盲目の淑女

コンビニの仕事が休みだったその日、藍は秋用の上着を新調しようと街に出ていた。今着ているものも気に入ってはいたが、年季が入ってきたためそろそろ取り替えようと思ったのだ。

服屋の入っているビルに向かう道すがら、通りは比較的人で賑わっていた。大都会のように人が密集しているわけではないが、そこそこ通行人は多かった。

今日はよく晴れているな、そんなことを思いながら歩いていると、前方から一人の女性が歩いて来るのが目に入った。


年齢は四十代くらいだろうか。全体的に柔らかい雰囲気のある女性だったが、両の目は閉じられていて、一部に赤い色のついた白い杖をついて歩いていた。目が不自由であるのは明らかだった。


女性は黄色い点字誘導ブロックの上を歩いていた。それだけなら別段問題視することはなかったが、女性の歩いていく先に若い男の集団がかたまって立ち話をしていた。男達はゲラゲラと笑っていて、女性に気付く様子は無い。藍はまずいな、と思ったが、その時にはもう女性が前に揺らしていた白杖が男の一人に当たってしまった。


「あ?」

ぶつかられたことに気づいた男は女性を振り返った。立ち止まった女性は慌てて詫びを入れたが、男は眉をつり上げた。

「おい、なんだよ・・・オバサン。・・・って、見えてねーのか。おーい、アンタ、どこ見て歩いてるんですかー?・・・・・・ハハ、どこっていうか、何にも見えねーか」

男は女性が盲目であることに気づきながらも、配慮するどころか逆に女性をなじる言葉を浴びせた。周りの男達も笑い声を上げる。女性は戸惑いと悲壮の表情を浮かべていた。

気付くと藍は男達の方へと向かっていた。そして女性を詰った男の元へ行くと、その男の腕を右手で押して突き飛ばした。するとわずかによろけた男は驚きと怒りの顔を藍へと向け、口を尖らせた。

「何だよ、てめー、何すんだよ」

といかにも脳内に何も入っていないような発言をした男に、藍は更に詰め寄った。

「おめーらこそなんも見えてねーのかよ。ここは点字ブロックだろ。邪魔なんだよ、どけよ」

藍が戒めると、発言した男を含め、その場に居た五人程が威圧するように藍に向き直った。

「は?お前、ふざけんなよ。なめてんのか?こっちは何人いると・・・」

強気に出てきた男達だったが、苛つきが頂点に達した藍は構わず大声を出した。

「だから、どけって言ってんだよ!てめーらは耳もついてないのか!?とっとと失せろって言ってんだよ!!」

藍の剣幕に、男達はひるんだ様子を見せた。そして「クソアマ」と言い残すと足早に立ち去って行った。しばらく男達を睨んでいた藍だったが、ふと我に帰ると、傍らで呆然としている女性に声を掛けた。


「大丈夫ですか?」

声を掛けられた女性はハッとすると、慌てたように笑顔を浮かべた。

「ごめんなさいね、大丈夫よ。あなたのおかげで助かったわ。ありがとうね」

「クソみたいな奴らでしたね」

去って行く男達の背中を眺めながら藍が呟くと、女性は眉尻を下げて笑った。

「ええ。悲しかったけど・・・、もうずっとこんな状態だから、今みたいなことはたまにあるのよ」

「そうなんですか」

いつから、とはさすがに聞けなかった。女性の悲しそうな表情が何だか藍まで侘びしい気持ちにさせた。しかし女性はすぐに柔和な顔になった。

「あなた、お名前は?」

「あたしですか?宮森、藍です」

「藍ちゃん、素敵な名前ね。・・・ねえ、もし良かったらなんだけど、これから私の家に来ない?さっきのお礼がしたいわ」

え、と藍は少し戸惑った。もう何年もかげを持ったような人間としか関わってこなかったから、普通の人との関わりに躊躇いがあった。

けれど、何かに飢えていたのだろうか。視線をずらしていた藍は少し考えてから、「じゃあ、お邪魔してもいいですか」と答えていた。その言葉に女性は柔和に笑い、藍を伴って杖を付きだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る