紙一重の救いの手

かなぶん

紙一重の救いの手

 下校中、鶴村かくむら真弓まゆみは見慣れた夕暮れに、見慣れない光を見つけた。

 何故か惹きつけられる光に目をこらしたなら、

(……子ども?)

 幼稚園児くらいの可愛らしい容姿の子どもがそこにいた。

 真弓が子どもを認識した途端、その存在に気づく要因となった光は失せており、狐につままれたような顔で目を瞬かせる。

 と、そんな注視はまた別のことを真弓に気づかせた。

(何を見ているんだろう?)

 子どもがいたのは、そこそこ広い公園の入り口近くの木の下。

 その目が見ている方向には公園内の、舗装された小道。

 そこをゆっくり歩く買い物帰りの老婦人は、シルバーカーを押しており――。

「あ」

 短く声をあげた時には駆けだしていた真弓。街灯がつく直前の薄闇の中、道路を通りがかった車のヘッドライトが、シルバーカーの車輪の前に石の出っ張りをあぶり出したのだ。

 このままだと危ない。

 直感的にそう考えての行動は功を奏し、石を咬んだシルバーカーの動きと、荷物の重さに転倒しかけた老婦人を支えることができた。

「だ、大丈夫ですか?」

「え、ええ……。ごめんなさいね」

 当の老婦人は、一瞬の出来事に狼狽えつつ、いつも通る道だったから驚いた、思ったより荷物が多くなってしまっていたせいもある、と真弓に対してと言うよりも、自身の反省点を整理するように口にしては、

「ありがとうございます。お陰で助かりました」

 と丁寧にお礼を述べた。

「いえ。大丈夫なら良かったです」

 慣れない礼を受け、なんとなく気恥ずかしい思いに駆られた真弓は、手を振りがてら老婦人を見送り、小さく「お気をつけて」と付け足してみた。

 妙な照れと、もっと他に適切な言葉はなかったかという後悔と、それでも大事にならなくて良かったという余韻を味わっていれば、何かの気配に気づく。

 自然とそちらを見たなら、そこには先ほどの可愛らしい子どもがいた。

 しかし……。

(あれ? なんか、睨まれてない?)

 年の差は十以上あるはずだが、何故か気圧されて靴がジリッと後ずさる。

 とはいえ、この子どものお陰で老婦人の助けになれたのだ。この子が老婦人の方向を見ていた理由はわからないが、自分に向けられた礼には子どもの分も含まれているだろう。

 そう思い、真弓から礼を言おうとしたのだが。

「余計なことをしてくれましたね!? 彼女はわたくしが助けるつもりでしたのに! ヒーローごっこも大概になさい、お嬢さん! いつか痛い目を見ますよ!」

「!?」

 年相応の高い声に似つかわしくない口調に、老婦人や真弓へ向けた呼称。

 真弓が驚いている内に、子どもは言いたいことだけ言うと走り去ってしまった。



 昨日のあれはなんだったのか。

 怒りを通り越して呆気に取られていた真弓は、休み時間、同じクラスの友人から、最近不審者が目撃されていると聞いた。

 ぱっと浮かんだのは、昨日の子ども。

 老婦人の危機の直前にその姿をじっと見つめていた様子は、まさに不審者そのものだが、あの愛くるしい容姿では多少の奇行があっても、そんな評価は下されないだろう。

 そう思えば、何とも言えないため息が漏れた。



 そんな風に貴重な高校生活の一日を過ごした、あるいは潰した真弓。

 考えすぎたのが悪かったのか、下校時、またも同じ子どもを見つけてしまった。

 昨日と違うのは、公園に入っていったこと。

「…………」

 夕方になって強まった風に、顔へかかる髪を除ける。

 知り合いでもない、なんなら珍妙な説教をしてきた子どもである。

(それに、ヘタをすると私の方が不審者になりそうだし……)

 わかっているはずなのに、真弓の足は子どもに続いて公園の中へ。

 正直、可愛らしい子どもではあるが、感想としてはそれだけ。変な子どもだとしても、子ども時分なら多少の変は正常だろう。そもそも真弓自身、子どもと積極的に関わりたいとは思っていない――はずなのに。

 自分でも理解できない行動に戸惑いつつ、今日も木の陰に潜んだ子どもに倣って隠れたなら、視線の先にはやはり通りかかる人がいて――急な突風が吹く。

「!」

 と同時に、その人目がけて飛んで来た看板。

 昨日以上の危険に、どう見積もっても間に合わない距離に、それでも動きかけた真弓の足だが、辿り着く前にあっさり止まった。

 強風により内容までは届かないまでも、誰かの声に止まった足により、振り返った背後を看板が通り過ぎるのを見て、ほっと胸を撫でおろす――直前。

「ちっ」

 耳にはっきりと聞こえてきた舌打ち。

 ぎょっとしてそちらを見たなら、思ったより近い位置にいる子どもが、忌々しげに爪を噛む姿があった。

 気づかれる距離よりもヒヤリとする気配から動けずにいれば、真弓に気づいていないのか、子どもが特有の愛らしい声で愚痴りだす。

「またですか! 昨日に引き続き今日までも! 天の使いの修行を妨げるなど、下界の者どもと来たら! 迷える力なき者ならば、それらしくしていればよろしいのに! わたくしの力を高めるためにもわたくしに助けられるべきでしょう! 何故お前たち同士で助け合っているのですか! せっかくこのわたくしが、見過ごせば命を落としかねないタイミングを狙って救いの手を差し伸べるべく、日夜こうして潜んでいるというのに、全て台無しではありませんか! 修行が終わればわたくしの加護の力も増すのですから、わたくしの崇高な使命のためにも、この辺一帯の下界の者はいつでも危機に陥っていなさいな!」

 要約すると、子どもは天の使いとやらで、修行のためにここにいて、それは人助けをすると力を増すらしい。そして、人助けで得られる力には等級があって、対象がピンチであればあるほど良い、と。

 つまり昨日のアレや今日のコレも、相手のことを心配してではなく、相手に害が及ぶのを期待して、観察していたということか。

「…………」

 子どもの主張は信じられるものではなかった。

 だが、そんな世知辛いシステムを口にするには、子どもが子ども過ぎて、真弓は少し、いや、かなり幻滅した。

 最終的に、何故こんなのを気にかけたのかと己に幻滅しては、子どもに気づかれないようそそくさとその場を後にする。

 ――だが。

「っ!?」

 急に引かれた腕。

 放られたのは公園内の雑木林の中。

 受け身も取れずに芝生の上へ倒れたなら、続けて重いモノが腹を圧迫した。

 混乱の中、顔を上げたなら、そこには自分に跨がる不審者がおり、

「ははっ……! 今度はやれる! やってやる!」

 影しかわからない相手の荒い息混じりの低い声には、喜色が読み取れた。

 そしてその手に握られているのは、街灯により小さく反射する刃物。

「ぃやっ!!」

 脈絡もなく襲いかかる命の危機に、状況を理解した喉がようやく悲鳴をあげたものの、強風に煽られた木々のざわめきが全てをかき消してしまう。

 遅れて試みた抵抗はあまりに遅く、先に両手首を上に取られては、晒した首へ刃物が埋められる――直前。

「お待ちなさい!!」

「がっ!!?」

 凛とした高い声と共に、不審者の横から光がぶつかった。

 瞬間、手首と腹の重みが去り、震える上半身を起こしたなら、あの子どもがいる。

「ふぅ。危機一髪というところでしょうか。大丈夫ですか、お嬢さん」

 出ている様子もない汗を拭った子どもは、小さい手を延べてきた。

 躊躇したのは、つい先ほどの子どもの言葉を思い出したせい。自分のこの危機も見ていたのだろうかと疑いつつも、助けられたのは確か。

 真弓が「ありがとう」と礼と共に手を取りかけたなら、子どもが「おや?」と相変わらず似つかわしくない口調で首を傾げた。

「お嬢さんは、もしかして昨日の――」

 子どもがそう言いかけた、その時。

「っにしやがる、このガキ!」

「ひっ!?」

 横合いからの蹴りが小さな身体を飛ばした。

 一度は子どもの体当たりで視界から消えていた不審者だが、やはりと言うべきか、体格差がある分、大した攻撃ではなかったらしい。

 続けて加えられる暴力の予感に制止を訴えかけた真弓だが、不審者の顔がこちらを向いたなら、まだ起き上がれていない身体を後ろへ掻いていく。

 この姿に不審者から漏れる嫌な笑い声。

「へ、へへ……。ただ切り刻んでやろうってだけだったのに、そういう格好されちゃ、誘われてるって思うだろ!!」

「やっ!?」

 勝手な言い分で再びのしかかってきた男は、真弓の抵抗を首筋に刃物を当てることで封じると、制服を引きちぎるように握りしめて引き寄せ――止まった。

「全く。何をするとはわたくしの台詞ですがね」

 強風で揺れる木々があるにも関わらず、その声はやけにはっきりと聞こえた。

 真弓が滲んでいた視界から涙を押し出せば、男の横に光を纏う姿がある。

「お、お前……何を、しやがった……」

「さあ? 何をしたのでしょうねえ? 当ててご覧なさいな」

「うっ!?」

 くすくす笑いながら上に向けた人差し指を回したのは、光に負けない美貌の少年。

 対する不審者は、真弓の制服と共に身体を離すと、後ろ手に拘束されたような姿勢となって地面に伏す。

「このっ、くそっ! 縛られもいねぇのに、なんで!」

「さあ? 何故でしょう――おや、残念。時間切れです」

 言って少年が不審者の前で手を振ったなら、少年の光で明らかになったその顔から、表情がすっかり抜け落ち、目が朦朧としたものになっていく。

 真弓はしばしこのやり取りを見るだけだったが、不審者と違って動ける身体を知るなり、身を起こしながら少年へ向かって礼を言う。

「あ、あの、助けてくれてありがとうございます! でも、あのっ……」

 まともに目を合わせた少年の美貌に呑まれかける真弓。

 しかし、少年が纏う光と同じ光を思い出したなら、撥ね除ける勢いで言った。

「あの、子どもが、その人に蹴られた子がいて! 早く病院に!」

(――いない?)

 少年へ頼む傍ら、目だけで探るも子どもの姿はなく、それでもなお言い募ろうとしたなら、少しだけ驚いた顔をした少年が、ふっと笑った。

「大丈夫」

 年の頃は同じくらいだろうに、穏やかな少年の声と撫でられる頭に否応なく安堵を感じた真弓は、今度ばかりは抗えず、意識を手放した。



 真弓が目を覚ましたのは、次の日、自分の部屋だった。

 軽い混乱を抱えつつ、両親にそれとなく聞いたものの、昨日の夜の自分は普通に帰宅し、普通に夕食を摂り、普通に風呂に入って、普通に就寝したという。

 言われてみれば、確かにそんな風に過ごした記憶もあって、あれは夢だったのかもしれないと思えてくる。

 印象的な子どもを見かけたせいで、引きずってしまった夢かもしれない、と。


 休み時間、試しに例の不審者について聞いたなら、昨日それを教えてくれたはずの友人は、興味津々に「何その話!?」と食いついてきた。

 やはり夢――と結論づけるよりも、友人の興味を逸らす方が面倒になったのは、想定外だったが。


 それでも下校時になれば、なんとなく子どもの姿を探してしまう。

 途中、助けた老婦人と再び出会い、礼を言われたため、あの子ども自体が夢だったわけではないはずだ。

(……元気ならいいけど)

 夢とはいえ、最後に憶えているのが蹴り飛ばされている姿というショッキングさから、ただただ無事を願う。

 ――と。

「やあ、こんばんは。お嬢さん」

 やけに親しげな声をかけられ、振り向けば昨日の美少年――に似た少年がいた。

 昨日の美少年と違うのは、顔の様子。左目の真ん中から傷のような溝が顔の上下に延びており、そこを境に左半分は陶器のようにつるりとしている。

(変わった仮面……?)

 仮面と言うほど右の肌との段差はないが、明らかに皮膚ではない。

「あの……?」

 戸惑いながらも、命の恩人と同じ顔の少年へ伺うような目を向けたなら、これに気づいた様子で少年がふんわりと笑った。

「ああ。そう言えば何も伝えていませんでしたね。わたくしは貴方が言うところの、あの時の蹴られた子です」

「……え?」

 証明するように、少年の姿が一瞬だけあの子どもになり、元に戻る。

 あれは夢ではなかったのか。

 知らず、夢で片付けようとしていた自分をそこで知った真弓に、少年は言う。

「実はわたくし、天の使いという存在でして、しばらく下界――いえ、この地域で修行をしておりました。そして、貴方のお陰で、貴方を助けたことで、こうして力を得ることができました」

 恭しく「ありがとうございます」と頭を下げた少年は、顔を上げ様、「まあ、ご存知でしたでしょうが」と付け加えた。

 この少年があの子どもだったとするなら、どうやらあの時、彼の愚痴を聞いていたことは知っているらしい。

 まるで好き好んで盗み聞きしたようにも受け取れて、居心地が悪かった。

 ついでに、虫の知らせというヤツか、嫌な予感がした。

 とにもかくにも、あの子どもは無事だったわけだ。

 そう無理矢理自分を納得させた真弓は、あまり深く関わるような相手ではないと思い、「そうですか、それは良かった、それでは私はこの辺で」と立ち去ろうとした。

 ――が、ガシッと手首を掴まれる。

 少年のニコニコした顔に、いよいよ増す一方の嫌な予感。

 もつれそうな舌で「まだ何か?」と尋ねたなら、彼は言う。

「恩を着せる言い方になるようで、大変心苦しくはあるのですが、どうかわたくしをお助けくださいませ」

 曰く、修行により力は十分得られたものの、助けるべき対象の危機を待つ姿勢が問われてしまい、善行を重ねなければならなくなったらしい。

 ついでに、長年そんな考えでいたせいで、そもそも善行の基準がわからないため、一般人代表として基準を教えてもらいたい、と。

 何故自分なのかと問えば、すでに少年が身分を明かしている相手であり、かつ、一昨日老婦人を助けたことから善行を知っていると考えたから――とも。

「もちろん、報酬もご用意しております」

 そうして提示されたのは天の使いにしては俗物過ぎる、金銭。

「とはいえ、善行を重ねる予定のわたくしが強要するわけにも参りませんから、そうなった場合は、どなたか他に適任を探させていただきますが」

 残念そうな微笑みだが、薄く見える目は「逃がしませんよ」と言っていた。

 嫌な予感から来る警鐘は真弓の中で鳴り続けており――実際嫌だが、少年に恩義を感じているのもまた事実。

 身の危険がないことを条件に引き受けたなら、少年は自信たっぷりに胸を張る。

「わたくしが庇護するのですから、当然です。貴方はわたくしがお守りします」

 思いの外甘く響く言葉に自然と染まる頬。

 払うようにふと思い出したのは、昨日の不審者のこと。

 そんな真弓の考えを読んだかのように、少年を続けて微笑む。

「大丈夫。きちんと昨日のように、貴方に振りかかる災いは滅しますから」

「…………」

 子どものことはさておき、存在自体が噂ごとなくなっていた不審者。

 真弓は、少年の語る善行が、前途多難であることを予感せずにはいられなかった。

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紙一重の救いの手 かなぶん @kana_bunbun

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