第2話 彼の優しさ

私は、昔から人に感情がドライだと言われてきた。同性の人に対しても、異性の人に対しても、同じ態度で接してきてた。それでも、私は容姿に恵まれているから、いろんな人が話しかけてきて、遊びにも誘われた。


でも、私はそれを断り続けた。私と遊んでも楽しくないから。人の感情がわからない。表情が固くて笑うことがあんまりない。というか、笑ったことが人生の中でない。


小学校、中学校と、長い間ずっと男子から毎日のように告白され続けてきた。時には昨日告白してきた人が、また告白してきたり、自分はお金持ちでスポーツもできるからという理由だけで告白してきた人もいたりした。その度に私は呆れて断るしかなかった。自分でも、容姿が人よりもいいことは自覚している。だから、こんなことが毎日続くのは仕方がないと思っているけど、まるで私を道具のようにしか思っていない人に告白され続ければ、さすがの私でも嫌気が差す。


中学を卒業してそこそこ頭のいい高校に入学して、そこならなにか変わるかもしれないと思っていたのだけれど、結局何も変わらなかった。入学して登校初日で、先輩やら同学年の人から告白祭りのような状態になってしまった。中には私を追って、この高校に入った人も何人かいて、私はとことん嫌になった。


諦めの知らない男子に呆れて、その結果、同じ学年の女子からは私が悪いわけでもないのに嫉妬されて、挙句の果てにはつるむ人もいなくなった。でも、それで良かったのかもしれない。私は一人のほうが好きだった。誰に邪魔されない穏やかな空間が何よりも好きだった。


一人なら、感情に左右されることなく、ただ淡々と過ごせる。そう思っていた……あの日までは__


__放課後


「……どうしよう。傘持ってきてない」


その日、天気予報では一日晴れると言っていたのに、雨が降ってきて、あいにく傘を持ってきていなかったから、昇降口で立ち往生していた。あたりに人には人もいないから、濡れること覚悟で帰ろうと思ったそのとき__


「あれ? まだ人いたんだ」


後ろから声がした。


振り返ってみるとそこには、同じクラスであろう人が傘を持って立っていた。


「どうしたの? まだ帰らないの?」


彼は私に話しかけてきた。私は突然話しかけられたことでなんと答えればいいのか迷ってしまった。


「あ、そういうことね……」


彼は私の手元に傘がないことに気づくと、自分が持っていた傘を開いて私のもとによってきた。


私は彼が何をするのか分からなくて混乱していたけど、どうせこの人も周りの男子と同じように下心でもあるのだろうと思い、少し距離を置いた。


「あれ? なんで離れるの? 傘がないみたいだったから入れてあげようと思ったんだけど」


「……あなたも私のことが好きだから、傘の中に入れる代わりに付き合ってほしいとかそういうのでしょう?」


自分でも失礼なことを言っているとわかっていたけど、今までの経験からそういうような人しかいないと思ってしまっていた。彼の親切を踏みにじるような形になってしまうけど、私はごめんだった。けれど___


「僕が君のことを? ないない。これはただの親切心だよ」


「……え?」


驚きのあまり目を見開いた。彼は微笑んだまま私に傘に入るように差し出し、それから何も言わなかった。


私は瞬時に彼の言葉が本当なのだと悟った。だから、静かに彼の差し出してくれた傘に入った。


「なんか初めてやったけど、実際にやると恥ずかしいなこれ」


「……当たり前でしょう」


初めてなのにあんなにスムーズに誘えるものなのだろうか。恥ずかしいと言いつつも、顔が全然赤くなっていないのはなぜなのだろうか。


私は歩きながらそんな事ばかり考えていた。


帰っている間、私達は何も話すことはなかった。あいにく、彼とは家が近かったこともあって、そのまま家まで送ってもらった。


「じゃあ、僕はこれで」


「……あの、ありがとうございます。家まで送ってもらって」


「いいよこのくらい。困ってたらお互い様って言うでしょ?」


「これに限っては私が一方的に困っていたように思えるのですけど……」


「あれ? そうなるのか? 日本語って難しいな……」


この人は何を言っているのだろうと純粋に思った。日本人でも難し言葉というものがあるのだなと思ったけど、彼からするとそういうものなのかなと思った。


「あの、この借りは返します。断るのは禁止ですから」


「ええ……拒否権なし? これくらいのことでそんな大げさにされてもな……」


「借りたものは返すのがマナーですので、何でも返します」


「え?! なんでもっていった?!」


いきなり大きな声で叫ばれて驚いたけど、喜んで考えている彼を見て私は微笑ましく思った。初めての感情だった。


「……もちろん、良識の範囲内で、です」


「うーん、じゃあ」


そういうと彼は私の顔を見て答えた。


「僕の名前、覚えておいてもらおうかな」


「え?」


私はきょとんとした顔をして彼の顔をみた。


今まで私に貸しを作った人は何人もいたけど、全員、私と付き合いたいとか、友だちになってほしいとかそういうのばかりで、このようなお願いをされたのは初めてだった。


「あ、でも名前なら流石に知ってるのかな? チョイスミスったかな?」


「え、ちょ、ちょっと待ってください……!」


思わず止めてしまった。何がなんだか分からなくて止めてしまったため、彼もきょとんとした顔をしていた。


「え? なに、僕何かまずいこと言ったかな?」


「いえ、そうではなくて。本当にそんなことでいいですか?」


「なんで?」


私は何を聞いているんだ。せっかく名前を覚えてもらうだけで済むはずだったのに、私は何を期待していたのか。


「その、私と付き合いたいとか、遊びたいとかっていうのは……」


「んー、ないかな。確かに君は美人だし、そういことをお願いしてもいいのかなって思うけど、そんな話したこともないのにそれってどうなのかな? って思ってね」


この人はどこまでも紳士的なのかと思った。今まであった人の中で一番マトモな気がする。彼にとって、傘の中に入れて上げるのは当たり前のことなのだろう。たとえそれが恥ずかしいことだったとしても、彼からすれば大したことはないことなのだろと私は思い、彼の頼みを聞くことにした。


「……わかった。じゃあ、名前、教えてください」


「藍沢あおと。よろしく」


「はい。よろしくお願いします」


当然、彼の名前は高校に入ったときから知っている。だけど、彼が覚えていてほしいと言ったのなら、私は覚えておくことにした。もしかしたら、これからもっとかかわっていく可能性があるから。


と、そんなことを話していると家の玄関扉が開いた。


「もう、こんな時間に外で何騒いでいるの?」


「あ、お母さん」


「あら、楓じゃない」


中から出てきたのは私のお母さんだった。まあ、当然か、ここ私の家だし。


「そちらの方は?」


「あ、すみません。こんな時間に玄関前で騒いでしまって……僕は楓さんと同じクラスの藍沢あおとといいます」


「あら、ご丁寧にどうも」


お母さんは笑顔で彼にお辞儀した。それにつられるように藍沢君もお辞儀をした。


「うちの娘が何かしませんでしたか?」


「ちょっと、お母さん。さすがにそれは失礼じゃない?」


「あはは、大丈夫でしたよ。ただ、傘がなくて困っていたので入れてあげただけですので」


「あら、ごめんなさいね? 楓が悪いのにそんな家まで送っていただいて」


「いえ、構いません」


お母さんがもう一度頭を下げると、藍沢君は開いている手を振った。目上の人に対しての言葉遣いや、態度まで完璧となると、彼の家ではそういうところは厳しいのかもしれない。


「明日、改めてお礼させてちょうだい。このままというわけにもいかないから」


「いえ、本当に大したことはしてないので、それにお礼ならさっき楓さんにしてもらったので、お母さんがなにかする必要はないですよ」


「あら、お母さんだなんて……楓、あおとくんがいい人で良かったわね」


「それどういう意味?」


私はお母さんにジト目を向けつつ、彼のほうを見た。相変わらず彼は微笑んで私たちの会話を聞いて笑っていた。


「あの、本当に今日はありがとうございました。おかげで濡れずに帰れたので」


「濡れてないならよかった。じゃあ、僕はもう帰るね。長居するわけにもいかないし」


「……うん。またね」


「うん。また」


そう言い残して彼は帰路に就いた。私はなぜかニヤニヤしているお母さんを家に詰めながら家に入った。


でも、私の中には確かに不思議な感覚があった。今までに感じたことがないくらい、温かい気持ちになっていた。


いったいこの気持ちは何?


その時、私はもっと彼を知りたいと思った。

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