迷宮を駆け抜けろ

アオノソラ

迷宮を駆け抜けろ

    1


 重い鉄扉を三人がかりで押し開けて、ついに〈学塔の迷宮〉スクールタワーダンジョンの最上層に辿り着いた。勇者シグは天井を振り仰ぐ。高い。天井が見えないほどの階層の高さだ。

 あの老人が言っていた通りだ。いにしえ、魔法使いたちの学舎アカデミーとして築かれたこの塔の最上層は、星を降らす魔法を使えるほど天井が高いという。

「すごい高さだな」

 戦士タムロンも同じ感想を持ったようだ。なんとか天井が見えないかと、右手をかざして目を凝らしている。

「上ばかり見ていると、目の前の敵を見過ごすかもしれませんよ」

 ウェストが二人をたしなめる。少しばかり嫌味が多いが、その頭脳は頼りになる男だ。僧侶になる前は魔法使いだったという経歴の持ち主で、回復魔法も攻撃魔法も使いこなす。

 シグはそうだな、とうなずくと、周囲を警戒した。天井だけでなく壁も遠い、広い空間だ。今のところ姿は見えないが、多くの魔物が潜んでいる気配を感じる。最上層はこの迷宮の様々な機構を司る心臓部である。その中枢と、塔の創造主たる大魔法使いが遺した秘宝を守る番人どもが、多くの冒険者たちをほふってきたという。

「おいでなすったぜ」

 タムロンが遠くから飛来する黒い影を指差し、金雀枝の刀ブルームブレードを抜いた。シグも支配者の剣ルーラーソードを構える。ウェストは二人の後衛に位置し、トネリコの木から削り出した棍棒を肩に担いだ。

「ウェスト、ふざけてないで呪文を使ってくれ」

 シグは敵の方を見据えたまま言った。ウェストは二系統の呪文使いスペルユーザーにも関わらず、すぐに棍棒で戦いたがる。

 ウェストは肩をすくめて棍棒を背負うと、僧侶に似つかわしくない動物の皮を剥いで作った手袋を外し、掌印を切る準備をはじめた。

「来るぜ」

 上空から、死を呼ぶ暗黒の翼ブラックレイヴンが襲いかかってくる。これまでの階層と違って最上層は天井が高く、武器の届かない高さからの一撃離脱攻撃が厄介だ。タムロンがリーチを活かして金雀枝の刀ブルームブレードを目一杯振るうが、なかなか当たらない。

「僕に任せろ」

 シグは支配者の剣ルーラーソードを鞘に納め、腰を低く落とした。

 剣の柄を握り、上方から迫る敵を睨む。

「……抜刀闘気刃ばっとうとうきじん!」

 シグの右手が一閃した。鞘走りの間に溜められた力が、抜刀と同時に爆発する。刀身が目にも止まらぬ速さで振り抜かれた。

「ギャアッ!」

 怪物が断末魔の声を上げ、墜落した。支配者の剣ルーラーソードは怪物に直接は当たっていない。しかし、シグが振り抜いた軌跡上に見えざる刃が出現し、両断したのだ。

 東方出身のサムライに学んだ抜刀術と、勇者だけが使うことができる闘気を組み合わせた超遠距離攻撃である。

「ふうっ……」

 他に敵がいないことを見極めると、シグは残心の構えを解いた。

「お見事」

 タムロンが笑顔を見せる。ウェストは少し残念そうに、トネリコ材の棍棒を振り回した。

「先を目指そう」


    2


 三人は、遥か遠くに見える巨大な建造物を目指して歩き続けた。おそらくあれがこの迷宮のゴールに違いない。だがそこに至るまでには、まだ迷宮の罠と、強大な怪物たちを切り抜けなければならないだろう。

 ほどなくして、箱状の魔導具が林立するエリアにやってきた。人の背丈の何倍もある高さで、不気味な振動音を立てている。周囲には網状の結界が張り巡らされていて、空中には魔法文字ルーンで無断立ち入りを禁じる呪いの言葉が浮かんでいた。

魔導力変換器キュービクルですね。気をつけてください。触るとあの世行きかもしれません」

 ウェストに注意されるまでもなく、シグたちにも魔導具に秘められた膨大なエネルギーが感じ取れた。迂闊に触ったら焼き尽くされてしまいそうだ。

 漏れ出す魔力の影響を受けてか、周囲には不気味な魔法植物が繁茂していた。至るところに蔓を伸ばし、構造物に絡みついている。

「この辺りは、かえって罠は少ないかもしれませんね。これらの魔導具を下手に傷つけると、迷宮全体に影響が出ますから」

「それはありがたいが、その代わりに番人がいるようだぜ」

 タムロンが武器を構えて、そびえ立つ魔導具の上から次々と飛来する怪物たちを睨みつけた。さっき倒した死を呼ぶ暗黒の翼ブラックレイヴンと、その眷属たちだ。

「……数が多いな」

 シグが舌打ちした。ただでさえ空中からの攻撃で厄介なのに、大量の怪物が襲ってくる。しかも散開して遠距離攻撃をかけてので、さらに始末が悪い。

 抜刀闘気刃でも、一体一体落とすことしかできそうにない。

「やれやれ、わたしの出番ですかね」

 ウェストが両手で掌印を結んだ。

「少しの間、ガードをお願いします」

 シグとタムロンがウェストを守るように立った。ウェストが呪文を力強い声で詠唱する。強大な魔力が徐々に空中に満ちていった。その気配を感じたのか、怪物たちが怯み出す。

「……ヴォイス!」

 詠唱が終わる。シグとタムロンは武器を投げ捨て、両手で耳を塞いだ。

 刹那、ウェストの口から大音声が発せられる。魔力で何万倍にも増幅されたヴォイスが指向性を持って敵に襲いかかる。それは単なる音ではなく、空気の衝撃波であり、音波兵器だった。

 近くにいた怪物たちは残らず墜落した。距離があったため威力が減衰し致命傷を免れた怪物たちも、全て逃げ去っていく。

 強力な指向性で術者やパーティメンバーには直接の影響はないが、それでも反響音で聴覚をやられかねない。シグたちは耳を塞いで凌いだが、しばらくは聴力が戻らず、お互いの声が聞き取れなかった。

「……ようやく耳が元に戻ったぜ。他の呪文じゃダメだったのかよ」

 タムロンが剣を拾いながら不満を言う。ウェストは涼しい顔でそれを受け流した。

「わたしの手持ちの呪文で、空中にいる敵を一網打尽にできるのはあれだけですので」

 シグは苦笑いしながら、二人に出立を促した。

「仕方がなかったけど、あれじゃあ〈迷宮の主〉に居場所を知らせているようなものだ。急ごう」


    3

 

 エリアを進むと、別の巨大魔導具が姿を現した。同じ箱状のものだが一回り小さい。その代わり、先ほどの魔導力変換器キュービクルよりも派手な音で作動している。

「これは、迷宮全体に〈魔風〉を送り込む機構からくりのようですね。このせいで、どの階層でも〈魔風〉が濃くなっていたようです」

「お前は何でも知ってるな」

 ウェストとタムロンの絡みを背に、シグは思案顔で先頭を歩く。彼には一つ気掛かりなことがあった。この最上層に足を踏み入れたとき、シグは闘気で階層全体を索敵した。敵の大凡おおよその数や強さが読み取れたが、その中に〈迷宮の主〉の存在が感じ取れなかったのだ。

(もしこの階層に不在なら、それに越したことはないが……)

 シグの懸念をよそに、強大な怪物は一向に現れなかった。

 魔風送致機コンデンサーユニットの隙間を通り抜けると、少し視界が開けた。

 これまた一目でそれとわかる、禍々しい魔導具のプレートが林立している。これらも迷宮の中枢を構成する要素だろうか。

「ウェスト、罠識別呪文を頼む」

 シグの言葉にウェストはうなずくと、迷宮の罠を探す呪文を唱えた。この呪文のおかげで危険な罠を回避し、最上層まで辿り着くことができたのだ。

 このプレートは一見すると罠には見えない。しかしもう最後の最後だ。用心するに越したことはない。

「……この近辺に罠はありませんね」

「最上層とは思えない、警戒度の低さだな」

「ここまで侵入されることは想定されていないのでしょう。それよりこのプレートですが、おそらくこの迷宮の魔力の源ですね」

 ウェストは慎重に魔導具を観察した。

「どうやら、太陽の光を奪い魔力に変換する魔導具のようです」

「なんだと……?」

 するとこの塔が地上に暗闇をもたらしている、というのは本当だったのか。この魔導具のせいで多くの人々が苦しんでいるということだ。

「破壊するか?」

「……そうだな。迷宮の秘宝なんかより、これを壊すことこそが、世界にとって最大の救いだ」

 世界を暗闇から救い出す。三人は冒険の真の使命を果たすべく、それぞれの武器を手に取った。


    4


 おぞましい光魔力転換器を破壊せんと武器を振りかぶった、まさにその時だった。

「ゴアアッ!」

 大気を震わす咆哮が、最上層全体に響いた。

 目指していた巨大建造物の影から、牛頭の怪物ミノタウロスが姿を現した。

 タムロンの二倍はあろうかという巨軀と、グロテスクなまでに発達した筋肉。

 まとう魔力と闘気は、これまで出会ったどんな怪物をも遥かに凌ぐ。

 間違いなく、これが〈迷宮の主〉だ。

 どこに隠れていた、とシグは思わず呟いた。これほどの闘気の魔物がいれば、この階層に入った直後に気配を感じなければおかしい。それとも、気配を絶つ手段でも持っているのか。

「どうやら、この階層に上がるための、もう一つの階段があったようですね」

 つまり、その階段を使ってたった今この階層に戻ってきたばかりということか。シグたちは、〈迷宮の主〉が最上層に不在という、絶好の機会を無駄にしたのだ。もう少しだけ、早く行動できていれば……。

 シグは頭を振って、次の行動に考えを巡らせる。戦うか。しかし怪物の闘気はあまりにも強大だ。

「あれは、強過ぎる」

「そうですね、三人がかりでも勝てる気がしません」

 シグの内心を、タムロンとウェストが代弁した。確かに、まともに戦ったら間違いなく負ける。それでも、シグは二人に告げた。

「本来なら、逃げるべきだろう。だが、世界を暗闇から救うまたとない機会だ。このチャンスを逃したくない」

 だが、ここで死んでしまっては世界を救うこともままならない。

「わたしの策を聞いていただけますか」

 ウェストが献策の許可を求めた。シグはうなずいて、先を促す。

「われわれが目指していたあの建造物。あれが恐らく最上層から各階層に魔力を供給する高架貯留槽エレベイティッドリザーバーです。あれを破壊すれば、迷宮全体の魔素が急速に失われ、怪物も力を無くすはずです」

 シグとタムロンは建造物を見やった。あれが丸ごと、魔力の貯留槽リザーバーだというのか。

「三人のうち誰かがあそこに辿り着き、どんな方法であれ破壊できれば形勢逆転です」

「つーことは、ここからは三人バラけて、あの化け物を出し抜くっていうわけだな」

 タムロンはそう言ったが、シグは悩んだ。恐らく巨体に似合わず、いや巨体ゆえにあの怪物の足は速い。三手に分かれたところで、果たして出し抜けるかどうか。

「……シグ。俺が囮になる」

 シグの考えを読み取ったかのように、タムロンが言った。

「危険すぎる! いくら君でも一対一では……」

「なあに、まともにやり合おうってんじゃない。せいぜい逃げまわって目を逸らすさ。俺がやられる前に、ぶっ壊してくれればいい」

「しかし……」

 そのとき、牛頭の怪物ミノタウロスが大きく咆哮した。唸り声とともに突進を開始する。

「迷っている暇はねえ! 行くぜ!」

 タムロンが金雀枝の刀ブルームブレードを引き抜くと、ミノタウロス目指して駆け出した。

 シグも、もう躊躇しなかった。ウェストを右側に走らせ、自らは怪物の左側へと駆け出した。


    5


「そらあ、化け物! こっちだ!」

 タムロンが叫んだ。うまく怪物を引きつけてくれれば、シグとウェストは……。

 だが、牛頭の怪物ミノタウロスは予想外の動きをした。

 目の前のタムロンに目もくれず、自分を迂回しようとするウェスト目がけて全力疾走したのだ。

 ウェストの足は決して遅くなかったが、本気を出した牛頭の怪物には、すぐに追いつかれてしまった。

「ウェストッ!」

 タムロンが叫んで駆けつけたが、ウェストは怪物の一撃で既に倒されていた。

 トネリコの木の棍棒が、虚しい音を立てて地面に転がる。

「きさまあ、よくも!」

 タムロンは完全に逆上し、怪物におどりかかった。勝てないから逃げまわると言っていたのに。それだけウェストが倒されたことが悔しかったのだろう。

 シグも同じだった。しかし、タムロンよりも怪物から離れていることが、少しだけ彼を冷静にさせた。

 今なら怪物よりも先に、高架貯留槽エレベイティッドリザーバーに辿り着ける。すぐに破壊できれば、タムロンが倒されるよりも早く怪物を弱らせられるかもしれない。少なくとも、怪物の注意を引くことができる。

 支配者の剣ルーラーソードを引き抜き、雄叫びを上げて迷宮を駆け抜けた。タムロンから注意を逸らし、なおかつ全力を貯留槽リザーバーにぶつけるために。

「ぐあっ……!」

 シグの思惑も虚しく、タムロンの苦悶の声が背中越しに聞こえてくる。どさりと何かが倒れる音が続いた。シグは歯を食いしばり、もう一度雄叫びを上げて、全力疾走する。

 疾走のエネルギーを乗せ、支配者の剣ルーラーソード貯留槽リザーバーに思い切り叩きつけた。

 ギイイイイン……!

 しかし全身全霊の一撃は、魔導具を守る凶暴なまでの魔力に跳ね返された。

 二度、三度と剣を叩きつけたが、歯が立ちそうにない。シグは歯軋はぎしりして、貯留槽リザーバーを破壊できる弱点を探した。カラクリの仕組みは全くわからないが、よく見ると貯留槽リザーバーから魔力を運搬するための管が下部に接続されている。この接合部を破壊できれば……。

 シグの背中にぞくりと悪寒が走った。〈迷宮の主〉がすぐ後ろに迫っている。もはや一刻の猶予もない。

「うおおっ!」

 シグは支配者の剣ルーラーソードを全力で振りかぶり、接合部に叩きつけようとした。

 だが、剣を振り下ろす直前に、巨大な腕がシグの頭を掴んで引きずり倒した。

 支配者の剣ルーラーソードが宙を舞う。

 シグは全身をしたたかに打ち付け、呼吸ができない状態になった。

「が……はっ……」

 それでも這うようにして、必死に支配者の剣ルーラーソードに手を伸ばす。

 しかし、迷宮を支配する怪物がそれを許すはずもなく、剣は巨大な足に踏み潰される。

「……タムロン、ウェスト、すまない」

 シグが悔恨の言葉を口にしたのと、鉄槌のような肉塊が彼をその意識ごと押しつぶしたのは、ほぼ同時だった。


 世界を救おうとした勇者シグ一行の冒険は、ここで終わりを迎えた。

 

 上空から一行を見守っていた女神は、勇気はあるが無謀な挑戦に終わった冒険者たちの最期に、涙を流した。









      *     *     *









藤谷ふじがや小学校生徒指導日誌


6月22日(木) 

 5年2組の志熊勇樹しぐまゆうき田村朗たむらろう西宗馬にしそうまの3名が、掃除当番中に生徒立入禁止の屋上に無断で立ち入り、数学授業用定規、清掃用箒、野球バット等で屋上庭園の野鳥を脅し、奇声を発するなどの問題行動をしていたため、生活指導室にて指導。屋上は高圧受変電設備キュービクル、エアコン室外機、太陽光パネル、高架水槽などがあり、感電などの危険があること、学校設備を故障させる恐れがある旨、説諭した。3名には反省文を課した。

 なお同じ屋上にて6年3組の浜田芽美はまだめぐみが、屋上塔屋の上で涙を流してうずくまっているのを発見し、保健室にて休ませた。本人によると「笑いすぎて、ひきつけを起こしただけ」ということで、体調に問題はなかった。同様に厳重注意し、反省文を提出させる。

 屋上の鍵の管理方法の見直しが必要である。

(指導担当教諭:牛峯太朗)




○作者註

 本小説は、「学校の屋上」「迷宮」「駆ける」の三題噺です。

 アーシュラ・K・ル=グウィン「北壁登攀」のオマージュでもあります。原作の方が面白いので、機会があればぜひ読んでみてください。

 rulerルーラーは、「支配者」の意味のほか、「定規」の意味があります。

 broomブルームは、「金雀枝エニシダ」と、「ほうき」の意味。

 野球のバットは、国産はアオダモ、米国のものはアメリカトネリコが原材料です。西くんはアメリカ製のバットを持っていました。

「動物の皮を剥いで作った手袋」は、野球のグローブですね。

 浜田芽美さんは塔屋(屋上の昇降口の建物)の上にたまたま居て、密かに一部始終を見守っていましたが、こらえきれずに爆笑してしまい、バレてしまいました。

 あと牛峯先生は暴力を振るってはいません。悪ガキたちの妄想なので、念のため。

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