並んだ帰路、茜色

実杜 つむぎ

並んだ帰路、茜色

 夕暮れ、茜に染まる帰り道。ちょっと浮かれた気持ちで足取り軽く歩く中で、はた、といきなり冷や水をかけられたように、疑問が頭を過ぎった。


 ──あれ、私、どのスケッチブック渡した?


 慌てて鞄を下ろし、教科書やノートを掻き分ける。そして、──貸したと思っていたスケッチブックを見つけた。



「嘘でしょ……!?」


 抑え込むように鞄の口を閉じ、乱暴にチャックを閉める。抱え直す間も惜しむように、踵を返して駆け出した。


「ちょっと待って、間に合って……!」


 今だけ、光より速く走りたかった。





────




 ──清水って、いつもスケッチブック持ってるよね。


 話しかけられたのは、初めての席替えの時。ざわめきに紛れるような、静かな声だった。


 ──ごめん、この前後ろからちょっと見えて。知ってるゲームのキャラだったから。


 クラスは同じだけど話した事は無くて、緊張する私に困ったように頭を掻きながら、でも密やかな声音は穏やかで。


 ──イラスト、一瞬だったけど、好きな絵柄だなって。だから、迷惑じゃなければ、見せてもらえないかなって、思って。


 家族以外で、初めて、『好き』って、私の絵を褒めてくれたのが、柳くんだった。



 嬉しくて。スケッチブックが埋まるたび、見てって持っていくのを、迷惑な顔一つしないで、ちゃんと見てたくさん感想を言ってくれる。その内、もう少し見ていたくなって、話したくなって、一年。


 また同じクラスになれて嬉しくて、私の絵を楽しみにしてくれるのも嬉しくて。


 ちょっとした出来心で、予備に持っていたスケッチブックに、デフォルメした彼のイラストを描いてみたりして。


 ──まさか! 今日貸すはずだったスケッチブックと間違えて渡すとか! そんな事ある!?



(いや、でもイラストだし。似顔絵にしたって、そんなリアルじゃないし。並べて見なきゃ……いや、言われなきゃ分からないかも)


 ……いや、でもバレなくても見られたくない! 上手く描けたからって残さず消しておけばよかった!



 やっと学校まで戻れた頃には、息がきれてもうほぼ歩いてるのと変わらなかったけど、耳奥で鳴る鼓動も脇腹と喉の痛みも気にしないふりをして、可能な限り急ぎ足で教室へ向かう。今日は委員会だって言ってたし、まだ見られてないかもしれない!



 ガラッと勢いよくドアを開いて教室に駆け込む。夕焼けに染まる教室で、こちらを振り向いた影に、悲鳴を上げたくなるのを抑え込んで、慌てて声をかけた。


「っ柳くん!」


「清水? びっくりした。忘れ物?」


「あのっ、えっと、っスケッチブック! 間違えて、全然描いてない方置いちゃって!」


「え、そうなんだ」


「そう! 見せたいやつ、っえっと、……こっちなの!」



 震える手で引っかかるチャックに焦りながら、渡すはずだったスケッチブックを取り出す。差し出すと、彼は大事そうに受け取って、手に持っていたもう片方のスケッチブックを返してくれた。


 ……そう、持っていた、だ。


「……あの……その、こっち、見た?」


 恐る恐る、緊張しながら訊くと、いや、と否定が返ってきた。


「さっき教室に戻ってきたとこだから。見ちゃダメなやつ?」


「えっと、うん! あの、ちょっと消しゴムで消しきれない感じの失敗しちゃって! 見られるの恥ずかしいなーって、その、見てないならよかった!」



 よかった。ほんとーに!よかった! 間に合った! ギリギリセーフ!!


 ちらりと柳くんの顔を見る。うん、いつもどおりスンとしてる。どういう感情なの。でも、見られてなさそうでよかった。いや、見られてもバレなかったかもしれないけど、それはそれ。


 家に帰ったら……一枚切って、別にしまっとこう。上手く描けたし、ちょっと消すには惜しい。さっきは凄い焦ったけど、家に置いておくぶんには……多分、きっと、許される……と思いたい……。



「はー……。ごめんね、いきなり。じゃあ、また明日……」

「ねえ、清水」


「え?」


 荒い呼吸を整えながら教室を出ようとすると、心なしかいつもより静かな声に呼ばれて、振り返る。


「……その、よかったら一緒に帰らないか。途中まで道、同じだったろ」


 一瞬、思考が止まる。


(いっしょに、かえる……!? え!?)


 そんな事本当にあるんだ!? と思考が逸れかけて、はっと正気に戻って慌てて頷く。


「っうん、一緒に帰る!」


「うん……よかった」



 窓から差し込む茜色でほの赤く染まった顔でふわりと笑うと、彼が鞄を手に取り、すぐ傍まで来る。


「……じゃ、帰ろ」


「うん!」


 拳一つ分くらい離れて歩く。少し俯きがちに、歩調を合わせてくれる柳くんと歩く帰り道は、さっきよりずっとゆっくりで、もう呼吸も落ち着いたはずなのに、心臓が小鳥になったような、そわそわと不安で嬉しくて緊張する複雑な気持ちで、落ち着かない。


 ちらりと見上げた彼の顔は相変わらず夕焼け色で、私の顔の熱さも、差し込む夕陽に染まったせいだと、誤魔化されてほしいな、と目を細めた。

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並んだ帰路、茜色 実杜 つむぎ @tokoyohana

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