オールトの雲

草薙 至

第1話

「もうね、私も一緒に死んでいたら良かったんじゃないかって……」

「佐藤さん、そんな言い方しないでください。先月はお友達とご飯を食べに行って、すごく楽しかったって言ってたじゃないですか」

 机を挟んで向かいに座る中年女性は、家族と死別して、私が勤める市役所分館の隕石災害相談センターに時々やってくる。

「そうよね、弱気なこと言っていたら主人や子ども達に怒られちゃうわね」

「いくらでもお話聞きますから。私、佐藤さんと楽しいお話もしたいですよ」

 いつも同じような流れで気持ちを持ち直し、一人で暮らす家に帰って行く小さな背中を見送る。担当時間の最後の来館者が彼女であることを確認して、私も帰り支度を済ませると、分館を出た。


 私が高校生の頃、町内に小さな隕石が落ちた。同級生の家に当たったらしく、翌日登校してみると、その話題で持ちきりだった。

 屋根には穴が開き、二階の床も突き抜けていたが、家族は全員家にいない時間で、近所の住民も割れたガラスで怪我をしたような軽症者だけで済んだ。

 そして、その日から約三年もの間、日本を含めた東アジアを中心に隕石災害が続発するようになり、家の中にいても安全ではない世界になってしまった。主要各国が連携し、対策チームも発足したが、被害が東南アジア周辺のみに集中していることから、欧米諸国の協力姿勢が薄いのではないかと、各地で抗議活動も頻発した。

 小石ほどのものから、バスケットボールサイズくらいの隕石が毎日のように落ちてくるが、それらは人々の生活リズムに配慮して降って来るわけではない。友人と語り合うランチタイム、家族が憩う団欒、恋人と同じベッドで目覚める朝も関係なく、日常を壊し続けた。

 私はそんな混乱の中で、何度も悩みながら進路を変えて必要な資格を取り、相談センターの職員になる道を選んだ。


 そして、吹く風に思わず肩をすくめ、春を待ち遠しく思う頃、今日は両親と弟の命日だ。

 いつも通り、目が覚めるのはアラームが鳴る少し前。天気予報の確認はしたいが、テレビをつける気分にはならなかった。今朝は、あのキラキラ笑顔の「今日も元気に、行ってらっしゃい」というテンションを受け止められそうにない。電気ケトルでお湯を沸かしながらスマホを確認すると、墓参りに同行する伯父から『今日は快晴だって』とメッセージが入っていた。



 町内で起きた隕石騒動以降、国内各地で同じような事故が相次ぎ、政府の記者会見で「隕石の落下がしばらくの間続くと思われる」と発表された。多くの人々が、これから起こる事を予想できないまま専門家の見解が注目されるなか、母のパート先に複数の隕石が落ちて、客や従業員が何人も亡くなった。その日、休みだった母は助かったのだが、それが逆に母を苦しめた。

 本来、その日は母がシフトに入っている日だったのだ。

 

 前の週に子どもが熱を出した人の代わりに出勤したため、シフトがずれた。子どもの発熱も会社のシフト調整も日常的によくあることで、自然災害による事故なのは誰の目にも明らかだったが『幼子と結婚間もない夫をのこして女性が亡くなった』という残酷な事実だけが残ってしまった。

 母は心療内科に通うようになり、弟が高校受験のタイミングだったこともあって、私は大学を休学して、実家に戻ることにした。

 幸い、父も弟も家のことには協力的で、家族の意味を改めて感じることが多かった。

 季節がいくつか変わって、弟も高校生活に慣れた頃。その日は朝から天気予報士が、夜には雪が降ると注意を促していた。冷え込むなら夜はみんなで鍋にしようと思い、スーパーマーケットのチラシを見ると少し遠い方の店でカニが安い日だった。買い込む人が多い為かレジが混雑していて、弟に帰宅はもう少し時間がかかると連絡を入れた。父と弟はカニが好物で、カゴに入れたそれを見ると二人が喜ぶ顔が目に浮かんだ。

 予報よりも早く雪が降り始める中、帰宅して玄関を開けると同時に、何か食器が割れる音と「母さん、やめてくれ」という弟の大きな声が聞こえた。人並みの思春期はあったが、父によく似て穏やかである弟のそんな声は初めて耳にした。ざわりと毛の逆立つ感覚を覚えたが、振り払うように手に提げていた買い物袋をその場に置いて、リビングへと急いだ。


「どうしたの」と声をあげることもできなかった。

 床には割れたグラスや食器が散らばり、目の前で母は、弟に馬乗りの状態になって「あなたたち大事な家族に私みたいな辛い思いをさせるわけにはいかない」と叫んでいた。その手が握っていた包丁は一緒に買いに行ったものだった。

「セラミックのってよく切れるんだって」

「でも、硬いもの切る時に割れることがあるらしいよ?ネットにも書いてある」

記憶が噴き出したように、そんな会話まで思い出す。

 

 ガシャンと質の違う音がして我に返ると、電話機があるべき場所から落ちていた。倒れていた父が近くにあった電源コードを引っ張ったのだ。そして、絞り出したような声で「逃げなさい」と言った。

 目の前の状況が理解できないまま、ただ父の言葉に従って玄関に向かったが、置いたままにしていた買い物袋に足をとられて、派手に転んだ。なんとか立ち上がりドアを開けて一歩外に出た直後、腰のあたりに衝撃を受け、ポーチの石畳に膝から崩れるように倒れた。脇腹には見慣れた包丁が刺さっていて、勢い余った母も、私と同じように倒れていた。体のどこが痛いのかもわからないくらい身体中が痛んだ。

 母が上体を起こし、こちらに近づこうとした時、二人の制服警官が口々に大声を出しながら駆け寄ってくる。異常な物音がするという通報でやってきた警察官だったようで、懸命に何か言ってくれているのに朦朧としていた私は何も言えないまま、次に気付いた時には病院のベッドの上だった。

 そして母は、私が目を覚ます前に同じ病院で息を引き取った。父や弟と、もみ合いになった時に頭をぶつけていたことが死因だと、話を聞きに来た警察の人が教えてくれた。取り押さえられた時には、私の家族は私が守るのだと叫んでいたそうだ。

 初めての入院生活を送るなか、身を引き受けてくれたのが、父とは年子で仲の良かった伯父夫婦だった。



 窓をあけて深呼吸をすると、凛と冷えた空気が身体を抜けて気持ちが良い。震えたスマホを確認すると『電車に乗ったら何時に着くか教えてね』と、今度は伯母からのメッセージだった。続けて可愛らしい猫のスタンプが届き思わず頬が緩む。彼らは気を遣いすぎず、できるだけ普通に私と接し、退院したあとに進路の変更を悩んだ時も「未来の自分が後悔しないことを選びなさい」と言ってくれた。

 想像もつかない事が現実に起こり、たった一晩で三人の家族を亡くした私は、無意識のうちに感情の抑揚を抑えていたのだろうと今ならわかる。

 私には未来がある。そう言われた気がして、あの晩以降、初めて声を上げて泣いた。頭を撫でて、いつまでも手を握ってくれた二人の手はとても温かかった。


 昨日寝る前に準備してあった、グレーのワンピースに袖を通し、身支度を整えて家を出る。駅前の広場には災害慰霊碑があり、いつも花や缶ジュースが供えられていて、前を通る時には手を合わせることにしている。

 ダイヤ通りやってきた電車に乗り、空いていた席に座ってから到着時刻を検索して、結果を連絡する。少し目を閉じるだけのつもりだったが、気づいた時にはもう降りる駅だった。改札を出てすぐに、手を振る伯父を見つけ車に乗り込むと、カーラジオからは懐かしい音楽が流れていて、思い出話をしているうちに車は墓地の駐車場に着いた。

 時々、夜空に幾筋も流れる火球を思い出す。

一般的な流れ星より数段明るく、まさしく火の玉と呼べるそれは、異様なほど美しく、そして恐ろしかった。あの頃、流れ星に願いを祈るように、大切な人を傷つけないでくれと願っていた。


 相談センターにやってくる人たちはみな

「なぜ自分が生きているのかわからない」と言う。私だって同じだ。理由を探すために生きているのかも知れないとさえ思う。いつまでも耳にこびりつく父の最後の声が忘れられず、弟へ送ったメッセージもひび割れたガラスフィルムの下で、いつまでも既読のマークはつかないままだ。


 墓前につくと、叔母は花を入れる準備をして、伯父は雑草を抜き、私は軽く絞った布巾で墓石を丁寧に拭く。いつもこの時間だけは会話が無く、それはきっと私がそうしているように、二人も心の中で両親や弟と話をしているのだと思う。

 新しい花が入り、手を洗ってから伯父が火をつけてくれた線香を置いて、数珠をかけた手を合わせる。ゆらゆらと揺れていた煙がスッと真っ直ぐに上がり、青空に向かって伸びていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オールトの雲 草薙 至 @88snotra

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ