「九曜巴」其の六
イオリの帰還と時を同じくして、晴天に雷鳴が轟いていた。
空も割れんばかりに騒がしいがその下の大地、対爾核の周囲で大騒ぎになっている。あの鏡面に今までに見たことのない文字や紋が一同が浮かび上がったため、市街地の連中は大いに驚いていた。
「おい!見てみろ何だアレは!?」
誰かがそう叫んだように、銀色の鏡面に五つの穴が台形に並んでいるではないか。これも何を意味するかわからなかったが、晴天の雷鳴を含めて人々は何かの「区切り」や「合図」ではないかと話し合った。
一方で伊呂波のヲリョウの許では雷鳴に驚く双脚竜と異なり、それに呼応するように
「イオリ、ちゃんと帰れたのかい…?」
ここからでは最早どうすることもできないが、ヲリョウは店先から空を眺めたが既に雷鳴は止み、雲の切れ間から穏やかに日が射すばかりだった。
彼女が空を仰いでいると、
「ちょっと、一体何してるんだい!?」
それによくわからないが、黒い羽織に白い道着と袴姿、それも彼方此方に汚れや傷がある。彼のトレードマークであるもじゃもじゃ髪が半端に斬られて、ざんばら頭になっておりさらに見苦しくなっている。
おまけに、彼女がイオリに託したはずの肥前忠吉を彼が手にしているではないか。
「おい、しっかりしな!マサナ!」
「痛っ!?」
声を掛けても「うーん」としか唸らないため、マサナはヲリョウに何発か頬をはたかれて目を覚ました。イオリを見送り対爾核から弾き出された迄は覚えているが、まさか伊呂波に飛ばされるとは予想しなかった。
「ヲ、ヲリョウ…?なんでお前がここに」
「それはこっちの台詞だよ!」
ヲリョウの顔を見ながら「ふふ」と思った。どうやら分が言った通り、剣が導いてくれたのだろう。イオリの提案を随分とロマンチックと思ったが、それを信じた自分はもっとロマンチストであるかもしれない。
「マァ何だ。ヲリョウ… 今帰った」
「見りゃわかるよ。これで二回目じゃないか」
「ふふふ… そうだったな…」
「いつまでそうやってひっくり返ってるつもりだい!?」」
何か不気味な微笑みを浮かべるマサナに、さっさと起きろという代わりにヲリョウは彼の脇腹を軽く蹴ってやった。何だか、今日はよく蹴られる日だと思う。
「痛えッ!? 今起きる!」
「一体どこで何してきたんだい!?」
「マァ何だ。色々あったんだ」
「イオリを見送って来るなんて…」
「安心しろ、ちゃんと見送って来た。これが証拠だ」
マサナはヲリョウに、ずいっと肥前忠吉を差し出した。鞘を払ってみると、切先三寸は折れ、峯には無数の刃毀れがあった。折れずに戻って来たのが奇跡にさえ思える。
「と、ということは、五傑の筆頭に…」
「ああ、お前さんが預けた
二人の顔が刀身に映る。誉傷というには、余りに軽い。これはイオリ・ツキオカという剣士が居た証拠。どんな鞘書や折り紙よりも確かな記憶だ。
「それなら… ちゃんと帰れたんだね。イオリの… 元の世界に」
「ああ、そうだ。間違いなく帰った」
マサナの一言にヲリョウがうつむくと、ぶるぶると肩を震わせている。そして彼女は涙声でイオリの名を呟いていた。
「ヲリョウ、どうした?」
「イオリ… そうだよ。帰ってしまったんだ…」
平素、強気なこの女傑が泣くことなどは観たことがなかったが、この感情の決壊はイオリとともに過ごした日々がそれほどに尊かったのだろうとマサナは思った。その気持ちは、彼とて同じだった。
初めて涙を見せた彼女をすっと抱き寄せたが、彼女の体温を感じるより先に渾身の肘鉄砲がお見舞された。
「痛えッ!?」
「何だいこんな時に! 妙な気を起こすんじゃないよ」
「こういうときは、そういう流れじゃないのか!?」
「どんなときが、そういう流れなんだい!?」
そう言いながら涙を誤魔化そうと、ヲリョウは煙管に火を付ける。煙にむせぶマサナを余所に、彼女はまたあの伝承を思い出していた。
「その地に辿り着いたものは知らない… いや、一人知ってるか…」
その道の先を、あの元気なイオリが歩いている姿が紫煙に浮かぶような気持ちだった。そういえば彼女がそうやって歩いていけるように助けたのが、何処かに居たなとヲリョウは思った。
「マサナ、色々とありがとな」
「何だ。いきなり…」
ヲリョウがすっと自分の煙管を差し出すと、マサナはすっと手に取って一服する。二人は特に言葉を交わすわけでもなかったが、空を仰ぎながらイオリを思うのだった。
翼を持つ者は、いつかまた羽ばたくのだ。
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