少女の向かう先は

盲目の女性は、大垣澄音おおがきすみねと名乗った。彼女の家は先ほどの街から電車で二駅離れた場所にある、閑静な住宅街にあった。

一つの一軒家の前で立ち止まると、澄音さんは慣れた様子で門を開けた。そのままスムーズに玄関へと向かう。


「お邪魔します・・・」


彼女に促され家に入る時、藍は少し緊張した。玄関を観察すると、靴箱の上にいくつかの置物があった。澄音さんは目が見えない。この置物たちをどんな気持ちで置いたのだろう?それとも視力を失ったのは最近で、これらはその前からあったのだろうか。


藍が靴を脱いで揃えると、澄音さんは白杖を玄関の角に置いた。それから居間に通され、その先にあったダイニングの椅子の一つに座るよう促された。藍を座らせた澄音さんは自分の荷物を置くと、「お茶とお菓子を用意するわね」と言い台所に入っていった。その間の動きはゆるやかではあったがどれもスムーズで、彼女が盲目になったのは最近ではないのだろうなと思った。


澄音さんが茶菓子の用意をしている間、藍はさっと辺りを見渡した。ダイニングには三つ窓があって、そのうち二つの窓辺にやはり置物が置かれていた。それらはガラスや陶器製の人形だったり動物だったりして、玄関にあったものもそうだが、どことなく可愛らしいというか、少しメルヘンな感じがする置物たちだった。


「お待たせ。藍ちゃんは紅茶は飲める?」

市販のビスケットやチョコのパイを載せたお盆を持ち、澄音さんが戻って来た。それを藍の前にそっと置いた。

「はい、飲めます」

「砂糖と牛乳はいる?」

「えっと、砂糖はほしいです。牛乳は大丈夫です」

藍が答えると、これお砂糖ね、と言ってティーポットのようなものが紅茶の隣に差し出された。

いただきます、と言って紅茶をすすった。なんだか緊張する。初めて会った人の家に来たのだから緊張するのは当然だけど、やはり澄音さんの大らかで包容力のある雰囲気に藍は戸惑った。

「藍ちゃんは学生さん?」

向かいに腰掛けた澄音さんが聞いてきた。声と話し方で若いと分かるのだろう。藍は静かに首を振った。

「バイトして生活してます。週5日で、です」

「そうなの」

澄音さんは静かに微笑み、それ以上詮索してくることはなかった。気を遣ったのかもしれなかった。

「私はね、事務職で働かせてもらってるの。障害者の雇用を取り入れてる会社でね」

藍は紅茶のカップに口をつけて頷いた。

「良い会社があってよかったですね」

「そうなの。本当に助かってるわ」

それから二人は適当な雑談をしていたが、話しながら、「この人は普通に生活するだけでも大変なのに、真っ当に仕事をしてる。それに比べて自分はどうだろう」と少し自身が情けなくなるような気持ちになった。


部屋の中に西陽が差してくると、その日はおひらきにすることにした。二人は連絡先を交換して、また是非とも会おうという話になった。藍は茶菓子の礼を述べて大垣家をあとにした。玄関まで澄音さんが見送ってくれた。彼女は終始温厚だった。とても普段大変な生活をしている人には思えなくて、そんな彼女がただひたすら眩しかった。



それから週に1回くらい、藍は澄音さんの家を訪れた。いつもお茶や菓子を用意してもらっていたので、藍から持ち寄ることもあった。水ようかんが好きだと聞いたので、少し良いものを買っていって二人で雑談をしながら一緒に食べたりもした。


澄音さんの目のことについては藍からふれることはしなかったが、澄音さんの方からぽつぽつと話してくれた。先天性ではなく、藍くらいの歳の時に病気で機能を失ってしまったらしい。藍自身が健康体だったし、周りにもそういった思いをした人間がいなかったので、神妙な面持ちで話を聞くことしかできなかった。それがなんだか少し歯がゆかった。


藍も藍で、両親が不仲な家庭で育ったこと、やりたいことが見つからず、その日暮らしに甘んじていることを打ち明けた。「本当はこのままじゃいけないとは思ってるんですけど」とこぼした藍に対し、澄音さんは「まだ若いんだから、そんなに焦らなくてもいいんじゃないかしら?きっと頑張って今のお仕事をしているうちにやりたいことが見つかるわよ」と微笑みながら諭してくれた。



大垣家でのいわゆるお茶会も4回目になった。その日藍は他の用事を済ませてから澄音さんの家に向かうことになっていたが、予定が押してしまい、手土産を買って行くことができなかった。

呼び鈴を押すと、いつものように澄音さんが出迎えてくれた。顔を合わせて早々に茶菓子を持ってこれなかったことを詫びると、彼女は気にしないでほしいと穏やかに笑った。そして自分も今日は用意していなく、近くにケーキ屋があるので二人で買いに行こうと提案してきた。その提案に二つ返事で乗った藍は、澄音さんと一緒にゆっくりと歩き出した。


ケーキ屋までの道のりをとりとめもない話をしながら歩いた。すると向かう途中でコンビニの横を通りかかった。店の横を見やると、十代の若者の男女が五、六人でかたまってたむろしていた。全員がゲラゲラと笑い声をあげていて周囲に注意を払っている様子はない。嫌な予感がした藍は澄音さんを若者たちから遠ざけようとしたが、一歩遅かった。ふざけた若者に突き飛ばされた別の若者が大きくよろけて、澄音さんにぶつかってしまった。澄音さんは小さい悲鳴をあげてその場に倒れ込んだ。


それを見た若者たちは少し気まずそうに苦笑いをしたが、謝罪をする様子は無かった。そんな彼らに対し藍は眉をつり上げた。


「おい、ぼーっと見てないで謝れよ。この人、目が見えないんだよ。ぶつかられたら怖いって少し考えてみれば分かるだろ」

藍はしゃがんで澄音さんを支えながら、きつい視線を送った。しかし若者集団は苦笑いのままだった。そのうちの一人の金髪の女が口を開いた。

「ちょっとぶつかっただけでしょ。それにそんなに怖いなら外に出なきゃいいじゃん。家のなかでおとなしくしてればいいっしょ」

金髪女の言葉を聞いた瞬間、藍は何かが脳の中でたぎるのを感じた。その感情は煮え立つように広がっていって、もはや制御ができなくなった。

怒りに溢れた彼女は隣の無人だった工事現場に駆け寄ると、落ちていた鉄パイプを拾い上げた。そして見る者をひるませる勢いで若者達に向かって行った。


「・・・ふざけんな!・・・・・・ふざけんなよ!!ちょっとは人のことを考えろって、言ってんだよ・・・!!ふざけんなっ!!!」


それは澄音さんが二度も似たような被害にあった怒りからなのか、純粋に若者達への怒りなのか、それとも、今まで溜まった自分の人生への鬱憤が崩壊したのか。どの感情なのかはわからなかったが、藍は叫びながら鉄パイプを振り回していた。あまりの気迫に恐れおののいた若者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行く。澄音さんはその様子を驚いたように(見)ていた。


遠くなっていく若者達を、藍は息を切らしながら見ていた。その手から鉄パイプが落ちて、大きな音を立てた。藍はまだ肩を上下させていて、自分の中に湧き上がった感情を抑えるのに時間がかかった。


呼吸が整ってきて気分も落ち着いてくると、藍は澄音さんに歩み寄った。彼女はまだ地面に座り込んでいたが、その表情はいくらか冷静になっていた。

「ごめんなさい、怖かったですか?思わずあんなことしちゃってすみませんでした」

澄音さんを支え、立ち上がらせた。すると澄音さんは首を振った。

「いいえ、大丈夫よ。藍ちゃんは本当に優しいわね」

その言葉を聞いた藍は少し顔をしかめた。

「優しい、ですか?あんなことをしておいて・・・」

「ええ、優しいわよ」

澄音さんの顔から恐怖と戸惑いは消えていて、いつものように柔和に微笑んでいた。


「ねえ、藍ちゃん」

白杖を拾い上げた澄音さんが藍に言葉を向けた。

「一つ、提案なんだけど・・・、藍ちゃん、ご家族とあまり仲が良くないって言ってたでしょう。・・・それで、藍ちゃんが良ければなんだけど、・・・私の養子にならないかしら?」

「・・・養子、ですか・・・?」

予想外の言葉に藍はぼんやりと聞き返した。

「ええ。私はもう家族が居ないし、目の不自由な人間とわざわざお友達になってくれる人もいなくて、藍ちゃんが遊びに来てくれるようになって本当に嬉しかったの。だから、藍ちゃんさえ良ければ」

思ってもいなかった提案だったのでだいぶ戸惑った。澄音さんと一緒に生活する。悪くない話に思えた。しかし少し考えた後に藍はこう返事をした。


「私は・・・、私は、澄音さんの家族になるような人間じゃないんです。澄音さんにはもっと心の綺麗な子がふさわしいと思います。・・・せっかくですけど、ごめんなさい。・・・今日は、これで帰ります・・・。家まで気を付けて帰ってください」


そして藍は澄音さんへ頭を下げると、駅の方面へと歩いて行ってしまった。背後に澄音さんの視線を感じた。彼女の提案は飲まなかったが、これを機に彼女は前向きに生きられるのだろうか?それとも、また泥沼を這うような人生を繰り返すのだろうか。知っているのは彼女しかいない。良い人生を送れるかどうかは、これからの彼女にかかっていた。願わくば、この盲目の淑女との出会いを意義ある方向へと向けてほしい。人生の中の出会いは、一期一会であるのだから。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼紺の夜空 深雪 了 @ryo_naoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ