始古書店「ST−ART」の接客について
久々原仁介
始古書店「ST−ART」の接客について
雑貨屋「はじまり」
ようこそ、いらっしゃいませ。
本日はお越し頂き誠にありがとうございます。始(はじまり)古書店「ST−ART」の店主を務めさせていただいております、船津と申します。
お待ちしておりましたと言うのも変なお話ではございますが、そろそろ誰かいらっしゃる頃合いなのではないだろうかと、考えていたものですから。もしも次にお客様が扉を開けていらっしゃったら飛び切りの接客でお迎えしようと考えておりました。
当店はご覧の通り、由緒正しい古書店でございます。果たして古書店に正しいも間違いもあるのかは分かりかねますが、私の認識ではここは荘厳で美しい王国なわけです。ええ、たとえ埃がうっすら被っていても。
失礼ですが、始古書店「ST−ART」へのご来店は初めてでしょうか? いえいえ。何も一見さんお断りなんてことを言いたい訳ではございません。それどころか、当店は一見さんがほとんどでして、逆に常連という方がいらっしゃらないのです。
ましてや、お客様のようなお若い方なども稀ですから。良ければ、当店がいったいどういうお店なのかをご説明させて頂ければ幸いです。コンセプトというほど大したものではありませんが、それでも何も分からないままこの店を後にするのはもったいないとは思いますよ。店主としてはね。
立ちっぱなしというのも、味気ないかもしれませんね。歩いてご案内して参ります。
言うまでもなく、当店は古書店です。しかし、単なる古書店ではございません。当店はあらゆる「始まり」を売っている古書店なのです。
ピンと来ないのも無理はありません。その悩んだお客様の顔が、私の数少ない生きがいなものですから。どうか、お許しくださいませ。
では「始まり」とはなんでしょうか? 例えば私がこの本を開けば「読み始める」ということになるでしょう。冬は日が暮れるのも早いですから17時にもなれば街灯は「点き始める」でしょうね。ああ、そう言えば最近は煙草も高いですから「禁煙を始めた」んですよ。などなど。
そうです。「始まり」とは、至るところにございます。我々の生活に蔓延るあらゆる動作も出来事も、そこには「始まり」があります。逆に言えば「始まり」が無ければ、何事も成すことはできません。
しかしながらこの世には、スタート地点に立つことができない方というのが非常に多くいらっしゃいます。
明日やろう、3日後にやろう、1週間後に、1ヶ月後、来年こそは。というように、意思はあれどもなかなか始めることができないという方を見たことはありませんか?
そのような方の背中を押すため、我々はおすすめの「始まり」が詰まった古書をご提案させていただいております。
なぜ古書店なのかと疑問に思ってる方もいらっしゃいます。これはまるでつまらない話にはなってしまいますが、お客様のやってみたいと思うことの大抵は、誰かの手垢がついてるものなのです。
スポーツに然り、趣味の類に然り、誰かが先駆者となって手順やマニュアルがあるからこそ始められるものです。
もちろん、誰もやったことのないパイオニアになりたいと思うのも結構なことです。しかしながら、そういう人に限って何も始められなかったり、3日坊主に終わったりすることがほとんどです。
お客様の3歩先の本棚、上から2段目の棚をご覧くださいませ。
こちらの棚は趣味の本棚でございます。野球にサッカー、水泳などの一般的なスポーツからダーツやひとり居酒屋、シーシャなど「興味はあるけど、わざわざ今から始めるのも面倒だな」という絶妙なラインを攻めております。
興味がない? 疲れることはしたくない?
結構なことでございます。だからこそ、接客のしがいがあるというもの。
ではそのまま4歩進んだ本棚、5段目の左から七列目の古書をお取りくださいませ。
こちらは古書の中でも珍しいものを中心に集めておりまして、お客様の手に治っているものなど飛び切りのレアものでございます。そちらの本はなんと、「国の始め方」でございます。
これは最近手に入った代物ですが、かつて名もないひとりの村人が国を興すまでの壮絶な人生を題材にした…いらない? 何もしたくない? はは、冗談です。わかってはいたのですが、ついつい興奮してしました。
いかがでしょうか? 駆け足ではございましたが、ご興味を持たれたものはございますでしょうか。
……ええ。そうでしょうね。
もちろん、存じ上げておりました。
お客様を一目見た時から、おそらく貴方様は「終わり」を買いに来られたのではないかと薄々感じてはおりました。
「ST−ART」はあゆみを止めてしまったものの前に現れる、不思議な古書店でございます。お客様のように自らその命を断とうとも、その一歩が踏み出せない方が迷い込んでくることも珍しくはございません。
私は甚だ疑問でありませんでした。どのようなものでも「始まり」があれば「終わり」がございます。この2つはセットなわけです。どれだけ長い本にも「終わり」があるように、我々にもたどり着くべき終わりがございます。わざわざ「終わり」を求める必要など、どこにもないわけです。
そのまま1歩前へお進みください。
正面の本棚、ちょうど誰かと手を繋ぐような位置にございますのが、私が最後におすすめする白紙の古書でございます。
こちらの商品に代金は必要ございません。なぜならお客様はすでにスタート地点には立っているのです。その白紙の古書にお客様だけの道程を描いて歩いてお行きなさい。
こちらは「生きることを始める」古書でございます。
ええ、そうですとも。
お客様に、ぴったりの本でございます。
……お買い上げ、誠にありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
始古書店「ST−ART」の接客について 久々原仁介 @nekutai
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