崖っぷち声優がリアルな危機に遭遇したら。

櫻月そら

崖っぷち声優が、リアルな危機に遭遇したら。


「ありがとうございました! 失礼します」


 えみはディレクターや音響スタッフに元気よく笑顔で挨拶をしてから、録音ブースをあとにした。


 しかし、扉を閉めて廊下に出ると口角が下がった。瞳からは光が消え、死んだ魚のような目になっている。


「はぁぁ……」


 無意識に深い溜め息がこぼれる。


 咲は声優をしている。

 いや、一応、声優している、といったほうが正しいのかもしれない。

 メインの仕事は、スーパーのレジ打ちだ。


 アニメーション専門学校の声優科を卒業して、小さな事務所に所属することはできたが、オーディションに受からない。そもそも、オーディションに呼ばれること自体が少ない。


 人気声優はオファーが来て、役が即決まるのだと思っていたが、すべてがそうではないことを知った。

 1クールに何作も出演している売れっ子声優ですら、オーディションを受けているらしい。

 そんなの勝てるわけがない、と嘆く前に、戦場にも立てていないのが現状だ。


『咲は歌もダンスも上手いし、演技の実力もあるよ。声も耳に残りやすいから、あとは緊張に勝てればねぇ……。何かきっかけがあると良いんだけど』


 所属している事務所の女性社長は、そう評価してくれる。

 しかし、緊張も含めてコンディションを整えることも実力のひとつだ。咲には、それが欠けている。


 そして、咲が空回りする理由がもうひとつある。

 両親と約束したタイムリミットだ。

 約束の内容は、専門学校を卒業したのち、五年以内に名前がある役に採用されること。それをクリアしなければ、声優を続けることはできない。


 夢を諦めて実家に戻った際には、昔から交流がある旅館の息子と結婚する、という条件も付いている。


 相手は幼なじみで気心が知れており、将来もおそらく安泰。顔も名前も知らないオジサンに嫁ぐよりは良い条件だとは思う。


 しかし、咲はまだ声優の夢を諦めきれない。

 専門学校へ入学する時も、やっとの思いで両親の了承を得て、今に至る。


 声優になりたい、と両親に打ち明けた時、やらしい作品に声で出演するのだろう、と反対された。

 どんな偏見だ、と咲は呆気にとられた。

 何の作品を観てそう思ったのか、少し気になったが、あえて聞かないことにした。世の中、知らないほうが良いこともある。


 しかし、両親が好きな洋画の吹き替えをしている声優も、アニメキャラクターなど、たくさんの役を演じていると説明すると二人は渋々納得した。


(あの映画も、がっつり濡れ場があるんだけどなぁ……)


 世代によって、洋画とアニメのお色気シーンは別物なのかもしれない。

 老舗旅館を経営している両親は、特に考え方が古い傾向にある。


 

 そして、約束の期限までは、あと一年となってしまった――。

 

 声優の仕事だけで生計を立てられる人は、ほんの一握り。そんなことは百も承知だ。それでも最後まで粘りたい。


 しかし、咲が今までに演じた役は、女子生徒Aやショップ店員、通行人などのモブばかり。

 ここから本当にのし上がることができるのだろうかと、ふとした瞬間に不安になる。


 今日のオーディションも手応えがなかった。

 おそらく、落ちるだろう。


「はぁぁ……」


 甘いものでも飲んで気分転換しようと、自動販売機がある一階に向かう。

 歩きながらも、無意識に何度も溜め息がこぼれてしまう。

 それに反応するように階段下から、若い男性の声が聞こえた。


「……え?」


 声の主は驚いたような顔で、咲を見上げている。


(そんなに驚くほど、私、悲壮感が漂ってる?)


 面識はないが、おそらく業界の人だろう。


「こんにち……はっ!?」


「危ないっ!!」


 とりあえず、挨拶をしておかなければと、男性から目を離さずに階段を降りていると、途中で段差を踏み外してしまった。


「……ひ、ぁっ!」


(ヤバイっ! こういう時は、下にいる人のほうが危ない!)


 落下していく一瞬で、そう危惧したが、男性はしっかりと咲を受けとめた。

 細身に見えるが、わりと筋肉質のようだ。咲の頬に当たっている胸板も厚い。


「……は、はあ、ぁ……っ」


 巻き込んでしまったことを謝まって、助けてもらったお礼を言わなくては。

 思考は回るが、落ちた衝撃と恐怖で息が整わず、上手く言葉が発せない。


「あ、あっ……っ。す、み、ませっ……んっ」


「大丈夫ですか? どこかケガしてませんか?」


 ケガはないと伝えるために、咲は首を振った。


「そうですか。良かった……。それでも、一応は医務室に行きましょうね。――あと、落ち着いてからで良いので、僕の話を聞いてもらえますか?」


 そう言った彼は、まだ息が整わない咲の背中を優しく撫でた。


(私にも春が? いや、慰謝料請求か!?)


 声は出せないのに、頭の中は騒がしい。


「――ありがとうございます。落ち着きました……。すみません、おケガはないですか?」


「大丈夫ですよ。たまたま下にいて良かった。頭から落ちてきたので焦りました」


「ありがとうございます。助かりました。ご迷惑をおかけして、本当にすみません」


「いえいえ」


「それで、あの、お話というのは……?」


 医務室に行くよりも、話のほうが気になった。


「あ、すみません」


 そう言った彼はジャケットの内ポケットから名刺入れを出すと、丁寧に両手で名刺を差し出した。


「私はゲームプロデューサーの柄本えのもとと申します。今は大人の男性向けの恋愛シミュレーションゲームを制作しています」


「大人の男性向け……」


「いわゆる、R18のギャルゲーですね。シナリオは完成しているんですが、メインキャラの女性声優さんが、なかなか決まらなくて……。困っていたところに、あなたの溜め息を聞いて、この声だ! と直感で思ったんです。あと……、大変不謹慎なんですが、転落された後の息遣いがとても理想に近くて――。あ! 下心はまったくありませんよ! でも……、急にこんなこと言われたら、気持ち悪いですよね」


「い、いえ……」


 うなだれて、本当に申し訳なさそうにしている柄本に対して、悪い感情は湧かなかった。

 彼はただ、ワーカホリック気味の仕事熱心な人なのだろう、と。


「あの、声優さんですよね? どちらの事務所に所属を? ぜひ、オーディションに参加していただきたいのですが……」


 柄本は自分の言動に落ち込んでいたが、すぐに仕事モードの真剣な顔に切り替わった。

 それに対して、咲も真摯に答える。


「……ありがとうございます。お声がけくださり光栄です。一度、事務所に相談してみます」


「良かった! ありがとうございます。こちらからも、正式にオーディションについてのご連絡をさせていただきますね」


「はい。よろしくお願いいたします」


 咲の返事に、柄本はふわりと嬉しそうに微笑んだ。


(なんか……、可愛い人だな。現場では雰囲気が変わるタイプなのかな?)


 

 とりあえず、階段から転落死するという命の危機は回避できた。

 しかも、約束の期限内にメインキャラ役に採用されるかもしれない。プロデューサーの人柄も良い。これは間違いなくチャンスだ。

 

 しかし、両親や友人知人に喘ぎ声を聞かれる可能性があるという、新たな問題に直面してしまった。


(もし、この仕事が決まったら、メインキャラとしてのデビュー作はR18かぁ。……ん?)


 ここで、もうひとつ恐ろしい可能性が浮かんだ。

 声優を目指すことを反対された時に、「やらしい作品」と父が発言したことを咲は思い出した――。


(え? お父さん……?)



              了

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崖っぷち声優がリアルな危機に遭遇したら。 櫻月そら @sakura_sora

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