第3話 カピバラの正体と大団円
望月は結局、美術準備室の五メートル先の用具入れの中で寝袋に包まれた状態で発見された。発見時、薬のせいで意識は朦朧としていたが、記憶は確かなようだった。軽い脱水症状を起こしていた他に後頭部に鈍器による外傷があり、警察の手配した救急車で病院に運ばれて行った。正木は現場の状況と所持品と望月自身の証言により、監禁致傷と薬物所持の容疑でその場で現行犯逮捕された。
正木は違法薬物の常習者で、自分で使用するだけでなく校内で目を付けた生徒にも高値で売り捌いていたらしい。その現場を偶然望月に見られて、口封じのために短絡的に殴った後に薬を嗅がせて監禁したというのが、今回の事件のあらましだった。
そして有藤はというと、特に事情を知っている生徒ということで警察から真っ先に事情聴取を受けていた。
学校が聴取用に提供した視聴覚室で、カピバラを隣に置きながら有藤は二人の刑事と向き合っていた。年配の刑事はカピバラを一瞥したものの、特に何も言わずに本題に入った。
「状況を聞いた限りでは、君は最初から正木先生のことを疑っていたようだが……それは何故かね?」
「一つ目の理由としては、昨夜望月くんのお母さんはまず学校に電話をしましたが、対応したのが担任の正木先生だったにも拘らず、その後クラスに連絡網が回って来なかったんです。それで、その日のうちにおかしいと感じました」
淀みのない口調に、感心したように頷いて彼は先を続けた。
「なるほど、正木としてはできるだけ騒ぎにしたくなかった訳か。しかしそれなら君は何故、望月くんが自宅に帰っていないことを知っていたのかね?」
「望月くんのお母さんから電話をもらったんです」
「それは、個人的に?」
「はい。私は元々、中学までは望月くんの近所に住んでいました。高校ではあまり公にしていませんでしたが、私たちは幼なじみなんです」
「なるほど、それでいの一番に相談を受けたと。それから?」
「望月くんは連絡もなく帰りが遅くなるような人ではありませんでしたから、私もすぐに異常事態だと感じました。だからひとまず学校に行ってみたんです」
「昨夜のうちに? 一人で?」
自然と咎めるような口調になってしまったが、有藤は気にした風もなく流した。
「はい。夜の七時に下駄箱を確認したところ、望月くんのスニーカーはまだ入っていました。だからまだ校内にいる筈だと思い、真っ先に美術室に行ってみましたが……既に望月くんの姿はありませんでした。絵のことにも気づいたので、やはりここで何かあったのだと確信しましたが、残念ながらそれ以上の手掛かりはありませんでした」
「なるほど。それから?」
「校内が騒ぎになっている様子はなく、望月くんだけが静かに消えていた。状況が分からないまま校門の外に出て彼のお母さんに一度連絡を入れた後、すぐに正木先生が出てくるのを見たんです。その時の先生はひどく挙動不審でした……声をかけることすら躊躇うほどに」
「それは、行幸だった。君が万一、その時に声をかけていたなら、君も被害に遭っていた可能性が高い」
「私としては、そこで返り討ちにしていればと思えて残念でなりません」
「馬鹿なことを言ってはいけない。そういうことは、我々警察に……」
窘めるような口調に対し、有藤は逆に責めるような視線を刑事二人に投げかけた。
「そもそも望月くんのお母さんが捜索願を出しに行った際、警察がもっと親身に動いてくれていたら、私もこの子を巻き込むような真似をしないで済んだんです。事件が起こってからでないと……死体が出てからでないと動かない、警察の姿勢はどうにかならないものでしょうか」
カピバラを撫でつつぴしゃりと言ってのけた少女の言葉に、刑事二人は返す言葉がなかった。
「それは……本当に申し訳ない」
「別に、謝罪が聞きたかったわけでもありません。先を続けても?」
頷く二人に有藤は改めて言葉を続けた。
「先生がいなくなった後、再び校内に戻りました。そして……ふと気になって下駄箱を覗いたところ、そこには、さっきまでスニーカーが入っていた筈なのに、入れ替わるように上履きが入っていたんです。それを見た時、そしてそこに籠った匂いを嗅いだ時――心臓が止まるような感覚を覚えました」
「匂い?」
「油絵の具の匂いです。その時、思い出したんです。先生を不審に思った理由の一つが、先生から漂った本来縁のない筈の油絵の具の匂いだったことに」
油絵の具の匂いは強力だ。有藤はさきほど自分で語った言葉を再び噛みしめた。
「つまり……」
「七時に下駄箱を確認した後、美術室を往復した私が校門に出るまでせいぜい二十分。その間誰にも会わなかったし、直前に出てきたのは先生だけ。しかも、望月くんの消えた美術室と関わる油絵の具の匂いを纏って。だからそれで確信しました。望月くんを連れ去ったのは、先生に違いないと。そして先生が身軽であった以上、彼はまだ校内のどこかにいる筈だと」
その時点で望月の生死は不明だったが、科学教師である担任であれば、生きているにしても確実に薬物を投与しているであろう確信があった。だから今、彼を求めて声高に探し回ったところで徒労に終わる可能性があるし、何より一人ではさすがに心もとない。自分の疑惑と推測だけで、警察が動くとも思えない。だったらそれこそ昼の日中、多人数のいる場所で文字通り白日の下に曝すしかないと、有藤は腹をくくったのだ。
「そもそも、殺すつもりなら昨日の時点で殺していたと思います。だからそうしなかったのは、先生自身もどうして良いか決めかねていたのだと思います。その迷いに、私は賭けるしかなかった。先生が一層追い詰められて心を決める前に、望月くんを助けなければと思いました。全てが予定外のことで焦っていたのか、先生は自分から色々とぼろを出してくれました。美術の先生がお休み中なのを良いことに、望月くんは最初美術準備室に隠してあったようです。けれど私がこの子を持ち込み望月くんの話をクローズアップしたことで、美術室を調べられることは予測できたでしょう。だから望月くんの家に電話をかけに行くと言いながら、意識を失わせた望月くんの身体を用具入れに移した。そして何食わぬ顔で教室に戻り、私たちに同行しましたが……時間がなくて美術準備室には未だ望月くんの鞄とスニーカーは隠したままだったんです。私はどうしても彼より先にそれを押さえたくて、鍵がないと嘘をついて職員室に行かせました。ただ、本当は鍵は先生が……いえ、正木が最初から持っていました。彼はそのことを隠すために、敢えて職員室まで走って戻る芝居をしたんです」
「しかし、実際君はその上を行っていた……」
「それほどのことでもありません。本来表に出ている鍵を正木が昨夜から持ち出していたので、表向きの事情を語り、学年主任の先生の許可を得て予備の合鍵を今朝のうちに手に入れていただけのことです」
「いやはや、最近の高校生の知力と行動力は空恐ろしいな。おまえも、うかうかしているとすぐに後輩に抜かれちまうぞ」
「はあ……」
年配の刑事にたき付けられても、若い刑事は実感がないように困惑していた。そんな様子にため息をつきながら、もう一つだけ気になっていたことを有藤に訊ねた。
「ところで、このカピバラは一体どこから?」
すると有藤は初めて年相応の笑顔を見せ、嬉しそうに語った。
「この子は、望月くんのペットなんです。だから望月くんの匂いがあるところでは大人しいし、実際に彼を求めてこちらが期待する以上に動いてくれました。望月くんが取り戻せたのは、この子のお蔭です」
「そうか。ご主人も無事で、何よりだったな」
「ただ私……一つ、嘘をつきました」
「嘘?」
「はい。この子が望月くんの変身した姿だなんて……」
「いや、それは」
どうせ誰も信じなかった、と言おうとした刑事に、有藤は予想外のことを言った。
「本当はこの子、女の子なんです」
「女の子!?」
さすがに驚いた刑事二人に、有藤ははにかむように笑って見せた。
「そうなんです、名前はアリスと言います」
「アリス……」
かの有名な少女と同じ可憐な響きに、このぼーっとした間抜け顔にさすがにアリスはないだろうと思ったが、その功績は確かに見事だったかもしれないと刑事は思い直した。
「ハートの女王ならぬ、クラブのジャックの首を斬って見せた……確かにアリスに相応しい」
そう言って、恐々アリスの頭を撫でると、彼女はハムハムと穏やかに口と鼻を動かした。
***
翌日、有藤が見舞いに行くと、望月は病室のベッドに身を起こして窓の外を見ていた。有藤に気づいて穏やかに笑む彼を目の当たりにして、彼女は思わず泣きそうになり、直後に気が緩んで実際にぽろぽろと泣いてしまった。
日頃気丈な彼女が泣くなど小学生以来のことで、望月は驚きながらも手を伸ばし、彼女の艶やかな髪を撫でた。
「芽衣ちゃん……心配かけてごめん、そしてありがとう」
「ううん。望月くんが無事で、本当に良かった」
笑いながら目を擦ると、少し躊躇ってから有藤は望月の胸にしがみついた。高校生になってから何となく照れ臭くて少し距離を置いていたが、今回のことでどれだけ彼が大切な存在か分かってしまった。だからもう、二度と離さないとばかりに強く抱きつく。それに照れたように、望月は顔を赤くしながら口を開いた。
「えっと……アリスのこと、聞かせて? 俺の代わりに学校に連れて行ったって母さんが。どういうこと?」
「あ、そうそう。アリスはね、しばらく望月くんだったんだよ」
「ええ?」
きょとんとする望月に、有藤はにこりと微笑って「変身」の物語を彼に語った。
(完)
望月くんがカピバラになる案件 佐兎 @satousa
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