第4話
「本気を出せば不可能なんて無いと思う必要がある」
千世は僕の問いにそう答えた。
少年漫画みたいなことを言うやつだなと僕は手元の漫画本に目をやる。
「それが発明のコツか?」
「コツというより原点だね。発明はすべて空想や妄想から始まるんだ。空想は実現不可能だから空想と呼ばれる。けれど発明は『できない』と思った時点で失敗だ」
キーボードを叩く音が聞こえた。
彼女の手が、不可能を可能にしようとしている。
「閃きが空想のままなのは自分の力不足だ。知識不足だ。思考不足だ。そう考えなければならない。もっと力があれば、知識があれば、知恵があれば必ず叶う。そう信じなければならない。そう信じて、考え続けなければならない」
それが発明だよ、と千世は言った。
僕はため息をつくことしかできない。
「時間がいくらあっても足りなさそうだな」
「その通り。だからありがたい限りだね、今年は」
「何が?」
彼女が人差し指をピンと伸ばした。
その指差す先を、僕は見る。
***
「カレンダーだ」
「日付か。なるほど、時間感覚の強い私が好みそうだな」
千世は何かを入力して大きなディスプレイにカレンダーを表示させた。ずっと見ていても、彼女が何をしているのかさっぱりわからない。
「これで部屋番号は割り振られた」
扉があるなら、部屋番号をつけるべきだ。
千世はそう説明した。それが今回の失敗の原因だと。
「部屋番号が無いから迷うんだ。各々の世界線を判別する記号が無いから扉の先は暗闇になる。逆に行き先を指定してさえいれば扉は正しく導いてくれるはず。あとは向こうの私が元の世界線の部屋番号を何にするかだ」
「同じ部屋に帰らなきゃだもんな」
「そういうこと。ただ、そこは君頼りだ」
「僕が部屋番号を知ってるってことか?」
「おそらく向こうはそう思ってる。君と待ち合わせをするなら共通認識のある番号にするべきだからね」
何か思い当たる番号はないか。
千世にそう問われて、僕は先程蘇った記憶を反芻する。
「うるう年、だと思う」
僕は彼女の人差し指の示す先を思い出す。
四年に一度、一年が一日だけ増える奇跡の年。彼女はそんな風に言っていた。
それに、あのときの言葉とも合致する。
「なるほど。366番目の世界線、というわけだね」
0229。
千世は画面に四桁の数字を入力した。
「もしこれが間違ってたらまた別の世界線に飛んじゃうんだけども」
「こわいこと言うなよ」
「まあそうなったとしても、また別の私にタイムマシンを作ってもらえばいい」
別の私。
その言葉に、ふと一抹の不安を覚えた。
「そっか。僕が元の世界に帰っても千世が帰ってこないこともあるんだよな」
「ん?」
「いや、もし千世の落ちた世界線にいた僕が超優秀でさ、真面目で努力家だったりしたら帰りたくなくなるんじゃないかなって」
彼女の発明部が元の世界より整った環境だったとしたら。
いつも漫画ばかり読んでる僕じゃなくて、本当の意味で彼女の助けになれる存在だとしたら。
彼女の助手が現れたら。
「過ぎた卑屈は侮辱だぞ、博孝」
思考をぴしゃりと断ち切るような声に僕は我に返った。
キーボードを叩く音が止まっている。丸眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐにこちらを向いていた。
それから「いいかよく聞け」と弟に言い聞かせるように千世ははっきりと告げる。
「君はどこからどう見ても凡人だ」
「ひどい」
「事実さ。君はどうしたって私を助けるなんてできない」
「まあ、そうだけど」
「それでも私は助手と呼んでいた」
何故かわかるか、と千世は尋ねる。僕は首を横に振る。
「君がそこにいてくれるだけで、私は助けられてたんだろう」
思いがけない彼女の言葉に僕は戸惑った。
「え、なんで。何もしてないけど」
「そんなの知るか。けど君ならわかるはずだ。向こうの私は新しい発明品ができればいの一番に君に見せてたんだろう?」
――新発明だぞ、助手!
いつも静かに画面を睨みつけている彼女の、年相応にほころぶ顔と弾んだ声を思い出す。
「発明家にとって新発明は最も愛すべきものだ。この発明のために私は生まれてきたのだと思うほどにね。私にとって君は、それほど大事なものを一番に見せたくなる人なんだよ」
今、目の前にいる幾多千世は。
あまりに時間の無駄遣いな問いを僕へと放った。
「そうそう代わりがいると思うかい、助手?」
僕は彼女をじっと見つめた。
見た目も、声も、仕草も、思考すらも、元の世界の彼女とまるで変わらない。
「……いつも言ってるが」
それなのに、こうも違って見えるのは何でなんだろうな。
「僕はお前の助手じゃない」
千世の座った椅子がくるりと回転する。ディスプレイが光を放って、キーボードがリズミカルに音を立てる。
揺れた黒髪から垣間見える横顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
「ああ。発明を続けよう、博孝」
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