第24話 霊を明晰夢に引きずり込んでぶち殴る ②

 目が覚めると同時に金縛り。景色が現実と同じで、感触にも異常性がないので便宜上「目が覚める」と書いていますが、厳密に言えばこちらも夢です。なんとなくですが、夢の中に居る間は、知能が制限されているような感覚があるのです。


 ビニール音は今までにないほど激しく、そして、ひとつではありませんでした。残念ながら、は複数体存在するようです。どうせ視るしかないのだろう、と、視線を下げると。


 案の定、魔物です。魔物たちは綺麗に並んで私のベッドの上に立っています。夢の中で見たあの顔でこちらを見下ろしている。そこで、私の中にはある感情が湧いてきました。


 怒りです。最近は怒ることに慣れたのか、悪夢に対し恐怖を感じることがなくなりました。燃えるような怒りが、全身に染み渡るように感じます。


 もはや人ですらないものが、この私の寝室に侵入しただけでなく、ベッドの上に汚れた服で、しかも土足で立っているのです。あまりに不衛生ですし、そもそも切って張り付けたような顔にも腹が立ってきます。


 感情など読み取れるはずもないのに、なんとなく勝ち誇った態度というか、ドヤ顔をしているように感じて、思わず金縛りを破り、飛び起きました。私は「眠りを妨げられること」がこの世で二番目に嫌いなのです。ちなみに一番目は「他人に指図・支配されること」です。


 ということで、手ごろな位置に居た魔物の首を締めあげ、床に叩きつけます。


 ガサッ。魔物はあっけなく動かなくなり、ビニール音がひとつ減りました。一体を仕留めたところで、他の個体がわずかに後ずさりします。


 しかし、逃がしません。この私の眠りを妨げたのです。私を敵に回したことを後悔させなければなりません。もう一体も同様に首を締め潰し、床に叩きつけます。ガサッ。次で終わりです。ところが。


 先ほどまで最後の一体が居たはずの場所に、老婆が居ます。私はすぐにそれが「認知症の老婆に擬態した魔物」であると理解しました。


 ある人が「人は死という恐怖から逃れるために認知症になるのだ」と言っているのを聞いたことがあります。この魔物は私の記憶を参照し、死という恐怖から逃れるために、このような姿になったのでしょう。


「では、死以上の恐怖を与えたら、死ぬためにあらゆることを思い出すのか」


 ゆっくりとそう言いながら魔物に近づくと、体が溶けていくかのように魔物の擬態が解けました。魔物は戦うか逃げるか迷っているように見えます。ですが、お察しの通り、逃がしません。私はその場で目を閉じ、夢に落ちます。先ほどの夢を呼び出すのです。


 数秒の後、父の運転する車の助手席に乗り、夜道を帰る夢が始まります。成功です。肌に感じる感触から、現在、この夢の支配権は完全にこの私が握っていると分かります。多少疲れは残りますが、この状態であれば極めて自由に夢を操れます。


 大切なことなので繰り返しますが、私は眠りを妨げられることと他人に指図・支配されることが大嫌いなのです。この私の安らかな眠りと夢を理不尽に穢した。万死に値する罪です。目には目を、歯には歯を、理不尽には理不尽を。


 私は即座に父の、首から上の「空間」に手をかざし、頭部を再生させました。


「轢き殺していいんだよね。初めからそのつもりだけど」


 意識を取り戻した父が言います。私は黙って頷きます。暗い川沿いの道、左側には森があり、右側には学校。そして。


「逃げるな」


 魔物に手をかざし、拘束します。金縛りのお返しです。車はそのまま魔物に向かって突っ込んでいきます。


 バシッ。ビニールが破れるような音と同時に、衝撃音がしました。ちゃんと質量を感じる音です。どうやら、魔物にダメージを与えたようです。しかしこれで終わりではありません。


 私はシートベルトを外し、座席を踏み台にし、フロントガラスをすり抜けて飛び出します。そして、まだはね飛ばされて滞空している魔物に追いつき、両手の拳を合わせ、振り下ろします。


 バリッ。この攻撃も有効です。続いて、地に伏している魔物を踏みつけるようにし、高く飛び上がります。バリッ。これも有効。直後、魔物の上を父の乗る車が通過します。バリバリッ。タイヤが二度、乗り上げました。良いことです。


 魔物はもはや動いていません。これでとどめです。私は左側の木々が足元に見えるくらいの高さから、自由落下を超える速度で魔物に向かって落下します。


 バン。ビニールが破裂するような音。着地の瞬間に足に渾身の力を込めたので、相当な威力だったことでしょう。


 魔物はゆっくりと消えていきました。塵のようにも、泡のようにも見える、表現しがたい消え方でした。同時に、この夢の世界も役目を終え、白紙に戻るように消えていきます。


「明らかに輝きて。日は東の方より出づ。悪しき夢を断ちて。性なきを祓ふ。急急如律令」


 日の出を背に、私は以前どこかで覚えた悪夢祓いの呪文を心の中で唱えました。これは私自身に対する「祈り」のようなものです。その言葉を最後に、私の意識は空へ落ちるように、現実へと戻ります。


 その日の朝はとても疲れていましたが、やはり清々しい疲れでした。


 今になって思えば、ここまで苦労しなくても、病院に行けばよかったのかもしれません。しかし、当時は「悪夢障害」という言葉など知りませんでしたし、「悪夢を見るから病院に行く」なんて、普通は考えもしないでしょう。私自身もそうでした。結局、私にとってはこのやり方が正しかったのだと思います。


「戦争が終わって、ようやくみんな幸せになれると思っていたけど、それは間違いだった。初めから、この世に幸せなんて存在しなかった」


 ふと、昔、誰かから聞いた言葉が頭をよぎります。残念ながら、この世に自分のために用意されたものなど無いのですから、その考えはある意味正しいでしょう。


 自分の幸せは自分自身が創り出すものであり、誰かに与えてもらうものではないのだと、私は考えています。ゆえに、私は私の味方しかしない。そして私の「幸せづくり」を邪魔する者は、例え霊であろうと、神であろうと許さない。その「意志」と「怒り」によって、私はまたひとつ悪夢を克服し、安らかな眠りを手に入れたのです。

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私が体験した心霊的現象・悪夢障害との闘いの記録 植木 浄 @seraph36

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