最終話 結

 ──続いてのニュースです。

 昨日午後、岐阜県の山中において、空き家になっていた住居内で三名の遺体が発見されました。

 女性と見られる遺体は既にミイラ化しており、腹部に別の被害者のものと思われる臓器が入っていたということです。

 また、現場付近からはフンコロガシの飼育ケージが発見されたことから、いわゆる『スカラベ』事件との関連もあるとみて、警察が調べを進めています。




 病院のベッドの上で、私はぼんやりとニュースを見ていた。

 天気は快晴。

 レースのカーテン越しにも眩しいくらいである。

 清々しい陽気は、すべてをやり遂げた私の気持ちの鏡写しだ。


「おはようございます。朝の検診のお時間ですよ」


 同い年くらいの若い看護師さんに声をかけられ、私は振り返る。

 挨拶を返しそうになるが、ぐっとこらえた。

 今はまだ、意識が朦朧としているフリをしなきゃなのだ。


「体温から測っていきますね。……お名前、まだ思い出せませんか?」


 私はゆっくりと天井を仰ぎ見て、それから小さく首を横に振った。

 そうですか、と看護師さんが小さくうなだれる。

 本気で私のことを心配してくれているのだろう。

 記憶喪失が嘘だなんて打ち明けた日には、彼女は人間不信に陥るに違いない。


「……ぁ、の……みず……」

「飲み水ですか? すぐお持ちしますね」


 私の要望を聞いた彼女はぺこりと会釈をすると、ナースステーションのほうへと小走りで駆けていった。

 わがまま言ってごめんね看護師さん。

 何せ私は何者かに暴行された挙句、脚の腱を切られ、用水路の脇に捨てられた結果記憶を失った重症患者だからさ。



 ──続いて、富山のスタジオからお送りいたします。

 先週、魚津市内で立て続けに起きた異臭騒ぎは──。



 ベッド横のテレビはご当地ニュースを垂れ流す。

 ここは北陸の地。

 私はあのあと伊乃木いのぎさんの車を使い、足がつきにくいように小細工を繰り返しながら、遠路はるばるこの病院にたどり着いた。

 それで今は、正体不明の重症患者として入院三日目の朝を迎えている。


「……それにしても、伊乃木さん。探偵としてはまだまだだね」


 私は自分にしか聞こえないくらいの小さな声でささやく。

 口に出して噛みしめるのだ、勝利の実感を。


宍戸ししど未來みらいを殺した犯人は、すぐ目の前にいたのにさー」


 ほほ笑みながら、私は目を閉じた。

 十年前のあの時の情景を、反芻するように。



「こんばんは、宍戸未來さん」


 夜の公園で声をかけた私に、未來さんは怪訝な顔になって言った。


「あなたは誰? あの人の、代理人か誰か?」

「んー、よくわかんないけど違うと思うよ。私、未來さんを追いかけてきただけだから」

「……どういうこと?」


 私はにこりとして、自己紹介をする。


「私の名前は宍戸マミ。たぶんだけど、あなたの子供だよ」


 すると彼女は一気に青ざめ、口元を抑えた。

 心当たりがあるのだろう。

 無くては困る。


「うそ、まさか中三の時の……先輩との……どうして」

「子供の服に、自分の名前と連絡先のメモを入れておいたんでしょー? 残念ながら電話番号は間違ってたみたいだけど。名前だけで未來さんを探すの、大変だったんだから!」


 私は施設の職員を脅し、母親の名前が『宍戸未來』であることを聞き出した。

 そして紆余曲折を経て、小さな名探偵は見事に母親を探し当てたのである。


「あの施設って環境最悪でさー」


 私は暴力といじめが日常茶飯事の、地獄のような環境から抜け出したかったんだ。


「一緒に暮らそ、おかーさん。家族は一緒にいた方が幸せだって、ドラマで言ってたよ?」

「うるさい!」


 絶叫する彼女。

 彼女はバッグから包丁を取り出し、私に見せつけるように翳した。

 私は突然の包丁の出現に戸惑う。


 今になって思えば、伊乃木さんからの呼び出しにただならぬ思惑を感じ取っていた彼女が、護身用に隠し持っていたんだろうね。


「わたしは御曹司と結婚するの。邪魔をしないで!」


 彼女は私を拒絶する。


「そんなこと言わないでよ、おかーさん!」

「違う! 私は……!」


 拒絶する。


「私たち、家族だよね!?」

「……今更家族になんて、なれるわけがないでしょ!」


 拒絶。

 目頭を押さえながら、ついに未來さんは包丁を突き出した。

 その時。


 ──本当は刺す気なんてなかったのかもしれない。

 ──包丁は脅すだけのつもりだったのかもしれない。

 だけど、タイミングを同じくして、私は彼女に飛びつこうと駆けだしてしまっていたんだ。


 認めたくなかった。

 実の母親から完全に拒否されることなんて。

 受け入れられなかった。

 一緒に暮らせると、信じていたから。


 彼女の包丁は、私の脇腹に浅く刺さった。

 致命傷にはならない程度の小さな傷。

 だけど実の母親から受けた傷は私に絶望を与え、心の怪物を目覚めさせてしまったんだ。


「どう、して。私はおかーさんに会いたかった、だけなのに……」

「ご、ごめん、なさ」

「私を棄てて、一人で幸せになろうなんて、許さない!」

「ちょッ、やめ」


 私は未來さんの手を掴んでいた。

 彼女に包丁を握らせたまま、それを彼女の胸へと押し込む。


 はじめは何かを叫びながら抵抗していた彼女だけど、やがて私に押し負けて、包丁は彼女の服を赤く染めた。

 ぶちっという嫌な感触がして、未來さんは血の泡を吹いて仰向けに倒れる。

 痙攣が止むその時まで、彼女はうわごとのように命乞いをしていた。


「はぁ、はぁ」


 どうしよう。

 どうしよう、どうしよう。


 幼い私は死体の処理の方法が何も思い浮かばず、その場で五分以上徘徊していたはずだ。

 ところがそんな時、ふと公園の入り口付近に人の気配を感じたんだ。


 私は大慌てで遊具の裏に隠れる。

 すると男の人が一人、未來さんの死体に駆け寄っていくのが見えた。

 しかも、あろうことか彼女の死体を運び出し、どこかへ持ち去ってしまったではないか。


「……許さない」


 母親に裏切られたことへの怒り。

 命を奪ってしまったことへの後悔。

 幼い私の負の感情はどうしてか、死体を奪われたことへの憤りへとすり替わっていた。

 せっかく仕留めた獲物をハイエナに奪われたライオンの気分だった。


「あの男、絶対に見つけてやる」


 そう決意した私は、元いた施設とは別の児童保護施設へ赴き、『宍戸未來』と名乗って高校生までその施設で過ごした。

 母親の名前を借りたのは、もしかすると死体を奪った犯人が名前に反応を見せる可能性を考えたから。

 それと、過去の自分に区切りをつけ、誰も知らない新たな人生を歩みたかったからだ。


 これが一度目の死。

 『宍戸マミ』としての自分はこの時に死んだのだ。



 ──やがて思惑通りに、名前が運命を導いた。

 私は伊乃木さんに出会ったのだ。


 未來さんの死体が『スカラベ』事件の最初の被害者として扱われていることを知ったのはその時だ。

 探偵の下でならば、きっと死体を盗んだ犯人にたどり着けるだろうと思っていたけど、まさか伊乃木さん自身が犯人だったとはね。


 ……ああ。

 ちなみに彼には、きっちりけじめをつけてもらったよ。

 彼自身が未來さんの中身になる、っていうね。


「『宍戸未來』としての私は、あの廃村で死んだ。これからはまた、新しい私。二回目の死を乗り越えて、私は未来へ進むのさ」



 やがて、看護師さんがペットボトルの水を持って、病室に帰ってきた。

 私は晴れ晴れとした気持ちで、彼女に告げる。


「あのね、看護師さん。思い出したよ、私の名前は────」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フンコロガシの夜、探偵は二度死ぬ 筆折作家No.8 @8-eight-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ