メカ鳥、空とか色んな何かを越えて 2/2
「このエリアの飛行許可は取ってきた」
十日後――ひさしぶりに登校してきた葵が、放課後の草原でぼくに言った。
雨はもう、すっかり終わっている。
「飛行許可?」
ぼくが首をひねると、草原に面した道路に、一台の車が止まった。
白衣のおじさん二人が、後部から大きな鉄のカタマリを下ろす。
メカ鳥だった。
「メカ鳥!」
『陸くん!』
相変わらず高い声で、メカ鳥が歩いてくる。
ぼくたちは抱き合い、ひさしぶりの再会を喜んだ。
白衣のおじさんたちは、すぐに立ち去っていく。
草原の中は、ぼくと葵、それからメカ鳥だけになった。
「十日かけて改造したんだ。理論的には、これでメカ鳥は空を飛べる」
葵がメカ鳥に近づいていく。
「いい、メカ鳥? あなたは空を飛べる。そして色んな何かを越えていくんだ」
『うん。ぼくは空を飛べる。色んな何かを越えていく』
そううなづくと、メカ鳥がその場を走り出す。
広い草原の中を、一気にダッシュしていった。
は、速っ!
何、これ?
すごく改造されてる!
さすがロボット!
ぼくはめちゃくちゃ興奮して、草原を疾走するメカ鳥を見つめる。
この加速――飛べる!
飛べるぞ!
行け、メカ鳥!
そう思った次の瞬間――草原の奥で、何か鍋とかフライパンがひっくり返ったような音がした。
しばしの沈黙のあと、葵が口を開く。
「転んだね……」
「うん、たぶん……」
二人でメカ鳥を迎えに行く。
彼はそこに倒れていて、申しわけなさそうに言った。
『ごめんね、葵ちゃん。石があった。それに躓いたよ』
メカ鳥のその言葉に、ぼくと葵はプッと噴き出した。
ぼくたちが笑うと、メカ鳥も『ははははははは』とかん高い声で続く。
ぼくたちの声は、草原の上に広がる青い空へと吸い込まれていった。
V
メカ鳥の飛行実験は、その後も行われた。
数々の失敗を繰り返しながら、メカ鳥は少しずつ進化していく。
最初は転んでばかりだった彼が、なんとか少し地面から浮くようになった。
「メカ鳥、あとは高度だけだね」
ぼくが言うと、葵は嬉しそうに笑った。
いつもの石に座り、ぼくたちはペットボトルのお茶を飲んでいる。
風に波打つ草原。
その向こうに広がる、ぼくたちが暮らす町。
その中を、メカ鳥がのんびりと散歩している。
まるで自分のこれまでの軌跡を確かめるように。
「あのね、陸くん」
お茶を飲んでひと息つくと、葵がぼくに言った。
「ん?」
「私ね、実はもうすぐ外国に行くんだ」
「え?」
あまりにも突然の言葉に、ぼくはあっ気に取られた。
葵が、いつもと同じ冷静な表情で続ける。
「ずっと言えなかったの。ごめんね」
「そ、そうなんだ……」
「私、陸くんに会えなくなるの、ちょっとさみしいな」
「ははは。うん、あの、ごめん。ちょっとぼく、トイレに行ってくるよ」
話の途中で、ぼくは石から立ち上がった。
草原の向こうにある、公衆トイレに歩いていく。
なんだか涙があふれてきて、それを彼女に見られたくなかったからだ。
トイレで、ぼくは手を洗う。
洗っている間も、涙はとめどなくあふれ続けた。
長い涙が終わると、ぼくはシャキッと顔を戻し、葵が待つ草原に帰る。
待ってる間、退屈だったのか、葵はメカ鳥に触れていた。
彼の頭を丁寧に撫でている。
ぼくはなんとかフツーの表情を浮かべ、彼女の隣に戻った。
「ごめん。さっきの話の続きだけど――たまには帰ってくるんだろ?」
「陸くん、さみしくなってくれるの?」
「そりゃ、さびしいよ。だって友だちじゃないか」
「うん……」
「外国に行ってさ、色々忙しくなっても、ちょくちょく帰ってきてよ」
「でもね、私、外国に行く前に、絶対にやり終えたいことがあるんだ」
「うん。何?」
「メカ鳥を空に飛ばす。そして彼に、空とか色んな何かを越えてもらう」
「メカ鳥が空を飛んでるとこ、ぼくも見たいなぁ」
「ねぇ、陸くん」
「ん?」
「これからもずっと、私の実験に付き合ってくれる?」
「そりゃ、もちろんだよ。ずっとずっと付き合う」
「フツーに生きるのって、私にとっては敗北なの」
そうつぶやき、葵がメカ鳥の頭を撫でる。
ぼくも、彼女といっしょにそうした。
メカ鳥は、おだやかに目を閉じている。
ぼくたち三人は、少しさみしい風景の中で、ただ触れ合っていた。
V
多くの場合、そうであるように――別れはあっさりと訪れる。
葵の旅立ちの日が決まった。
明日だ。
その日の放課後も、ぼくたちはいつもの草原にいた。
メカ鳥の飛行実験を終え、ぼくたちは石に座る。
メカ鳥は進化し、なんとか一メートル程度なら浮けるようになった。
だがとてもじゃないけど、ぼくが描いたあの絵のような高度じゃない。
「ねぇ、陸くん」
「ん?」
「ずっと前に見せてくれた、メカ鳥の絵があるでしょう?」
「あの、空を飛んでるやつ?」
「そう。あれ、私にくれないかな?」
「いいけど……あんなのが欲しいの?」
「うん。あれが欲しい。あなたが描いたあの絵が、今の私の行動原理になってるから」
「そっか……」
「明日の朝9時に――ここで、最後の飛行実験をやろうと思ってるの」
「明日か。うん。休みで良かったよ」
「来てくれる?」
「もちろん。じゃあ、ぼくはもう帰るね。明日、寝坊しちゃうといけないし」
このままだと、なんだかまた泣きそうなので、ぼくは石から立ち上がった。
草原の端っこまで歩くと、葵が突然後ろからぼくを呼び止める。
「陸くん!」
彼女の声に、ぼくは振り向く。
葵は、ぼくに何かを言いかけたが、なんだか諦めたように伸ばした右手をゆっくりと下ろした。
「ううん。何でもない……」
「そっか。うん。それじゃあね」
葵とメカ鳥を草原に残し、ぼくは待機している白衣のおじさんたちにお辞儀をした。
そのまま、歩いて自分の家に向かう。
明日が最後の飛行実験……。
葵とあの草原で過ごせるのも、明日で終わり……。
メカ鳥は、空を飛べるんだろうか?
ぼくは、飛んでほしかった。
何と言うか……ぼくたちのお別れの記念に。
ずっとずっと忘れられない、素敵な思い出になるように。
もちろんぼくは、それを祈ることしかできないけれど……。
V
翌日の朝、草原に行くと――葵とメカ鳥は、眼下の町を眺めていた。
ぼくの気配に気づき、二人がこちらを振り向く。
「陸くん……」
「いよいよ最後の実験だね」
「うん。メカ鳥の調整は済ませた。だからきっと、今日のメカ鳥は空を飛べる」
「楽しみだ」
「早速、始めよう。もうあまり時間がないの」
そう言うと、葵がそこに立っているメカ鳥を抱きしめる。
彼の耳元で何かを囁いた。
それと同時に、メカ鳥がその場から歩きはじめる。
最初はゆっくりだったが、すぐに前傾になり、スピードを上げていった。
早足から走行へ、走行から爆走へ。
メカ鳥の疾走は、あっという間に助走としてのゾーンに突入していく。
初めて見る素早さ!
これはもはや――滑走!
「す、すごい! メカ鳥、めちゃくちゃ足が速くなってる!」
「色々と見直したんだ! 今日、メカ鳥は空を飛ぶ! そして色んな何かを越えていく!」
「行け、メカ鳥! 飛べ!」
ぼくがそう叫んだ瞬間――メカ鳥が一気に地面を蹴った。
跳躍とともに、彼の翼が大きく羽ばたきはじめる。
それは――とても美しい飛翔だった。
まるで彼が、本当に生きているかのような。
メカ鳥が、ふわりと空に舞い上がっていく。
一メートルどころじゃない。
何メートルも、何十メートルも、どんどん上昇していく。
「飛んだ! メカ鳥が、マジで飛んだ!」
ぼくは思わず、隣の葵を抱きしめる。
なんか、少し泣いた。
嬉しいから、泣いた。
ぼくの腕の中で、葵もまた涙を浮かべている。
「すごいよ、葵! きみは、本当に天才だ!」
「インスピレーションは、陸くんがくれたんだ! 私だけじゃ、こんなことできなかった!」
ぼくたちはしばらくの間、草原で抱き合い、空を飛ぶメカ鳥を見つめていた。
一体どのくらい、互いの存在を確認し合っていただろう?
やがて体を離すと、葵が言った。
「じゃあ……私、もう行かなきゃ」
「そ、そっか……」
「メカ鳥は、陸くんにあげるよ」
「え?」
そう残すと、葵が草原を走り出す。
草原の向こうに立った白衣のおじさんたちが、こちらを見守っているのが見えた。
振り返り、葵が言う。
「メカ鳥を大事にして! あの子を、私だと思って!」
車に乗り込み、葵がその場から去っていく。
あっ気にとられながら、ぼくはその車を見送るしかなかった。
そしてそのようにして――ぼくの初恋は終わった。
多くの場合、初恋なんて、実にあっ気ないものなのだろう。
だけどあっ気ないものが、ぼくにはもう一つあった。
いつまで待っても、空に飛んだメカ鳥が戻ってこなかったのだ。
彼は、この空のどこかに消えてしまっていた。
まるでここは自分の居場所ではないとでも言うように。
ぼくは小5にして、大切なものを二つ同時に失う。
葵も、メカ鳥も、結局戻ってくることはなかった。
V
時は、あっという間に過ぎていく。
ぼくはいつの間にか、高齢者と呼ばれる年齢になっていた。
結局――ぼくは結婚をしなかった。
歳をとっていけば、誰だって気づく。
ぼくたち人間の心は、永遠に誰かとすれ違う運命にあるのだ。
その日、ぼくはふと、あの時の草原に行ってみることにした。
草原に到着すると、ぼくはやっぱりガッカリした。
あれだけ蒼々としていた場所が、今ではすっかり干からびている。
そう。
まるでぼくと同じように。
ぼくはそこに立ち、すっかり変わってしまった眼下の町を見つめる。
メカ鳥は……あの後、一体どこに行ったのだろう?
ぼくの頭の中に、とても悲しい映像が浮かんでくる。
故障したメカ鳥がどこかの川べりで倒れ、茶色に錆びていくイメージ。
美しい過去を守るように、ぼくはその場で大きくかぶりを振った。
今日、何故ぼくがこんな場所に来たのか――その理由は、もちろん葵だった。
コンビニで買った新聞を広げ、ぼくはその悲しい記事を見つけたのだ。
高名な科学者・椎名 葵が、急逝した。
公開された彼女の写真は、まぁ、あのまま歳をとった感じだった。
雰囲気は昔と全然変わらない。
美人だ。
ニュースによると、彼女も生涯独身だったようだ。
きっと彼女には、恋愛なんかより大切なものがあったのだろう。
でも結局……葵は幸せだったのだろうか?
幸せな人生を歩み、それを終えたのだろうか?
そう思いながら、ぼくは空を見つめる。
するとそこに――何か不思議な物体が飛行しているのが見えた。
空に漂う『V』字の影。
鳥?
影がどんどんこちらに近づいてくる。
それが草原の真上を通過した瞬間、ぼくは大きく目を見開いた。
「メ、メカ鳥……」
メカ鳥が、まるで数十年前から訪れたように、ぼくの前に舞い下りてくる。
あまりにも懐かしいその姿に、ぼくはガクガクと足を震わせた。
初めて出会った時と同じように、彼がこちらに近づいてくる。
『お見受けしたところ、陸くんですね?』
相変わらず、声が少し高い。
あっ気に取られ、ぼくは「は、はい」と敬語で返した。
『葵ちゃんからメッセージを預かっています』
「あ、葵から?」
メカ鳥が大きく口を開く。
内蔵されたスピーカから、声が聞こえてきた。
数十年ぶりに聞くその声に、ぼくは静かに耳を澄ます。
『陸くん、今は西暦何年?』
聞こえてきたのは……あの頃の、葵の声だった。
今聞いてみると、ビックリするほど声が幼い。
『今はね、そう、私があなたに外国に行くことを告げた日です。覚えてますか? あなたは今、トイレに行っています。だけど私は気づいてしまったのです。あなたは泣いていましたね。ありがとう。私のために泣いてくれて、本当にありがとう』
あの時のことを、ぼくはハッキリと思い出す。
たしかに……あの時、ぼくは泣いていた。
好きな人との別れに、幼すぎて、どうしたらいいのかわからなかった。
『結論から言うと――私はあなたのことが好きです。たぶん、ずっと好きです。私、人間があまり得意じゃないので、たぶんこれからも好きな人はあなただけです』
「葵……」
『私の予測では、私が死んだ翌日に、あなたはこの草原に来るはずです。だからメカ鳥には、この日、この場所に戻ってくるようプログラムしておきました。メカ鳥は私の心臓の動きに同期しています』
つまり……何もかもお見通しだったってわけか……。
やっぱり天才だよ、きみは……。
『この音声を聞いている頃、あなたがどうなってるのか、私にはわかりません。だけどあなたはとても良い人です。もし今、幸せでないのなら、これから幸せになってください』
「……」
『あなたは今、そこにいて、昔のことを思い出してるはずです。あなたは――帰ってきました。ここからまた再スタートです。私がついているから安心してね。陸くんのこれからの人生は、きっと素敵なものになります。陸くんは良い人です。私のために泣いてくれた、とてもやさしい人です。私は陸くんのことが大好き。ありがとう。私はずっと陸くんのことを忘れないよ。だから私のことも、忘れないでいてね』
「……忘れないよ」
葵のメッセージは、そこで終わっていた。
ぼくは、泣いた。
たぶん、十分くらい、全力で泣いた。
ここまで心をこめて泣いたのは、生まれて初めてのことだった。
ぼくは自分のそばに立っているメカ鳥を見る。
「なぁ、メカ鳥。きみはもしかして、あの時、タイムリープをしてたのか?」
『はい。実はあの時、ぼくはすでに飛行することが可能でした』
「か、可能だったの?」
『はい』
「だったら、なんで葵は……」
『おそらく……葵ちゃんは、陸くんと少しでも長くイチャイチャしたかったのでは?』
「……」
『どうしますか、陸くん? 何か葵ちゃんに伝えたいことはありますか?』
「伝えたいこと? いや、でも葵は――」
『大丈夫です』
「え?」
『ぼくは時を越えることができます。実はぼく、鳥型タイムマシンとして開発されたんです。ぼくは今のあなたが書いた手紙を、あの頃の葵ちゃんに届けることができます』
「ほ、本当に?」
『はい。葵ちゃんの訃報の写真、見れますか?』
メカ鳥に言われ、ぼくは手の中の新聞を開いた。
訃報に載った彼女の近影を見る。
そして――子どものような、いたずらなほほ笑みが自然と浮かんできた。
【これからもずっと、私の実験に付き合ってくれる?】
【フツーに生きるのって、私にとっては敗北なの】
あの日の、あの草原から――小5の葵の声が聞こえてきたような気がした。
「ぼくも葵に気持ちを伝えようかな……」
『それが良いと思いますよ。高齢者と小学生女子。素敵なカップルです』
「犯罪だな……」
『いえ。人を好きになる気持ちは、何もかもを越えます。時の流れでさえも』
昔と同じように、ぼくはメカ鳥と草原を歩きはじめる。
止めていた車に彼を乗せ、運転席に座った。
葵、きみはもしかして――恋愛さえも、フツーがイヤだったのか?
敗北?
やっぱりきみは変わってるよ。
車を発進させる前に――ぼくはもう一度、葵の訃報が載った新聞を見る。
そこに掲載されている彼女の写真。
彼女の後ろの壁には、あの日ぼくが渡せなかった空を飛ぶメカ鳥の絵が飾られていた。
彼女と時を超えた文通を始めるには、まずあの絵を探すとこから始めなきゃいけない。
「行くぞ、メカ鳥! ぼくも歳をとったけど、今からもう一度、初恋を始める!」
『どこまでもお付き合いしますよ! ぼくたち三人で、色んな何かを越えていきましょう!』
それにほほ笑み、ぼくは車を発進させた。
今なら、ぼくはハッキリと彼女に伝えられる気がする。
葵、ぼくはずっと昔から、きみのことが好きだ。
メカ鳥、空とか色んな何かを越えて 貴船弘海 @Hiromi_Kibune
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