 それもそのはず金髪碧眼の彼女は、地球の価値観ならば絶世の美女と形容できるほど。

 しかもその豊満なプロポーションがほぼ隠れていない破廉恥過ぎる格好をしているから。

 聖女の力は自身の生命を用い、世界へと干渉する奇跡を起こす。

 そのため、自身の肉体と世界との接触面が多いほど奇跡の効果は大きくなる。

 彼女自身もその格好に対する羞恥はある。だが彼女は世界を救うため、個人的な恥辱を耐え忍んであえてこの格好をしているのだ。

 そんなオーソンに群がる下心たっぷりの地球人たちは、彼女にとっては奇跡の力を奪おうとする悪党にしか感じられない。

「悪しき者よ、滅せよ!」

 オーソンが祈ると、半グレ集団どもは奇跡の力により光となって消えた。

「この世界の住人は悪意に満ちている……一人ずつ倒していたららちが明かない」

 オーソンは街外れの巨木を見つめる。

 彼女が奇跡の力を使うために干渉する「世界」とは、生命の織りなす自然の世界。

 街の中では人の加工した人工物が多く、彼女の奇跡の力の源となる自然の力を阻害する。

 逆にあれだけの立派な自然物ならば、彼女の極限広域破邪の大奇跡を使う触媒とできるはず。

 聖女オーソンは決意新たにその巨木へと向かった。


※※※※※


 集合生命体エンンッは、自分たちの計画が実行段階へ移ったことを把握した。

 その計画とは、次の宿主への『移動』。

 集合生命体エンンッにとって現在の宿主は居心地こそ良かったものの移動できないことに困り果てていた。

 この宿主はあくまでも仮の宿主であり、永住するつもりはなかった。

 というよりも宿主から宿主へと転々と移り続けるのが彼らの奥底に根付いている生き方だったから。

 ただ、次の宿主への『移動』――最も当てはまる地球の言葉に変換すると『次元跳躍』は、この宿主の中に居るうちは実現できない。

 自立して動けないと『次元跳躍』に必要な『移動公式』を成立させることができないからだ。

 とりあえず『次元跳躍』を可能にするためには、この現地支配種――人間の肉体に一時的に移る必要がある。

 しかし人間の肉体は、集合生命体エンンッにとって生存が困難な環境であった。

 そこで計画したのが、人間の肉体を集合生命体エンンッが生存しやすい環境へと変異させることだった。

 彼らが現在宿主としているこの巨大な生命体のように。

 集合生命体エンンッの解析によると、人間はかつてミトコンドリアという微生物を体内に取り込むことで環境適応を果たした生物。

 それならば、この植物内にある素材を用いて作った新種の微生物を人間の体内に取り込ませ、人間が光合成を行えるように変異させればいい――その計画がとうとう実行段階へと移ったのだ。

 集合生命体エンンッは現在の宿主の生命エネルギーを利用し、計画の最終段階を実行に移した。


■■■■■


 そのボロ屋は近隣住民から「ゴミ屋敷」として認識されていた。

 何が入っているのかよく分からないレジ袋がまるで石垣のように積み上げられていて、それらはかろうじて敷地からははみ出していないのだが、いつ倒れるかわからないという恐怖と、そこはかとなく漂うカビ臭さとが、この「ゴミ屋敷」への嫌悪を常にかきたてていた。

 そこの住人は近所の人々からは「舌打ちジジイ」と呼ばれ、「ゴミ屋敷」の外へ出るときはその名の通りしょっちゅう舌打ちし続けている。

 表札には「土方」とあるが、時折訪れる役所の職員がその名で呼んでも決して返事することはなかった。

 それもそのはず、彼の名前は土方ひじかたではなかったから。

 自分にそっくりな人間をたまたま見つけ、入れ替わった彼の名はアルネ。

 日本人ですらない。

 アガルタ――地上人にまでその名を知られている伝説の地底都市。

 彼はそのアガルタを治めていた王族の末裔だ。

 しかし栄華を極めたアガルタも、もはや彼ら地底人でさえ棲めなくなって久しい。

 その理由は地上人とは関係なく地底人同士の争いによる自滅ではあったのだが、アルネは地上人を憎んでいた。

 遥か昔より地上人は地中より多くの資源を奪っていった。それなのになぜ、地底人は地上より資源を調達できないできたのか。

 実際それは、大きく数を減らし地上近くまで居住地域を移動せざるを得なかった地底人が、地上人との衝突を避けるための自己防衛策の一環であったのだが、アガルタ王族の最後の一人という自覚のあるアルネにとっては、自分の不幸な境遇に対するストレスの転嫁先として地上人はあまりにも近くに存在した。

 いつか地上から奪ってやる――そんな歪んだ想いをずっと抱えたまま大人になったアルネであったが、何度目かの地上偵察の際、吠える犬に驚いた彼は転んで怪我を負い、そこを地上人に助けられた。


 今は亡き土方良夫よしおは、孤独な中年であった。

 足を引きずりながら歩いていたアルネに、若い頃に交通事故で亡くなった自身の弟の面影を見出し、声をかけた。「治療をしてやる」と。

 このときは警戒していたアルネだったが、その後何度も訪れるうち、この土方にだけは心を開くようになっていった。

 土方の方でも弟に似たこの男の素性を特に気にするでもなく、「いつでも訪ねて来い」と心良く歓待した――土方が病に倒れるまでは。

 土方は入院どころか通院すらしなかった。

 この世に未練などなかったから。

 ただ一人、仲良くなったアルネのことだけは気がかりだった。

 だから久々に現れたアルネに土方は、布団にせったままこう言った。

「俺は長くない。だが治療は不要だ。苦しんで生きながらえるよりはいっそ楽になりたい。それに死ねば両親や弟にもまた会えるから……俺にはお前以外に親しい者は居ないんだ。だから俺の死を誰に連絡する必要もない。ただ一つだけ心残りがある。お前だ。今までずっと黙っていたが、お前は俺の弟にそっくりなんだ。勝手に家族だと思っていた。ごめんな。だからお前に俺の財産の全てをやる。この家も、多くはないが貯金も。お前はこれからはここで暮らしていいんだぞ」

 アルネは泣いた。

 まさか自分が地上人のために泣くことがあるだなんて信じられなくて、過去の自分の地上人への憎しみがまた滑稽で、息を引き取った土方の亡骸なきがらの前で泣きながら笑った。


 それ以来、アルネは土方として振る舞いつつこの家に住んだ。

 地上人への報復はもう考えてなかった。

 だが、積年の夢である地上の資源を、新たに手に入れた拠点へと貯め続けた。地上人は簡単にモノを捨てる。その捨てられたモノだけを集めれば、地上人に――いや、土方に迷惑はかけない。

 そう考えていた。

 しかしアルネの行動は、彼自身を追い詰めることになった。

 近隣住民が、役所の職員が、苦情を言いに幾度となく土方の家を訪れたのだ。

 アルネにとって彼らは、自分と土方との絆を、そしてアルネが一生懸命集めた地上の資源を、奪いに来たように見えた。

 アルネの中に再び地上人への憎悪が溜まり始める。

 そんな折、彼の集めた地上資源の一部が発火したのだ。

 彼が集めた地上の資源の中には、放置しても自然発火する物質もあるということを、アルネは知らなかった。

 土方の家は古い木造家屋。あっという間に全焼した。

 アルネ自身はたまたま資源集めに離れていたので火事に巻き込まれることはなかったが、彼が土方の家に戻ったとき、焼け跡には消防や警察が立ち入っていた。

 それを侵略に感じた。地上人の宣戦布告だと思った。

 アルネにとっての侵略者たちはさらにはその焼け跡から土方の死体を見つけ、規制テープが貼られ、アルネは地上に居場所を亡くした。

 焼け跡を呆然と眺めるアルネを見た近隣住民は土方の幽霊が出たと大騒ぎし、騒ぎに驚き逃げ出したアルネは犬に吠えられてまた転んだ。

 アスファルトにみっともなく伏せたままのアルネは、ふと寝返りをうった。

 どこまでも青い空がそこにはある。

 途端に、地上人への憎しみが爆発した。

 アルネは地下にある自分のかつての拠点まで急いで戻り、土方との対話の中でゆっくり育てた思いやりの心を捨てた。

 そして、あまりにも非人道的なためにかつて封印されたとある兵器へと手を伸ばした。


◎◎◎◎◎


 水原みずはら亜久亜あくあの住むその街は海から遠く離れている。

 年若き期間こそ人間と見分けがつかない容姿の彼女だが、年齢を重ねる毎に次第に、人の姿の中から海の生き物の姿が現れ混ざってゆく、そんな一族の彼女の体に流れる血の系譜は、遠く深い海に棲む超常的な存在に繋がっていた。

 しかし彼女ら一族の存在を、百年ほど前にとある作家に広められて以来、一気に知名度の上がった彼女らの一族は人間の手により次々と駆逐されていった。

 それも徹底的に。

 もちろんそんなことは表の歴史には記されない。だが確実にその数を減らしていった。

 彼女らの一族は、海の底にまで潜れるほどに成長するまでは、海を遠く離れた陸でひっそりと暮らすようになった。

 海水が肌に付着するだけでその血が一時的に活性化し、正体がバレかねないからだ。

 彼女ら一族の若者の、海への憧憬といったら海なし県民の比ではない。

 海は彼女ら自身の故郷であり、アイデンティティであり、未来であり、そして信仰の対象でもあった。


 そんな亜久亜の日常が一変したのは、一族のとある海帰りが、その街を訪れたときだった。

 水城みずき茂一郎もいちろう

 茂一郎は人の姿を捨てた彼ら彼女らがその後を過ごすと言われている海中都市で神官として学び、人間に見つかるリスクを乗り越えて戻ってきたのであった。

 いまや人というよりは二足歩行の魚類や両生類に近い容姿の茂一郎がこんな内陸まで見つからずに来られたのには理由があった。

 一族の血の源である偉大なる超常的存在の力を借りて超常的な結果をもたらす「魔術」を、茂一郎は習得していた。

 この魔術を、地上に住む同胞たちへ伝えれば、自分たちはもう少し生きやすくなる。そんな想いで戻ってきた。

 しかし、亜久亜たちの反応は違った。

 その力があれば人間への復讐が可能であると。

 神官たる茂一郎が居れば「魔術」でそれが為せると。手始めに亜久亜たちが住むこの街の人間たちを根絶やしにしようじゃないかと。

 茂一郎は当然反対した。

 人間と争えば、最初は奇襲できたとしても、結果的には圧倒的に数の少ない自分たちが滅ぼされるだけだと――それでも亜久亜の発言全てを否定したわけではなかった。

 「魔術」による人間への復讐、それ自体には賛成した。

 殺すのではなく、この地より人間たちを追い出そう、と。

 茂一郎は「魔術」の準備を始めたのであった。


△△△△△


 須礼愛たち火星人の末裔たちが見守るなか、スルマが機械を作動させる。

 その効果のうちの一つはオゾン層の一時的な中和。

 地球の環境は火星人の末裔たちにとっては息苦しすぎた。

 火星人基準の不快指数というものがあったなら、現状は200%をゆうに超えている。

「これでもう少し生きやすくなるよね?」

 須礼愛はスルマの触手に自身の触手を絡めつける。

「ああ。そして地球人たちにとってはその肉体を徐々に蝕むゆえに人間除けの効果となる。この地より多くの地球人が去るだろう。それと入れ替わりに各地に散らばった同胞たちが集まれば……ここを我々の本拠地とするっ!」

 そこに集っている火星人の末裔たちは高らかに触手を揺らした。


☆☆☆☆☆


 オーソンは街外れの巨木の前に立つ。

 異世界イシュタで倒した魔王の上背を超える高さまでそびえる立派な巨木。

 これだけの自然物ならば、彼女の極限広域破邪の大奇跡も問題なく発揮できるだろう。

 聖女オーソンがその両手を合わせると、手の間に眩く光る剣が現れた。

「悪しき者どもよ、滅せよ!」

 巨木を触媒とするべく、オーソンは光の剣を巨木へと刺した。


※※※※※


 集合生命体エンンッが現地支配種の肉体を変異させるべく放った新造細菌は花粉となり風に乗り、街の隅々にまで流れてゆく。

 それが現地支配種の皮膚に触れれば現地自転周期の一周ほどでその肉体を変異させる。

 変異さえすれば新しい宿主として『移動』できる。

 その後は『次元跳躍』してまた新しい場所へ――しかし、この計画には一つだけ懸念があった。

 今回の計画実施にあたり、集合生命体エンンッが現在宿っている生命体の生命エネルギーを大量に用いざるを得なかったのだ。

 ただ、集合生命体エンンッの計算によれば、現地支配種の肉体変異は、現在宿主の生命的な死よりも早く、彼らは安全に『移動』できるはずであった。


■■■■■


 アルネが持ち出してきた兵器は、地上人の言葉を借りるならば「毒」だった。

 かつてアガルタが滅んだ原因でもある兵器。

 兵器による「毒」は、かつての地中都市アガルタを、地底人の棲めぬ場所へと汚染してしまった。

 ただ、地底人たちはその教訓を無駄にはしなかった。

 アルネが今持っているこの兵器は、当時使われたものとは違う。

 効果が限定的となるよう、「毒」の向かう先をコントロールできるよう、改良されていた。

 指向性を持ち、標的に遭遇した場合に瞬間的に効果を発揮し、その後速やかに消え去る。地上人の言葉を借りるならば「自爆テロ的な毒」。

 アルネはその兵器を携え、土方の家の焼け跡へと戻ってきた。

 彼にとってはこの想い出の場所が地上侵攻の拠点である。

 アルネに賛同する一部の地底人たちも地上侵攻に参加するべく、ついてきた。

「まずはこの周囲の地上人から駆逐する」

 アルネはその最悪の兵器を稼働させた。標的索敵範囲から自分たちを外して。

 兵器より放たれた「毒」の塊は、付近に標的を見つけ、黒い猟犬のように移動を始めた。


◎◎◎◎◎


 亜久亜たち血気盛んな一族の若者たちが茂一郎を取り囲む。

 一族の輪の中心で神々の呪歌を口にする茂一郎の言葉をなぞり、追唱する。

 彼らの信奉する偉大なる超常的存在が太古の人類に与えた恐怖を改めて今、追体験させるために。

 古き忌まわしき過去を、個人の記憶を超えてその血の系譜に刻み込まれた恐怖を、現在に取り戻させるべく。

 祈り、囁き、詠唱。

 茂一郎の「魔法」が発動する。


△△△△△


 最初に効果が現れたのは須礼愛だった。

 高らかに揺らしていた触手を機械へと伸ばす。

「おい、須礼愛! 何をするんだ!」

 スルマの驚愕の声は、周囲の他の火星人末裔たちの叫びによりかき消される。

 やがてスルマもそれを見る。

 かつて自分たちの先祖が地球に降り立ったときのことを。

 彼らの母船は燃えていた。

 彼ら自身の命を守ること――脱出するのが精一杯だった。

 火星より脱出する際に持ち出した全ての資材が母船と共に燃え尽きようとしていた。

「だ、駄目だ! この機械は守らなければっ!」

 スルマたちは無意識に目の前の機械へと手を伸ばす。

 部品を少しでも持ち出せれば、地球での暮らしが楽になる――先祖が体験し血に刻まれた記憶と、現実とが錯綜する。

 そして機械から重要な部品を幾つも取り外し始めた。

 稼働中の機械を止めもせずに。


☆☆☆☆☆


 聖女オーソンの極限広域破邪の大奇跡の力が樹の中に満ちる。

 さあ、これから街全体へ――そのタイミングで、彼女の肌に真っ赤な水疱が幾つも現れる。

 外見こそ地球人に似ているとはいえ、彼女は異世界イシュタ人。

 その肌はオゾン層を通さぬこの世界の太陽光に極端に弱かった。

 彼女が転移してから今までというわずかな間に彼女の体内に蓄積していた紫外線によるダメージは、オゾン層が一時的に中和され消えたせいで急激に増加した。

 それこそオーソンの命を脅かすほどに。

 大奇跡の行使には自身の生命をも用いる。

 だからこそその行使中に聖女のオーソンの身を守るべき盾が必要であった。本来ならば。

 イシュタにおける魔王討伐の際は、その盾の役目を勇者パーティが担っていた。

 しかし、この地球においてはオーソンただ一人。

 生命の危機に自動的に彼女を守るべく発動する守護の奇跡が、行使中の大奇跡に干渉し、逆流させてしまった。

 聖女オーソンは覚悟した。


※※※※※


 集合生命体エンンッは待てばいいだけだった。

 現地支配種の肉体が変異する現地自転周期の一周というそれっぽっちの時間を。

 だが、その時間を待たずして、彼らの宿主たる巨木が光に包まれた。

 それは、光合成に必要となる光とは全く異なる種類の光。

 集合生命体エンンッは予想外の出来事に対応すべく、演算を始めた――が、その演算が終わることはなかった。

 精神的な要素が中心となる概念的集合生命体エンンッにとって、理解できぬその光は自我を保てぬほど強く激しいものであったから。

 集合生命体エンンッは、彼らが最期の宿主とした巨木よりも先に滅びた。


■■■■■


 アルネたちは用いた「毒」の兵器を、地上人に奪われることがないよう彼らの地下居住区の奥へと隠した。

 王族しか開くことができない地底金庫の一番奥に。

 まずはこの一回目の効果の様子を見て、場合によっては二回目、三回目と何度も使おうと、そんな作戦だった。

 しかし、二回目以降が使われることはなかった。


 アルネたち地底人は地上人のように手洗いや風呂、シャワーなどで体を清めるという習慣がなかった。

 それ故に街中に降り注いだ花粉のようなものに無防備にさらされ、特に処置もしなかった。

 だから一日が経過する頃にその肉体が変異した。

 その花粉のようなものはあくまでも地球人のために構成されたものであったため、日光を必要としない体質である地底人たちにとっての影響は全く考慮されていなかった。

 結果的に、アルネたちは最悪の状態に陥った。

 日光を必要とする変異と、日光を必要としない体質とが互いを異物として攻撃し合い、彼らの肉体は崩壊してゆく。

 ボロボロの体でアルネは地上へと出る。

 土方の家の焼け跡で、空を見上げる。

 兵器を稼働させた昨日の、花粉のようなもののせいで霧がかかったがごとく見えなかった空が、まるで洗い流されでもしたかのように今日ははっきりと見えていた。

 抜けるような青い空。

 自分が死んだら土方に会えるのか、その想いが、朽ち逝くアルネの心をわずかに癒やした。

 アルネの目に映る空が滲んだ。


◎◎◎◎◎


 地底人の「毒」は指向性を持っている。

 それは地底という遮蔽物だらけの場所において開発された兵器であったから。

 だから、その兵器使用地点に最も近い場所に集まってた多くの「水」に反応した。

 人間の体の約六割が水分である。

 亜久亜たちの一族の体における水分の割合は人間をわずかに上回る。

 だから人間ではない血に連なる一族へと向いてしまったのは必然であったのだろう。

 とにかく「毒」は、物理的に、そこに集まっていた者たちの肉体を蝕んだ。

 茂一郎はそのことにいち早く気付いた。

 なので使用する「魔法」を途中で変えた。

 海水に浸かれさえすれば、その肉体の崩壊を止められると思ったから。

 最期の力を振り絞り、二つ目の「魔法」を発動させる。

 しかし、茂一郎や亜久亜たちが、発動された「魔法」の結果を見ることはなかった。

 「毒」は、人外の超常的な血を継ぐ一族の肉体を完膚なきまでに破壊し、そして跡には無害化された泥だけが残った。


△△△△△


 スルマは愕然とした。

 先程まで激しい頭痛と共に見えていた幻覚から解放されたとき、彼の目の前にあった機械は稼働中にも関わらず主要な部品を取り外されもはや暴走していたから。

「いま、直」

 それがスルマの最期の言葉だった。

 機械は爆発する。

 スルマはとっさに自身の体で須礼愛をかばう――しかし、爆発により助かった火星人の末裔は一人も居なかった。


*****


 その日、凄まじい土砂降りがあった。

 SNSには「ゴリラげうう」という単語が溢れ、その雨がしょっぱかったことに気付いた人の呟きに目を止める人はほとんどいなかった。

 豪雨が降る前に地底へ戻った地底人たちも、花粉のようなものにさらされた人間たちも、集合生命体エンンッたちですら、花粉のようなものを構成する細菌が、海水濃度の雨に極端に弱いことに気付いていなかった。

 また、この豪雨と共に訪れた落雷のうちの一つが、街のシンボルとされていた巨木に落ちたとの報道もあったが、その落雷により聖女オーソンの躯が、豪雨に流されるほどに破壊されたことには誰も気付かなかった。




<終>

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