第5話 転scene1

 逃げ込んだ先、これが良かった。

 なにせ朽ち始めた家屋そのものが廃材見本市。

 生き残るための最適な資材を見つけるにはうってつけだった。


 私は角材を右脚に括り付け、がっちり固めた。

 膝先が動かずとも、脚全体が固定されていれば体重は乗せられる。

 まあ、くっそ痛いんだけど。

 しかし杖に頼らずとも移動できるようになったのは大きい。

 何せ両手が空くのだ。

 いざという時の反撃には役に立つはず。


 私は次に、アルミホイルと空き瓶、破れたカーテンの切れ端を準備する。

 これらに先ほど見つけた金属製容器の中身を合わせれば……。


「これが、私の武器」


 私は絶望的な状況の中、わずかな活路を見出していた。


「そういえば、子供のころ閉じ込められた小屋もこんな感じだったな」


 私は孤児だった。

 物心もつかない幼児期に親に捨てられたのだ。

 だから私は本当の年齢すら分からない。

 施設で拾われた日が戸籍上の誕生日だから、実年齢はもう少し上なんじゃないだろうか。


 で、その施設がまた酷い環境だったのだ。

 子供同士での暴力が日常茶飯事の中で、職員の人も放置気味。

 上級生に山へ連れ出され、小屋に閉じ込められたことが何度あっただろう。


「おかげで人並外れたサバイバル能力が身に付けたワケだけどさー」


 持ち前の知識を試されるのが今だ。


 手筈が整った頃には、あたりは薄暗くなり始めていた。

 もうそろそろこの場所はペンライトでは心許ないほどの闇に覆われてしまう。


 だが問題はない。

 闇を照らす方法なら考えてある。


 私は隠れるのをやめ、建物の外に出た。

 ペンライトの乾電池と拾ったアルミホイルの切れ端。

 こいつを使って液体に触れれば。


「お願い! ついて!」


 ──途端、床一面が炎に包まれる。


 成功だ。

 金属製容器の中身は生きていた。

 たっぷりの灯油が、廃屋全体を燃やす炎を生み出したのだ。

 

「やった、これならやれる!」


 濃紺を帯びた曇り空に火災の明かりが反射して、廃村上空は緋色に染まっていた。

 幻想的な光景。

 しかし、ここまで目立てばあいつが放っておかない。

 

「何をやっている」


 炎を背にする私の前に、現れたのは黒い犬の覆面をした殺人鬼。


 ……今になって思い出した。

 あれはきっとアヌビス神を模しているんだ。

 ジャッカルの頭を持つ、死を司るエジプトの神。


「火事になれば、誰かが気付いてくれるかもしれないでしょ」

「無駄だ。この場所は人の住処から相当遠い。やはりこの場所に誘い込んで正解だったよ。不意を突く作戦も成功したしな」


 男がナタを構える。

 殺意の炎をたぎらせながら、ジリジリと詰め寄ってくる。


 しかし何だろう。

 誘い込んだって?

 作戦だって?


「いくら止血しようと、そろそろ体力的に限界なんじゃないか? いくら脚を固定したところで、その怪我では力むことすらできまい」


 彼の言うことは、ほとんど当たりだった。

 右の足先は既にほとんどの感覚を失っている。


「……だからどうしたってのさ!」

「大人しく贄となれと言っているんだ、宍戸ししど未來みらい!」


 男はナタを振りかぶりながら、急に大きく踏み込んできた。

 猪突猛進の勢いで、私を狙う。


「死ね、彼女のために、中身をよこせ!」


 ジャッカルが吠える。

 男のナタは、首を横なぎにする軌道を描いた。

 私はそれをバックステップで回避する。

 もちろん彼は止まらない。

 無茶苦茶に刃物を振り回しながら、跳び下がる私を追う。


 やがて、ついに私の背後には燃え盛る炎の家が迫る。

 これ以上退けば、大やけどを負いかねない。


「終わりだ!」


 ヤツがもう一度ナタを振り上げた、瞬間。


 ──今だッ!


 私は迷わず燃える廃屋へと一歩後退した。

 まさか獲物が危険ゾーンまで下がるとは考えていなかったであろう男の攻撃は見事に空を切る。


「なッ」


 男が焦りの声を上げる。

 が、まだだ。

 想定外の避け方をしただけでは、形勢逆転の切り札とはなり得ない。


 私はすぐさま隠し持っていたものを取り出し、火柱の中にその先端を差し入れた。

 液体の満たされた酒瓶の口に、拾ったボロ布をねじ込んだだけの、単純な構造。

 ボロ布は簡単に引火して、瓶の中の液体へと燃焼を伝導させていく。


 これこそが、私の狙い。

 状況をひっくり返す一手だ。


だとォッ!?」

「食らえクソ野郎!」


 私は渾身の力で酒瓶を投擲した。

 至近距離、しかも馬鹿力で投げつけた火炎瓶は男にぶち当たるなり大きく割れて、灼熱が周囲を包みこむ。


 ヤツは覆面ごと一気に燃え上がり、苦悶の声を上げ、地面を転げ回った。

 その隙に私は左脚で跳躍し、火炎地獄と化した廃屋付近を抜け出す。

 多分私自身もかなりの火傷をしたと思うけど、あちらさんはもっと酷い状況になっていた。


「熱い熱い熱い、クソ、燃える、スーツが、あアッ!」


 男は絶叫する。

 炎の勢いが強い。

 耐えきれなくなった男は、覆面や巻き布、そしてあろうことか身に纏う筋肉まで脱ぎ捨てたのである。


 それは、人間の裸体を模した着ぐるみだった。

 おそらく私の予期せぬ反撃に備えての防具として、あるいは万が一私が逃走した場合に正体を看破されぬように偽装するために、彼が用意したウレタン製のボディスーツ。


 私の眼前でついに裸体を晒した細身の男。

 その顔に、私は見覚えがあった。

 いや。

 見覚えなんてレベルではない。

 私はこの人に導かれてここに来たのだ。


 正直、予感はあった。

 『スカラベ』について妙に詳しく、探りに来たその場所がピンポイントで大正解なんて、出来過ぎだ。


「やっぱり、あなたでしたか」

「……どうせなら、正体を悟らせないままに君を殺したかったよ」


 殺されたはずの伊乃木いのぎトオルが、殺意の眼差しと不気味な笑みを顔に貼り付けていた。

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