そのボールペンは怨霊よりも強し

新巻へもん

怪しいトンネルと何やら忙しい男

「赤松さん。それじゃ、調査よろしくお願いね」

 地味なビジネススーツでは隠しきれない魅力を振りまいて中矢は席を立つ。

 左右に揺れるヒップに目を吸い寄せられていた赤松平二ははっとした。

 しまった。つい見とれていて断るの忘れちまった。

 平二は後頭部を人差し指で掻く。


「今はそれどころじゃないんだんけどなあ」

 ぼやきつつブリーフィングを受けた内容を思い出した。

 とある県道のトンネルにらしい。

 そのせいか行方不明者が発生していた。


 それを察知したのでトンネルまで出かけて本当に怪異現象が発生するのか調査してきてほしいというのが依頼内容である。

 依頼額は経費込みで五十万円。

 一晩だけの仕事としては悪くない金額でいつもであればもうちょっとは真面目に頼みを引き受けるところだった。


 まあ、平二は普段から仕事熱心かというとそうでもない。

 いつもにも増してやる気がないのには事情があった。

 ただ、断らなかった以上はそろそろ出かけなくてはならないなと考える。

 現在の日時は日曜日の午後8時前。

 丑三つ時に間に合わせるには一度事務所に車を取りに戻るとそれほど余裕がなかった。


 中央道を走りながら平二は一昨日から頭を悩ませていることを考えている。

 日曜夜の下り線ということで道路は空いていた。

 ひと昔前ならスキー場へと向かう夜行バスが列をなしていたらしいが、ほとんど見かけない。

 制限速度を守って走行車線を走る分にはそれほど神経を使わなくても運転することができる。


 日付が変わる前に寄ったサービスエリアで買ったホットコーヒーを胃に流し込みながらスマートフォンに文字を打っては消した。

 あかん。まったく考えつかない。

 平二は一旦諦めて駐車場に停めたエクストレイルに戻って運転を再開した。


 高速道路を降りて車を走らせ目的地のトンネルの近くにたどり着いたときは午前二時までにはまだ少し時間がある。

 休憩がてらコンビニで購入しておいたサンドイッチをかじりながら、頭を捻るが相変わらずアイデアは生まれてこなかった。

 深いため息をつく。


 車内灯の明かりで腕時計を確認した。

 時刻は午前2時をもうすぐ回りそうである。

 タイムリミットはあと10時間ぐらいか。

 平二は空になったサンドイッチの包みをビニール袋に入れて助手席に放り投げた。

 

 しぶしぶとシフトレバーをドライブに合わせてアクセルを踏みエクストレイルを走らせ始める。

 ヘッドライトに照らされたトンネルは車一台分の幅しかない。

 入口の上にあるトンネル名を示す銘板は薄汚れて全部の文字は読めなかった。

 乾いて変色した血のような色の煉瓦製の壁がヘッドライトに浮かび上がる。


 平二は対向車がやってくるかもということで念のためクラクションを鳴らした。

 ゆっくりとトンネル内にエクストレイルを乗り入れる。

 ライトの明かりに白いものが一瞬見えた気がしてアクセルを緩めた。

 しかし、目を凝らしても再び目に入ることはない。

 

 幻覚が見えるなんて疲れてるなあ。

 そんなことを思いながらゆっくりとエクストレイルを進め、先ほど白いものが見えたと思われる地点に到達した。

 サイドミラーに異様な光景が映る。


 トンネルの天井から白っぽい細長いものが降り注いでいた。

 大小さまざまな骨が落ちてきている。

 最初は少量だったのが白い壁のようになり、落下地点もトンネルの入口からエクストレイルの方へとどんどん近づいていた。


 アクセルを踏もうとすると車の左右の窓からバンバンという叩くような音がする。

 ちらりと視線を走らせるとべったりと血のような色の手形が張り付いていた。

「くそっ」

 平二はエクストレイルを加速させる。


 残り100メートルほどの距離を走ってトンネルから抜けた。

 その瞬間に全身の毛が逆立つような感じがする。

 前方の道が橋に続いているが、その路面が崩れ落ちているのが見えて急ブレーキをかけた。

 タイヤがきしりブレーキ痕を残して車が止まる。


 止まった位置は崩れ落ちた場所から3メートルぐらいしか離れていなかった。

「うおっ。あっぶねえ」

 平二の口から言葉が漏れる。

 片手の甲で額の汗をぬぐった。


 ダッシュボードに固定しナビアプリを表示させていたスマートフォンに目をやると通信状況は圏外になっている。

 ギアをバックに入れてハンドルを切り平二はエクストレイルを方向転換させた。

「仕事、仕事」

 つぶやいて車を降り、橋のところまで歩いていく。


 へりのところから覗き込むと3台の車が転落していた。

 炎上したものもあり、いずれも生存者はいそうにない。

 平二はそそくさとエクストレイルに戻った。

 運転席の窓に残る血痕のようなものはあえて無視する。


 ドアを開けて乗り込み前方のトンネルを睨んだ。

 今のところは何の異常もなさそうに見る。

 もし何かあったとしても帰り道はこのトンネルしかない。

 平二はゆっくりとエクストレイルを走らせトンネル内に侵入する。


 入った時と違ってすぐに怪異現象が襲った。

 カンコンという音とともに滝のように骨が降り視界を塞ぐ。

 左右の窓に加えて今度はフロントグラスにまでべたべたと掌の形の跡がついていった。


 そして、バックミラーを見ると後部座席に白いワンピースを着て麦わら帽子を被った小柄な人物が顔を伏せて座っている。

 真冬だというのに違和感ありまくりの格好をしている人物は顔を上げた。

 目鼻立ちの整った少女のように見えた容貌はすぐに溶けたゴムのように伸びて滴り落ちる。

 しゃれこうべが大きく膨らみながら大きく口を開いた。

 

 ***


「あーあ。まったくひどい目にあったぜ」

 平二は車用のモップで窓ガラスに残った汚れを落とす。

 ここはトンネルから10キロほど走ったところにあるセルフ式のガソリンスタンドであった。


 幸いにして骨が当たったことによる目立つ傷や凹みはないように見える。

 汚れを落としてしまえば何も痕跡は残らないはずだった。

 欠伸をしながらモップを動かす平二の姿からは想像もできないが、一応はそこそこの腕前の陰陽師である。

 トンネル内で起きた怪奇現象を処理するぐらいの腕前は有していた。


「調査だけのはずが結局退治までやっちまった。お札も使っちまったし割が悪い仕事だったぜ」

 手を動かしながら平二はぼやく。

 調査に向かった後に連絡がなければバックアップが来るはずだった。

 怪異はトンネル内だけで発生するので向こう側で救援を待っても良かったのだが、そうもいかない事情がある。


 怨霊を祓ってトンネルから出てくると一旦車を停めて確認した。

 時計を見ると主観時間は30分程度なのに午前6時過ぎを指している。

 さらにスマートフォンはバッテリー残量が3%になっていた。

 どうもこの世とどこかの狭間に居たせいで時間の進み方が違い、スマートフォンも通信を維持しようと電波を強くして消耗いたらしいと想像する。

 窓の汚れを落としスマートフォンを充電するためにここまで走ってきたのだった。


 窓ガラスが綺麗になったので併設されているコンビニに向かう。

 有料の充電サービスにスマートフォンをセットすると、おにぎりとお茶を買ってガソリン代と共に支払った。

 イートインカウンターで朝食を取りながら、ここ数日頭を悩ませていることに取り組む。

 欠伸が出るばかりだった。


 充電が終わったスマートフォンを回収してエクストレイルに戻る。

 運転席に座ると昨夜からの疲れがどっと出た。

 3時間だけ仮眠を取ろう。

 目を閉じて目覚め、腕時計で時刻を確認して平二は狼狽した。

 11時30分。


 やっば。

 平二は焦りに焦りまくってスマートフォンを操作し始める。

 指をフリックさせて文字を打ちまくった。

 全ての作業が終わったのが11時58分。

「あっぶねえ。なんとか間に合った」


 平二は趣味で小説を書いている。

 投稿しているサイトでイベントがあり、指定されたお題で所定の時間までに書き上げるとオリジナルグッズが抽選で貰えることになっていた。

 締め切りは11時59分。


 これに間に合わせるために業務外の怪異退治までやってのけ、こっちの世界に戻ってきている。

 それというのも平二はオリジナルグッズのボールペンが欲しかった。

 知り合いの新巻という作家に自慢するためである。

 この男はサイト特製のブックカバーやタオルなどいろいろなものを持っているがボールペンだけは持っていなかった。


 平二はぎりぎりで間に合ったことに心が軽くなる。

 依頼主の中矢に電話して任務が完了したことだけを簡潔に伝えた。

 電話で詳細な話をするわけにはいかない。

 東京に向けてエクストレイルを走らせ始める。

 このときはまだ、平二は数か月後に大きく運命が変わることになることを知らなかった。


-終-

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

そのボールペンは怨霊よりも強し 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ