第4話 承scene2

 ブザーは静寂を突き破り、廃村じゅうにこだましている。

 音の主は伊乃木いのぎさんに違いない。


 私は走った。

 ミイラのあった家を飛び出し、音をたどって村の奥へ。


 今、彼は恐らく大ピンチを迎えている。

 何かしらの証拠を見つけただけであれば、わざわざ私を呼ぶ必要がない。

 私の力を必要としている、つまりヤツはそこにいるということだ。

 他人のモノを平気で奪う、理解不能の殺人者が。


 巨大な倒木を軽く飛び越えると、いよいよ音の出所が見えてきた。


 村の最奥、一際大きく崩壊しきった屋敷のすぐ傍、漆喰で塗り固められた古い蔵。

 私は薄く開いていた頑強なその扉を、勢いのままに開け放つ。


「伊乃木さん!」


 瞬間。

 ひと目見ただけで状況を理解した。


 真っ暗な物置の木棚のすぐ下、崩れた薬瓶などと一緒に横たわる、ボサ頭の壮年男性。

 見覚えのあるワイシャツの、第三ボタンの下あたりに突き立てられた大型のナイフは、彼の鮮やかな体液を脈動と共に溢れさせている。

 彼の皮膚は血の気を失い既に真っ白。


 経験から、私は理解してしまった。

 この人は死ぬのだ。

 もう、助からない。


「落ち着け」


 なんとか動悸を抑えようと、深く息を吸った。

 落ち着かないと、次にこうなるのは私だ。


「誰がやったの。『スカラベ』? いや……」


 ヤツだとすれば、遺体の状況がまるで違う。

 殺した死体はひき肉にしてフンコロガシを置いて──。


 いや、何を考えているんだ私は。

 こんな短時間に遺体の加工なんて不可能だ。

 冷静になれよ、私!


「犯人はどこに──」


 私が敵の所在を気にし、振り返ろうと踵を引いた、その時。


「なッ──!」


 膝の裏に、輪ゴムの束を破断したかのような鋭い衝撃。

 慌てて脚を引こうとしてようやく、遅れて脳が激痛を認識する。


 私の右膝関節は、後ろからパックリと半分に裂かれていたのだ。


「あ゛ああァアァッ!」


 夥しい量の出血と共に、地面をのたうち回る。

 右の膝から先が全く動かない。

 たぶん、腱を切られた。


「どうだ。歩くこともままならないだろう?」


 背後から、くぐもった低い声。

 振り返ると、そこには蔵の入り口を塞ぐように立ちはだかる異形がそこにあった。

 筋骨隆々とした上半身をむき出しにし、下半身を巻き布で覆って、黒い犬だか狐だかの覆面を身に付けている。


 こいつが『スカラベ』だろうか。

 エジプト神話になぞらえた犯行をする、正体不明の殺人鬼。


 手にはナタ。

 私の血液で刃の一部が赤く塗れ、しずくが滴っていた。


「一体何なんだよ! こんなことをして、何が目的!」


 叫びながら、考える。

 現状を打開する方策を。

 生き延びる方法を。


 するとヤツは喉で笑い、ナタの先端をこちらに突きつけてくるのだ。


「知る必要は無い。供物となるお前には、な」


 相手は大きく振りかぶり、そのままの勢いで私を叩き切ろうとする。

 凶刃が迫る中、私は。


「死んでたまるか!」


 這うような姿勢から、両腕と左脚の力だけで跳ねた。

 迷わず相手の懐へ組み付く。

 ナタの軌跡は空を切り、ヤツは私のタックルをまともに食らって大きくよろめいた。


 押しきれる……!

 そう確信した私は、左脚に渾身の力を込める。


「私の馬鹿力を、なめんなぁあ!」


 伊乃木さんが認めてくれた、私の並外れた身体能力。

 私の唯一にして最大の武器をフルに活かし、無理やりに圧し通るのだ。

 ナタを取りこぼさせ、敵の身体を押し倒して、力づくで蔵の外へと転がり出た。


 これには相手も相当焦ったらしく、奇声を上げながら追いすがってくる。

 掴みかかってきたヤツの腕を、私は地面に背を付けた姿勢のまま右脚で蹴り上げた。

 腱が断ち切られ右脚だけど、遠心力で振り回すことくらいはできる。

 激痛を伴ったが、敵の意表を突くのには成功した。


「ぐ」

「せいやァッ!」

 

 相手が怯んだところに、今度は全身をバネにした左脚の蹴りを腹部めがけて捩じ込む。

 ぐにゃり、と人間のものとは思えない鈍い感触がして、『スカラベ』は後方に吹っ飛んだ。


 見たか、このやろう。


 隙を見て私は四つん這いで移動を開始する。

 それで、地面の石だとか、崩れた屋敷の瓦礫だとかをがむしゃらに投げつけた。

 生き残るためには死に物狂いで抵抗するしかない。

 不格好でも、利用できるものは何でも利用するのさ。


「……チィッ!」


 ヤツは大きく舌打ちをすると蔵の中へと身を隠した。

 常識外れの身体能力に火事場力が加わった今の私は、殺しの相手としては非常に厄介だと気付いたらしい。

 一旦距離を取るつもりのようだ。


 ならば私は今のうちに隠れるか逃げるしかない。

 でも、脚が不自由な状況でどうやって。


 ええい。

 考えていても仕方がない。

 私は脚を引きずりながら地べたを這い、廃村を取り囲む深い森の中へと潜り込んだ。


 ***


「これ、止血しないとまずい……よね」


 森の中を這い回り、やがて古びた神社の崩れた祠を背もたれにして、私は息を整えていた。

 周りを警戒しつつ、シャツの裾を引き裂いて帯を作る。

 右の太ももを縛り上げ、血を止める。

 これで多少は失血死までのカウントを伸ばすことはできただろう。


 ──この格好だと、脇腹が見えちゃうな。


 他人に見られぬよう隠してきた私の秘密。

 十年経ってなお痛々しい、刺し傷の跡。

 この刺し傷こそが、巡り巡って私を今のピンチに追いやっている気がする。


 にしても、どうしたものか。


 電波も届かないほど山深い廃村に、助けなど来るはずもない。

 かといって自力で近くの町まで逃げるなんて、手負いの状態では厳しすぎる。

 希望があるとすれば伊乃木さんの自動車だけど。


「きっと、待ち伏せされてるよね」


 村の出口は一箇所。

 あの長い長い廃道を抜ける唯一の方法が自動車だと思う。

 当然、相手もそのことはわかっているはず。


「でも、やるしかない」


 私は上体を起こし、そばに落ちていた木の枝を拾い上げた。

 松葉杖の代わりくらいにはなるだろう。

 いっちに、さん……よし、歩ける。


 この先は運を天に任せよう。

 フラフラと移動を開始した私は、集落を大きく迂回するようにして、山林を進んだ。


 ──そして、半刻ほどして身を隠した廃屋で、私は『ある物』を発見するのである。

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