バスに乗って出かけよう

増田朋美

バスに乗って出かけよう

その日は寒い日で、なんだか出かける人も少ないのではないかと思われたが、ところがどっこい、いろんな人が集中しているのが駅というものだ。なんだかイベントがあったりとか、美術館へでかけたりとか、いろんな人がいろんな目的ででかけている。だけど、いくら車が発達したとはいえ、すべての人が車に乗ってでかけるわけではない。中には電車とか、バスに乗って出かける人もいるのである。そしてその中に歩けなかったりとか、目が不自由だったりとか、そういう人間がいるとどうなるか。それを連想させる事例が日本ではなかなか無いが、でも公共の交通機関に携わる人であったら、必ず一度や二度は遭遇することなのかもしれなかった。

バスの運転手をしている白河寛子は、その日もいつもどおりに指定された静岡駅のバス乗り場にバスを止めた。

「このバスは、済生会病院前、小鹿公民館前経由、東大谷行でございます。お乗り間違えないようにご乗車ください。」

そのくらいの車内アナウンスで、お客さんたちもわかってくれるから、いいほうだと思った。

バスに乗ってくるのは、いつもと変わらない、学生やサラリーマンばかりだ。バスに乗りたがっている客はいっぱいいるけれど、寛子が担当している東大谷行に乗っていくのは、本当に少ないことを寛子は知っている。どうせ、バスに乗るのはそういう人ばかりなのだ。バスのポスターなどにはいかにも観光客が多いように見えるけど、バスに乗る客は固定化してしまっている。近くにある静岡大学までであれば、学生が結構乗ってくるのであるが、今は学生も教員もマイカーの時代なので、バスに乗っていく人は大幅に減っており、東大谷まで乗っていく人は、いつものメンバーばかりになってしまっていた。

寛子は、バスの入口のドアを開けようとしたが、その近くに車椅子に乗った男性が居たのに気がついた。寛子にしてみたら、そういう人は生意気な存在である。え、まさか私のバスに乗るのと寛子は面食らったが、

「僕も乗せて。」

バスの外で、その男性は言った。他の乗客は迷惑そうな顔をしてはいない。寛子は困ってしまう。それではこのバスにどうやって車椅子の人を乗せたらいいのだろう。車椅子に対応しているバスならいいのだけど、寛子の運転しているバスはそうではなかった。そうなると、バスに乗るのは無理なのではないかと寛子は思った。

「ねえ僕も乗せてよ。」

車椅子の男性は、ドアの向こうからそう言っている。寛子は、なんて生意気なのだろう、絶対に乗せてはならないと思った。こんな人がバスに乗ったら、とても困ることは確かだ。それにバスは誰でも乗れるというわけではない。私は、車椅子の人を乗せられるような技術も無ければ体力もない。

「バスに乗らないで、電車とか、タクシーに乗られたらどうですか?」

寛子はその人に冷たく言った。

「だって、タクシーは一台も止まってないじゃないか。それなら、バスで行くしか無いじゃないかよ。」

確かにタクシー乗り場は人が大勢いて、次々にタクシーに乗り込んでいくのが確認できた。それに、車椅子でタクシーに乗るのなら、そういうデザインのタクシーに乗らなければならないが、それは一台もなかった。

「それに僕みたいな人は乗れるタクシーが限られているもんでね。なあ、乗せてくれないかなあ。僕、ちゃんと運賃は払えるし、バスの中では静かにしますから、お願いします。」

改めてその男性は言った。でも、寛子は、バスのドアを開けるきにはならなかった。そんなに障害のある人を手助けしてもいいものかどうか。

寛子が、そう思ってしまうのは理由があった。この仕事につく前は、ある農園で働いていた。そこには、知的障害のある人がいて、寛子も一緒に仕事をしていたこともあった。もちろん、そういう人は、いくら教えても学習できないのだと言うことはわかるけれど、知的障害のある人達は待つと言うことができなかったり、食事を食べるにしても、ライオンみたいにかぶりついたり、そういうことばっかりしているから、寛子はそういう人を受け入れることができなかったのだ。音をぴちゃぴちゃ立てながらスープを啜ったり、制服を着ないでゴム草履で通勤してきたり。それは知的障害があるからしょうがないという理由があるんだろうけど、それでも障害がある言うことで、叱られるのを免除されてしまうということに、寛子はおかしいと思っていたのだ。確かに歩けない人が階段を登れないというのも分からないわけでも無いが、寛子にしてみたら、自分たちが汗水垂らして働いているのに、障害のある人達を優遇してあげなければ行けないという社会のルールがどうも、不公平な気がしてならないのだった。どうしてそういう人たちに自分が犠牲にならなければならないのか、疑問に思ったのだ。

「おい頼むよ、運転手さん。頼むから、乗せてくれないかな。あの、大谷小学校ってところまででいいんだ。」

とその人は言っているが、大谷小学校というところは、静岡大学より更に先で、あまり降りる人がいない、辺鄙なところだった。そんなところになぜこの人は行くのだろうかと寛子は考えていると、

「あら、杉ちゃんどうしたの。今日はバスに乗って、お出かけですか?」

寛子の上司である男性の運転手が車椅子の人に声をかけた。

「そうなんだ。実は大谷小学校というところで降りたいんだが、このブスッとしたお姉ちゃんが、バスに乗せてくれないんだよ。」

と、杉ちゃんは言った。寛子としてみれば、バスに乗ると不便なので別の乗り物がいっぱいあるじゃないかと上司が提案してくれるのではないかと思ったが、

「そうなんだね。大谷へ何をしに行くのかな?」

と上司は彼に聞いた。

「うん、確か大谷小学校の近くに、風鈴堂クリニックってあっただろ?そこへ相談に行きたいんだ。実は、水穂さんがあまりにも体調が悪いので、それを相談に行きたいわけ。それで行きたいんだけど。」

杉ちゃんと呼ばれた人はそう言っている。寛子はそんな事を考えているのかと思った。障害のある人が人のために何かをするなんて有り得る話だろうか?障害のある人は、自分のことばかり話して、いつも俺はこうだ、私はこうだとそういうことばかり話している人であると思った。

「ああ、あの有名な漢方内科だね。華岡青洲の発明した漢方薬も売っているとか。うちのお客さんも、それを買いに行っている人がいるよ。杉ちゃんもその相談なの?」

上司は、杉ちゃんにそう聞いていた。

「まあ、それに近いかなあ。それより僕としては、ご飯を食べてもらいたいんだが、、、まあとにかくな、このバスに乗っけてくれよ。そうでなければ目的の場所に行けなくなっちまうよ。そうなれば、水穂さんのことも相談できなくなっちまうよ。だから、ドアを開けてくれないかな。よろしく頼む。」

杉ちゃんに言われて、上司は寛子に、

「白河さん、ドアを開けて。」

と言った。寛子は、恐る恐る、バスのドアを開けるボタンを押した。なんだかこの障害者、不思議な人だと思った。こんな障害があるのに、人のためにバスを利用するなんて。それとも障害があるから、人のためになにかしようという気持ちが強いのだろうか。よくわからなかったけど、そういうことなら、バスを使ってもいいと思った。

上司は、すぐに杉ちゃんを背負った。そして、彼をバスに入らせて座席に座らせた。車椅子は折りたたんで、座席のそばに置いた。上司はバスを発車するように言った。寛子は、

「発車します、おつかまりください!」

と言って、バスを動かし始めた。他の乗客はやっとバスが動き出したみたいな顔をしているが、寛子はそれは見なかった。そしていつも通りに、バスが止まる停留所ごとにアナウンスを入れる。静岡大学のところで乗客は大量に降りていくと、バスは杉ちゃんと、寛子の上司、そして数人の乗客だけになった。やがて大谷小学校が見えてきた。寛子はアナウンスのボタンを押す。

「次は大谷小学校前でございます。お降りの方は押し釦を押してください。」

ところが杉ちゃんには押し釦は届かなかった。寛子は、また文句が出るかと思ったが、上司がすぐに押してくれた。そこで寛子は、

「次止まります。バスが停まってから席をお立ちください。」

というアナウンスを入れた。なんだかそのアナウンスも変な気がしてきた。席をお立ちくださいって、杉ちゃんには立てないんだと思った。そしてバスは大谷小学校前で止まった。上司は杉ちゃんを持ち上げて、すぐに車椅子に乗せてくれて、あと払いをするために、彼を運賃箱の近くに連れて行く。杉ちゃんは、運賃である350円を、運賃箱に入れ、寛子に向かって、

「どうもありがとうな。乗せてくれて助かったよ。ありがとう。」

とにこやかな顔で言った。それが自分のことばかり考えている人とは違う印象を受けた寛子は、杉ちゃんに向かってもう乗らないでくれとは言えなくなってしまい、

「ありがとうございました。」

と言って、降り口のドアを開けてあげたのだった。杉ちゃんは上司に手伝ってもらってバスを降りていった。それを見届けて寛子は一ついいことをしたと思った。



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バスに乗って出かけよう 増田朋美 @masubuchi4996

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