第7話 夢から覚めて

      ※


「ん……?」


 気付くと窓から夕陽が射していた。

 いつの間にか眠ってしまっていたらしく、教室はすっかり静かになっていた。

 身体を起こして周囲を見る。


「って……あれ?」


 隣の席で、七海さんが眠っていた。

 すやすやと安らかな寝息を立てている。


(……起こしたほうが、いい……よな?)


 このままじゃ陽が暮れてしまう。

 ここに一人残していくわけにはいかないだろう。


(……気持ちよさそうに眠ってる)


 起こすのが可哀そうになるくらいだ。


(……でも……仕方ない、よな)


 俺は意を決して起こすことを決めた。


「莉愛……」


 自分でも弱々しいと思うくらいの声で名前を呼ぶ。

 だが、全く反応はない。

 もう少し強めに呼んでみようか……と思ったが、なんとなく躊躇してしまう。


(……起こさなくちゃなんだけど……)


 可愛らしい顔で眠る七海さんを見ていると、やはり戸惑いはある。

 いや、でもこのまま放置するのは論外だ。

 マイペースな七海さんのことだ。

 起きたら朝でしたなんてことがあってもおかしくない。


「莉愛……起きてくれ」


 全く起きる気配はない。

 声を掛けるだけじゃダメか?


(……仕方ない、よな)


 自分に言い訳をして、俺は莉愛の肩に手で触れた。

 これには深い意味はない。

 ただ、


「莉愛……莉愛……もう直ぐ暗くなるぞ」


 彼女の肩に触れて、ゆさゆさと揺らす。


「莉愛、起きろ」


 もう何度か、彼女を揺さぶる。

 すると、


「ん……う~ん……な、に……」


 七海さんが眠そうに声を漏らした。

 長い眉が微かに揺れる。


「莉愛……起きないなら、俺はもう帰るぞ?」


「ぅ……や、だぁ……行っちゃ、ダメぇ……」


 ちゃんと聞こえているのだろうか?

 不思議と会話になっていた。


「なら、起きてくれ……起きられるか?」


「ぅ~……だる、い……」


 ゆっくりと、七海さんの目が開いた。

 まだ微睡(まどろみ)に包まれているのかとろんとした顔をしている。

 瞼が重みに逆らうことができないのか、今にも目を閉じてしまいそうだ。


「ほら、がんばって」


「……ねむ、い……」


「起きるのがつらいのはわかるけど、もう下校時刻になるぞ?」


「っ…ぅぅ……」


 ふらふらしながら、七海さんはなんとか身体を起こした。

 だが、瞼はもう完全に落ちていた。

 このままだと、もう一度眠ってしまいそうだ。


「もう……むり……立たせて……」


 だらっとした表情で、両手を俺に伸ばしてくる。


「わかった……」


 言って、俺は彼女の手を掴む。


「じゃあ、いくぞ」


 そしてゆっくりと、七海さんの手を引いた。

 だが、足に全く力の入っていない。

 七海さんの身体がふらっと揺れた。


「っ……ちょっと七海さん……」


 倒れそうになる彼女の身体を慌てて支える。

 突然だったので、思わずぎゅっと抱きしめてしまった。

 思っていた以上に華奢な身体は、少し腕に力を込めたら折れてしまいそうで、触れているだけで不安になる。

 でも、同時に感じた柔らかい七海さんの感触に、胸の鼓動が強く跳ねた。

 もしかしたら、俺のこのドキドキが彼女に伝わってしまっているかもしれない。


「ぅ……ぁ……ごめ、ん」



「い、いや……俺のほうこそ……」


 流石の七海さんも驚いたのか、頬が赤くなっている。


(……っ〜〜〜〜〜七海さん、顔面強すぎ!)


 俺は、そんな彼女を見ているだけで、時間がスローモーションになるような錯覚に陥ってしまった。

 だが、このままじゃ俺の心臓が持ちそうにない。

 だからなんとか声を絞り出す。


「……立てるか?」


 焦りにも似た感覚を覚えながらも、それを隠すように必死に言葉を紡ぐ。


「うん……」


 七海さんもやっと目が覚めたのか、ゆっくりと俺から離れていく。


「もう、大丈夫そうか?」


「……うん。

 ごめんね、大希。

 いつの間にか、ぐっすり眠っちゃってたみたい。

 直ぐに起きるつもりだったのに」


「俺は大丈夫だけど、随分とぐっすり眠ってたな」


「放課後になって大希を起こそうとしたんだけど……。

 すごく気持ちよさそうにキミが眠ってるの見てたら……私も眠くなっちゃって」


「……それで、莉愛も寝ちゃったのか?」


 俺がそう聞くと、七海さんが首を縦に振った。

 どうやら彼女がこんな時間まで眠ってしまったのは、俺のせいだったらしい。


「なんか、ごめん……」


「ううん。

 大希の寝顔、見れたから」


 淡々とした口調とは裏腹に、七海さんは本当に嬉しそうに笑う。

 俺の寝顔なんて見て楽しかったのだろうか?

 もしかして、変な寝言とか口にしてたとか?

 そんな俺の心配をよそに、七海さんは何か思うことがあったのか、悪戯っぽく微笑した。


「ぁ……考えてみたらさ、私の寝顔も見られちゃったんだよね?」


「っ!?」


 言われて、見てはいけないものを見てしまったという感覚に襲われる。

 落ち着いてきていた心臓がまたドキッと脈打った。

 男はともかく、女の子なら見られたいものじゃないだろう。


「ごめん……」


「謝ることないでしょ?

 お互い様なんだから……それに――大希だったらいいよ」


 その言葉に、鼓動がさらに強く、早くなっていく。

 夕陽に照らされる七海さんの笑顔が綺麗で、俺は目が離せなくなってしまう。


(……あれ? なんで、だろう)


 自分でもわからない。

 でも、頬が熱くなってくる。

 多分これは七海さんが本当に綺麗で、可愛いからで、そんな女の子と話して俺は緊張しているだけで……それ以外の意味なんてきっとない。


「もう……こんな時間になっちゃったね。

 ……帰る?」


「ぁ……そう、だな。

 校舎が閉まる前に、行こうか」


「うん。じゃあ……一緒に帰ろっか」


 当然のようにそんなこと言う七海さんだけど、女子と二人で下校なんて初めてで……また俺をドキドキとさせる。


(……七海さんは友達として、誘ってくれてるだけ……だよな)


 自分をそう納得させようとしたけど、なんだかいつもよりも変に七海さんを意識してしまうのだった。

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