オジイサマ



「あたし、そんなつもりじゃ……。暇だから遊んでくれる人がいないかな、と……」


「なら、もう少し遊んだらいかがですか?」


 長岡の手がミランダの太腿に伸びた。


「嫌……」


 タクシーが赤信号で停まった瞬間、ミランダはドアを開け、外に出ようとした。しかし長岡にワンピースの裾を掴まれていて出られない。


「嫌……。離して……」


 運転手は前金で貰った紙幣の影響か、押し黙って前方を見ているだけである。


「おう、どうした?」


 見上げると、ミランダの目の前に白い大ぶりなミニバンが停まっている。その助手席の窓が開き、ドライバーが声を掛けてきた。


「乗せてください──」


 ミランダは咄嗟に男に言った。


「んー?」


 茶色いツーブロックの髪をしたその若い男は身を乗り出し、タクシーの車内を覗き込んで合点がいったように頷いた。男と目が合った長岡は、ついミランダの服から手を放してしまう。


「ははあ、なるほど……。分かった、乗れよ」


「ありがとうございます……」


 ミランダが乗り込むと、男はドアを閉めるさきから赤信号を無視して急発進した。


 それを見て長岡は気色ばんだ。


「おい、オヤジ。さっさと前へ出てあの車を止めろ」


「お客さん、それはできませんよ。あおり運転なんかで警察に捕まった日にはの食い上げですし、だいたいあんなおっかなそうな男には関わりたくないですからね……」


「なに──!」


 うっかり獲物を逃した長岡は地団駄を踏んだが、運転手に従うしかない。


 男の車は片側二車線の幹線道路をすっ飛ばし、やがて信号を左折してしばらく行った先にある公園の駐車場に停まった。


「ありがとうございました」


 ミランダは、もしかしてこの人、白馬の王子さまかしら──、と思いながら男に目をやって戦慄した。男は、コブラが舌を出し入れしながら野ネズミを狙っている時のような目付きでミランダを見ている。


「……助かりました、ここで結構ですから」


 そう言いながらミランダはシートベルトを外し、ドアのロックを解除して開けようとした。すると男はミランダの腕を取り、


「おい、ちょっと待てよ。助けてやったんだから、お礼くらいしたらどうだ?」


「あ、すみません……」


 ミランダは慌ててハンドバックから財布を取り出そうとした。


「そんなことじゃねえよ。分かるだろ」


 男は右手でミランダの顎を掴んでニヤッと薄ら笑いを浮かべ、上唇を舐めた。


「……やめてください」


「いいじゃねえか。一発やらしてくれても減るもんじゃねえだろう」


「………」


「おまえ、よく見れば、結構かわいいじゃねえか?」


 男はミランダの肩に腕を回して、彼女を引き寄せようとした。


「イヤ……」


 ミランダはハンドバッグを胸に抱えて身を固くしたが、その態度に男はかえって興奮し、彼女にのしかかって唇をあわせようとした。


「……やめて」


「おう、あんちゃんよう、彼女嫌がってんじゃねえのか?」


 気が付くと助手席のドアが開いていて、車のすぐ脇に瘦せた老人が立っている。その横には老人が乗っていたと思われる傷だらけの白いスクーターがある。


「誰だ?」


「見ての通りただの年寄りだが……。その子、離してやれよ」


「なんだ、このクソジジイ、てめえには関係ないだろ。痛い目に遭いたくなけりゃ、とっとと失せろ」


「まあ関係ねえと言えば関係ねえし、どっかに行ってもいいんだがな。けどな、このクソジジイは嫌がってる子を見ちゃァ放ってはおけねえ性分なんだよ」


 八十歳前後と思われるその老人は床に足を掛けて半身を車中に入れ、ぐっと手を伸ばして男の手首を捩じ上げた。老人とは思えぬ怪力に男は怯み、ミランダを離した。


「お嬢ちゃん、乗りな」


 老人は素早くスクーターに跨ると顎をしゃくり、後ろに乗るようミランダに指図した。


 ミランダが乗るや否や、老人はスロットルレバーを一気にひねった。エンジンは咆哮を上げるが、二人乗りの上、長年の酷使でくたびれた原付バイクは遅々として進まない。駐車場を出てすぐにミニバンに追いつかれた。


 二人が乗ったスクーターは追突されそうになるが、老人は路肩ぎりぎりにバイクを寄せてそれを躱し、右から幅寄せされると、急ブレーキと急ハンドルでかろうじて回避する。男の車は道路の左脇に立つ電柱に接触し、左サイドミラーが脱落するが、男は構わず追跡を続ける。


 前方の交差点にある歩行者信号が点滅し始めると、老人はミランダに怒鳴った。


「しっかり掴まってるんだぜ!」


 のろのろと加速し、車両用の信号が赤になる瞬間、老人はバイクを大きく右に傾けて右折した。バイクは激しく横滑りし、転倒寸前になるが、老人はカウンターを当てて車体を持ち直す。


「嫌ー!」


 ミランダは思わず老人の骨ばった背中にしがみつき、金切り声を上げだ。が、老人はその悲鳴などは意に介さず、今度は左に大きく車体を傾け、ドリフトしながら左折して住宅地の路地に入った。


 しばらく住宅地の中を走り回った後、老人は後ろを振り返り、男の車がないことを確認するとスクーターを止めた。にやりと笑って乱杭の歯をミランダに見せる。


「もう大丈夫だ。ところであの男、彼氏か?」


「いえ、違います……」


「違うのか。まあ詳しい事情は俺の知ったこっちゃァねえから聞かねえが、男は皆オオカミだ、気ィ付けた方がいいぜ」


「はい、気を付けます」


 骨身に染みてそのことを知ったミランダは、素直に頷いた。


「あんたンち、どこだ? 遠いようだったら送っていってもいいがな」


 回りを見ると、近くに見おぼえのあるコンビニがある。自宅アパートからは歩いても数分とかからない所だ。


「ありがとうございます。でもすぐそこですから」


「そうか、じゃあ気ィ付けて帰れよ。じゃあな──」


 老人はそう言い残すと、スロットルを全開にして去っていった。


 ミランダはその後姿を見送りながら呟いた。


「……ハクバ……、……バイクに乗ったオジイサマ……」



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白馬に乗った王子さま 大村 冗弾 @zeele-velvet

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