第6話 転scene2
咄嗟に、私は彼の落としたナタを拾い上げた。
「いつから気付いていた? 『スカラベ』が俺だと」
「いや、ついさっきですよ。ってゆーか、『スカラベ』本人なんですね。模倣犯とかではなく」
「その通りだ」
彼が猟奇殺人者だとすれば動機も気になるところだけど、不可解なのは、蔵で見た伊乃木さんだ。
刺し傷から血が流れていたし、うめき声だって聞こえた。
作り物にしてはリアルすぎる。
「蔵で刺されていた伊乃木さんは?」
「ウレタンで作った偽物だ。中には生きた人間が入っていたがね」
特殊メイクをした別人だったってわけね。
にしても、まさか私を騙し討ちするためだけに人間一人を殺したのか。
「そこまでして、なぜ殺人を?」
「全ては、
「非科学的ですよ」
「あいつの魂を俺の元に引き戻すのに、元より科学など必要ない」
ああ、駄目だ。
最初から彼は理屈で動いていない。
「私、未來さんはそこまでの価値がある人じゃないと思いますよ」
脇腹の刺し傷が疼いた。
「お前に何がわかる」
彼が一歩、近づいてくる。
「確かに未來は俺を騙していた。だからこそ最適な中身を与えて、俺の知る清廉な彼女を取り戻すのさ!」
──中身。
ミイラ化していた未來さんは内臓だけを失っていた。
伊乃木さんは、彼女に相応しいと思われる臓器を求めて人を殺していた……?
「君なんだよ、
来る。
また、一歩。
「彼女の名を持ち、彼女と似た容姿。奇跡だよ。君こそがふさわしい。だから、俺は」
もう、一歩。
いや。
突然、彼は大きく踏み込んで来た。
私を捕えようと左手を伸ばし、掴みかかる。
「お前を、彼女の中身にするんだッ!」
「……ッ」
私は躊躇せず彼の腕にナタを振るった。
漫画みたいに『斬り飛ばす』なんて芸当はできなかったけど、彼の両腕には深い裂傷が刻まれた。
「お゛ォォ……あ゛あ゛あ!」
伊乃木さんは悶絶し、よろめきながら後退する。
勝負ありだ。
もう、彼に私を殺すことなどできない。
「答え合わせをさせてくださいよ、伊乃木さん。あなたは一体、何がしたかったんです?」
苦悶の表情のまま、伊乃木さんは上目で私を睨む。
だが、やがて観念したようにポツリとつぶやいた。
「──未來は、俺を裏切っていたんだ」
そうして彼が語ったのは、宍戸未來に対する激しい妄執であった。
十年前。
当時、交際二年目を迎えていた伊乃木さんは未來さんにプロポーズをしようと決心していた。
大金をはたいて指輪を買い、高級なレストランを予約して、準備は万端。
ところがそんな折、彼女が浮気をしていたことを知る。
相手はメーカー系企業の御曹司。
金に物を言わせて女を食いまくっていると噂の男であった。
『きっと、彼女も騙されているに違いない』
『自分を裏切るなんて、ありえない』
そう信じていた伊乃木さんだったけれど、現実は甘くない。
なんと、未來さんと御曹司の交際期間は伊乃木さんとの時間よりもずっと長かった。
本命彼氏の女遊びを認める代わりに、自分も男を作った……伊乃木さんは初めから遊び相手でしかなかったのだ。
『あの優しかった未來が、俺を騙していたなんて』
──彼の怒りは、やがて殺意へと変わっていった。
ところが。
「俺が未來を殺すために呼び出した公園で、彼女は、もう、死んでいたんだ」
うん、知ってる。
「ナイフを片手に仰向けで事切れていた。おそらく俺に殺されるくらいなら、と自殺を図ったんだろう。俺は……彼女の死体を見た瞬間、怒りなど吹き飛んでしまっていた。一瞬冷静になって、代わりに湧いてきたのは所有欲だ。ここから先は彼女を独り占めできる。そんな気がしたのさ」
こうして彼は死体を持ち去った。
はじめはハンバーグにでもして食べてしまうつもりで。
腐りやすい内臓だけ先に処理しようとして、彼はふと思う。
「思い出したんだ。昔、未來と共に見たエジプト展のミイラのことを」
ミイラとは、王の復活と再生を願い、肉体を未来へ残すための手段である。
いつか魂が帰ってきた時のために、魂の器を遺しておくのだ。
彼女を永久に我がものとするため、古代にならうことにしよう。
そうすれば肉体だけでなく魂までも手に入る。
──伊乃木さんはそう考えたのである。
「仕上げに、彼女の腹の黒い部分をそっくり入れ替える。そうすれば、俺の理想の未來が帰ってこられるはずなんだ」
伊乃木さんの頭のネジは、たぶん未來さんの殺害を決意したその時から吹っ飛んでいたんだろう。
彼はフンコロガシの飼育を始めると共に、未來さんの『中身』としてふさわしい存在を探すため、連続殺人を繰り返した。
狙うのは十代から二十代の女性。
未來さんに近い容姿を持つ人物を見つけると、言葉巧みに車へ誘い、殺す。
やがて殺せば殺すほど魂を降ろす儀式が成功に近づくのではないかと信じ込んだ。
「君が、君が仕上げだったのに、最後にどうしてこんな……クソっ」
「ふっふっふー、私、強いでしょー?」
「この状況で笑っていられるとはイカレてやがる」
いや、精神異常者はあなたでしょ。
私はいたたまれない気分になって、苦笑しつつ、頭をポリポリとかく。
やれやれ。
「……しかし、ああ、君は本当に理想の中身だよ。もしかすると、君自身が未來の生まれ変わりだったのかもな。それに早く気付いていれば、あるいは手を汚すことなんて……はは」
膿を出し切ったみたいな晴れやかな顔で、伊乃木さんは言う。
そのうち彼はふらふらとへたり込み、力ない表情で空を見上げた。
私もつられて天を仰ぐ。
相変わらず雲ばかりの空だ。
夜がだんだんとふけていく。
長い長い惨劇の終止符と共に、夜が深くなっていく。
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