第32話 二人でランチ

     ※


 幸せな時間はあっという間に終わってしまった。


「映画、面白かったね」


「……だな。

 気付いたら夢中になってた」


 本当は映画どころではなかったというのが本音なのだけど、あまりにも恥ずかしくて言えるはずもない。


「あと、ね……手」


 莉愛が俺に手を差し出す。


「うん?」


「嬉しかった。

 してくれるかなって、期待してたから」


「っ――そ、そっか」


 動揺してしまって、羞恥心から目を逸らしてしまう。

 カッコ悪いから顔には出さないようにしたいけど、そこまで余裕を持った振る舞いは今の俺にはできなかった。


「ねえ、大希。

 次は、どこに連れてってくれるの?」


 少し声を弾ませて莉愛が俺に一歩近付く。


「ランチに行こうと思うんだけど……どうかな?」


 映画を観てから食事というのは決めていた流れだ。

 時間的にもいい頃合いだしな。


「うん。

 ちょうどお腹、空いてきちゃった」


「よかった。

 じゃあ、行こうか」


 お店の場所を案内しようと先に歩き出すと、


「……?」


 莉愛が俺を引き留めるように服の袖を掴んだ。

 振り向いて見えた彼女の頬が、少しだけむくれている気がする。


「どうしたんだ?」


「……さっきはしてくれたのに、もう……してくれないの?」


「してって……」


 最初、何のことかと思ったが――手を差し出されて気付いた。


「エスコート、させていただきます」


 膨らんでいた頬が緩んで、莉愛は優しく微笑む。

 そして俺たちは手を繋ぎ隣に並んで歩き始めた。


     ※


 数分ほど歩いた先に、小さなお店が見えた。

 店の前にはメニューが掛かれた看板が立っている。


「ここだ」


「可愛いお店だね。

 フランス料理なの?」


 メニューを見ながら莉愛が尋ねてくる。


「ああ。

 でも、ランチの時間帯なら気軽に頼めるくらいの金額だから」


 ランチコースは二千円。

 決して安くはないが、恋人の為に背伸びすると思えば高すぎるということはない。


「入ろうか」


 扉を開いてお店に入ると、直ぐに店員さんが出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。

 ご予約のお客様でしょうか?」


 頷いた俺の名前を伝えると、直ぐに席に案内してくれた。

 机には本日のランチコースが掛かれた紙が置かれている。

 店内を軽く見回すと、高校生から大学生くらいまでのカップルが多い。

 そのお陰もあってか緊張せずに気軽に楽しめそうだ。


「すごく雰囲気のいいお店だね」


「俺も初めて来たんだけど……写真で見るよりもずっといいな」


「今日の為に……色々と調べてくれたの?」


「……まあ……折角のデートだからさ。

 二人で一番楽しめるお店はどこかなって……莉愛が気に入ってくれたら、嬉しいんだけど」


「大希が一生懸命調べてくれたって思ったら、私はそれだけで気に入っちゃいそう」


 莉愛の言葉に思わず苦笑してしまう。

 でも、俺の想いも汲んでくれているのを感じて胸が熱くなっていた。

 このあと料理が万が一……口に合わないなんてことになっても、今なら笑い話で済みそうな気がする。

 だけど、そんな心配をする必要は全くなかった。

 前菜の季節の盛り合わせは彩が美しく、思わず写真に撮りたいと思うほどだった。

 一口食べると、次々と食が進んでしまう。

 それは莉愛も同じだったようで、「……美味しい」とポツリと呟きが漏れていた。

 前菜には、塩味や酸味を強めにすることで食欲をアップさせるという目的があって、見事にその狙い通りになっていた。


 続けてスープとパンが運ばれてきた。

 ヴィシソワーズというじゃがいもの冷製スープだ。

 まだ春先とはいえ、随分と温かい陽気なので冷たいスープは爽やかに楽しむことができた。飲みやすい甘さで、パンとの相性も最高にいい。


 そしてメインディッシュは魚のムニエル。

 産地直送の旬な魚を使って調理してくれているそうで、シェフにとっても自慢の一品ということだ。

 その言葉の通り、先程からバターの芳醇な香りが食欲を掻き立ててきた。

 ナイフで切って一口噛み締めると同時に、バターで焼きあがった魚の旨味が口の中に一気に広がって俺は舌鼓を打った。


 自分でも作ってみたいと思ったが……こんな料理を自分で作れるようになるには、どれだけの経験を積めばいいのだろうか?


(……勿論、プロの料理人と自分を比べるなんてできないけど、今度作ってみようかな)

 見よう見真似なので上手くはできないと思うが、いつか少しでもいいから近付いてみたい。

 そんな尊大な目標を抱きながら、最後のデザートが食べ終わるまで俺と莉愛は笑顔の時間を過ごすことができた。


「また、来たいね」


「俺も同じことを考えてた。

 何か記念日の度に来れるといいな」


「それいいね。

 じゃあ……適当に記念日を増やしちゃおうかな?」


 冗談っぽく言って笑う莉愛。

 だけど、何か理由を付けて食べに来たいと思うくらい、この店は俺たちのお気に入りになったのだった。

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