二極点
岡倉桜紅
二極点
「御覧ください。見えてきましたよ!」
記者が興奮した様子で前方を指さす。テレビクルーはスノーモービルに乗って真っ白な地平線へと突き進んでいた。見渡す限りの雪原と雲一つない青い空。その地平線の間に、何か地上からそそり立つ背の高い塔が見えていた。スノーモービルがその塔へとぐんぐん近づいていくと、徐々にその塔の細部が見え始める。
「あれが今年で50周年を迎える人類の希望の塔、ノースポールです。北極点に数ミリの誤差もなくまっすぐに立った白い塔は、直径50メートル、高さは100メートルです」
記者はカメラに向かって説明した。
スノーモービルは塔の根本あたりでエンジンを止めた。塔の根本にはたくさんの人間が集まって何か作業をしているのが見える。
「今日はここ、北極点で人類のために働く、名誉ある作業員たちのお仕事の実体を取材していきます」
テレビクルーがスノーモービルを下りて塔に向かって歩いていくと、オレンジ色の作業着を着た、責任者らしき人が歩いてきて会釈をした。
「ノースポールの責任者であり、地軸矯正理論の提唱者でもあるスミスさんです。さっそくお話を伺っていきましょう」
記者はマイクを向ける。
「まず、地軸矯正理論について簡単に説明していただけますか」
スミスと呼ばれた初老の男は真面目な顔で頷いた。
「はい。地軸矯正理論とは、数十年前から問題になっている地球温暖化を解決するための根本的、有効的な理論です。地球は23.4度も傾いているわけですが、この傾きのせいで夏は超暑く、冬は超寒いというめんどくさい気候になってしまっています。もしこれが垂直とは言わないまでも、10度くらいの傾きになったなら、地球での一年間は春や秋のようになり、ずっと暮らしやすくなるでしょう」
「で、地軸の傾きを調整しようという活動が行われているわけですね」
「そうです。北極点と南極点にそれぞれノースポールとサウスポールを立てます。そして、そのポールに縄をくくりつけて同時に反対側に引っ張ります。地球は自転をしているので引っ張りやすい方向というのは毎時刻変わります。だから、北極では時計回りに、南極では反時計回りに回りながらポールを引っ張るのです」
カメラはノースポールの根本を映す。ポールには数えきれないほどの多くの縄が巻かれ、筋骨隆々のマッチョたちがそれを引っ張っている。
「ちなみにこの50年で地軸はどれくらい傾いたんですか?」
「……」
スミスは咳払いをした。表情が暗い。
「ありがとうございます。では次に、実際に作業している作業員さんたちにインタビューをしてみましょう」
記者はまあまあイケメンでカメラ映えしそうな、浅黒い肌の細マッチョを捕まえてきてカメラの前に出した。
「ここに働きに来てどれくらいですか?」
「ちょうど一年くらいですね」
細マッチョは真面目そうな顔をしており、背筋を伸ばして姿勢が良い好青年だった。気温はマイナス以下だが、上裸の胸板には汗が光っていた。
「ここではどんな仕事を?」
「そりゃあもう、朝から晩まで一心不乱に縄を引っ張っています。地球の未来のために身を粉にして働くというのは気持ちのいいものです」
「地球のために働くというのは誇りが持てる仕事ですね。ここで働こうと思ったきっかけは?」
「ええと、雑念を消したかったからです。実は僕、去年彼女に振られて。振られた理由が真面目過ぎるから、だったんです。それで、生きる理由がなくなって……、ヒック、でも、うう、こんな真面目しか取り柄の無い僕を必要としてくれる仕事って……これしかなくてぇ」
細マッチョは泣きだす。だいぶ放送事故なのでカメラは適当に青い空を映している。
「あ、ありがとうございました。じゃ、別の人にも聞いてみよう」
記者はインタビューを切り上げた。
「他に良い人が見つかるさ。大丈夫、君はけっこうイケメンだよ」
記者はカメラ外で細マッチョの肩をさすった。
「僕、毎日手紙を書いてたんですよ。一日も欠かさず変わらない愛を伝えていたんです。でもそれが彼女にはめんどくさかったらしくて。僕、彼女のことを理解したつもりになっていたけど、なんにも理解してなかったんだな。真面目すぎるのがいけないと言われたので、真面目じゃなくなるにはどうしたらいいか真面目に考えたんです。でも、わからなくてぇ」
「真面目なんだね」
カメラは今度は縄を一生懸命に引いているシロクマを映す。
「この仕事を誇りに思いますか?」
記者はマイクを向ける。
「ガウガウ」
「誇りに思うそうです」
一通り取材を終えてテレビクルーは赤道近くの本社に戻った。
「さて編集するとするか」
「え、南極には取材に行かないんですか」
記者は驚いて言ったが、編集長は首を振った。
「いや、北極だけで十分だろう。南極に行ったって画は全く変化が無いし、どうせ縄を引っ張ってるだけで仕事内容もおんなじ。違いなんてせいぜい時計回りか反時計回りかの違いだけだろ」
「でも、北極のクマにはインタビューしたのに南極の方はインタビューしないなんて不公平じゃありませんか?」
「南極にはクマいないだろ」
編集長は予算を気にしてかあまり乗り気ではなかった。
「じゃあ僕だけで行きますよ」
記者は決意した。毎年このテレビ局では北極のことだけ取材して報道していたが、北極での仕事の雰囲気と南極での仕事の雰囲気はもしかしたら違うかもしれない。それは取材しなければ決してわかることはない。いちジャーナリストとして、たとえ結果的に無駄だったとしても確かめなくては気が済まなかったのだ。
「見えてきたぞ、あれがサウスポールか」
白と青の水平線に高くて白い塔が見え始める。
「すいません、赤道のあたりから来たテレビ局の者ですけど。取材させてもらってもいいですか?」
記者はビーチパラソルを広げ、その下でデッキチェアに寝そべって本を読んでいる男に声をかける。オレンジ色の作業着を着ているので休憩中の作業員だろう。
「いいよ。って言ってもここには雪以外特になんにもないけど。何を取材したいんだい?」
男はでっぷりとした身体をデッキチェアから起こす。
「地軸矯正理論の最先端の現場の仕事について」
「地軸矯正理論!」
男は笑った。
「南極でそんな大層な仕事をしてるやつは見たことないな。みんなたいてい朝の早い時間に踊りながら縄を引っ張って、時々縄跳びなんかしたりして、その後はすっかり自由時間。酒を飲んだり、日光浴をしたり、ホッケーと雪合戦がアツいな」
記者がポールの根本を見るが、縄が雪に埋もれかかっているだけで、それを引っ張っている人は一人もいなかった。記者の足元をペンギンがつーっと滑って行った。地軸がさっぱり傾かないわけだ。
「地球の未来を守る仕事に誇りは感じますか?」
「南極の空気は埃一つなくて綺麗だよ」
「人間のすれちがいについてどう思います?」
「気にしないほうがいい。気楽に生きればそのうち噛み合うさ。地球はいつでも回ってるんだぜ?」
男は陽気に言った。人間の営みとは実はこんなものなのかもしれないと記者は思った。たくさんの人間が力を合わせたり邪魔をしあったりして、知りたいことを知り、知らないことは内緒のままで、やりたいことに力を注ぎ、健気に生きているのだろう。
記者は赤道に戻ると北極の細マッチョに手紙を書いた。
「今度、南極の女を紹介するよ」
返事が来るかどうかはわからないし、どちらでもよいと記者は思った。
二極点 岡倉桜紅 @okakura_miku
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