「九曜巴」其の五

九度の転生が始まる以前、己の名もどこで生まれた場所も忘れた。だが、常に傍らには刀があったのは覚えている。


 幼少の時分から刀を手に一日を過ごせば一日、十日過ごせば十日、剣に対する追及の念は一種の情愛のように深まり、遂には生涯手放すことのできない体の一部となった。


 やがて訪れる臨終の時、ついに刀は己の肉体とともに離れた。幾度生まれ変わってもこの道を極めんと強く誓った。


 それが全ての始まりだった。


 気付けば群雄割拠の時代の東国に生を受けていた。十七の頃から廻国修行によって剣名を轟かせ、真剣の仕合は十九度、木刀等の仕合を含めれば総じて数百回、時の権力者の前でその腕を見せ「海内無双」のお墨付きを賜った。乱世ゆえ合戦に三十七度、それも一度たりとも不覚を取らなかった一度も負傷することなく。弓鉄砲を相手に数度負傷したが、倒した相手の数は二百を超えている。


 この頃には剣名は頂点を極め、門弟は孫弟子まで数百人となり剣術の「始祖」と崇められた。だが、稽古の最中、或いは仕合や合戦の最中で白刃に映る姿を見て思うことがあった。


 「この先、どこへ向かうのだ」


 頂上に至った時、何も見えなくなる。登っていく最中に見えた数々の峰も、あの青天もいずこかへ消えてしまう。皮肉なことに、剣の道を極めるほどにその道が失せてしまうのであった。時代、場所を違えてもこの命運から逃れることは叶わなかった。そして二刀の極意を得た九度目の転生、ここでイオリという名の門弟を得た。

 

 「どんなお弟子さんだったんですか…?」

 「家老の子息で養子に貰ったのだが、これが素直で何事にも聡い奴だった」


 二十代半ばで異教徒の反乱鎮圧が初陣となった。総大将の次席として参戦し、その用兵の妙から戦功を挙げ破格の恩賞を賜ったという。一応、同じ軍人であるも、これには目を丸くする他は無かった。


 「み、三十路前で将官… 流石は師匠の門弟ですね…」

 「ああ、剣術だけでなく兵法も奥伝を授けた甲斐があったが、それだけじゃない」

 「それだけじゃない?」

 「俺の剣術で以って、新たな道を拓いた」

 「どういうことですか?」

 「授けた奥伝を、まつりごとの場で用いた。主君を助けるのみならず、旧弊に苦しんだ領民たちも助けた… いわば不殺の、活人の剣だ」

 「活人の剣…」

 「これは、俺が到達できなかった境地だ。それを奴はやってのけた…」


 件の反乱を最後に時代は天下泰平に向かっていく。その最中、剣の道は失われたかに見えたが、彼はマサナが極めたものを無用の長物とすることはなかった。剣術の奥伝の更に妙髄、兵法という仕組み《ロジック》を新たな道として切り拓いた。自分が剣の道に生きた甲斐があった。技を授けた意味も、自分が迷ったことも全てが意味があったと弟子が示したのだ。


 「そんな訳で同じ名前の門弟なら、俺の教えを無駄にしないと思って託したんだ」

 「託した… でも、私はそんな風にできるか…」

 「そうかな? 初めて俺に会った時を覚えてるか?」

 「あの、両替商の押し込みをやっつけたときの?」

 「そうだ。あの後、説教してやったが… その時俺に言った事を忘れたか?」 


 両替商の押し込み強盗に、無謀にも単身向かっていったことをマサナに嗜められた光景をイオリは思い出した。


 「…」

 「前のイオリも同じことを言っていた。だから、とな」

 「そ、そんな… 私は…」

 「違わない。お前の心にある剣も、誰かを正しい方向に導く燈明だ。イオリ、迷うことなく真っ直ぐに行け。これが師匠として最後の教えだ」

 「師匠…!」

 「よくぞ約束を果たしてみせたな」


 自分が重ねて来たことが、マサナやヲリョウとの約束を果たすに至ったことでイオリは涙を堪えることが出来なかった。とめどなく、涙が溢れてきた。


 「いつまでもそんな顔をするな」

 「でも、師匠もこの世界から…」

 「マァ何だ。俺にはもう一つ仕事がある。それどころじゃない」

 「えっ…?」

 「直ぐに判る。どうやら、向こうも手筈は整ったようだ」 


 マサナがそういうと、軍目付いくさめつけたちが大目付を伴って姿を現した。大目付がイオリに一礼すると、彼女は慌てて涙をぬぐって一礼を返した。これまでの報告と記録に違わぬ娘だと大目付は思った。


 「ツキオカ女史、お初にお目にかかります。私は対爾核の軍目付を束ねる大目付です」

 「あ、ああ。すみません。こちらこそ…!」 


 大目付も軍目付同様の束帯姿であったが、仮面は用いておらず真っ白な髪に黒い烏帽子が目立つ。傍らには従者と思しき二人がおり、身の丈ほどもあろう朱鞘の陣太刀を、もう一人は長弓と矢筒を携えている。あれは大目付が「仲裁」に入る時に用いるとマサナが耳打ちした。知っているということは、だろうとイオリは思った。


 「筆頭、ご無沙汰しております。もっとも、先に挨拶するべきでしたかな」

 「いいさ、俺と貴様の仲だ」

 「それでは筆頭、最後の御助力を… 」

 「あの、師匠… じゃなくて、筆頭はこれから…」

 

 マサナと大目付のやり取りに、イオリが割って入った。判ってはいても、師匠との離別だ。どうしても、何か納得のできるものが欲しかったのかもしれない。


 「イオリ、人の話は最後まで聞け」

 「少しばかり、今回は事情がありですので…」

 「事情…?」 

 

 大目付の言うところでは、こうだ。


 対爾核は各々の世界が持つ波長を一致させることで他の世界、分岐タイムラインから武芸者を呼び寄せ、時には送り出している。だが、この位相同期なしでイオリがこの世界に現れた時、特異点を生じさせた。この特異点は如何にしても位相合わせが難しく、大目付を含め配下の軍目付いくさめつけたちも先例のない対応に頭を抱えていた。


 「例えるなら、海と大地を貫いた狭間に行くような難しさですよ」

 

 大目付は空間のあちこちに図解を表示しては、イオリに解説してやった。対爾核の動力であるとか、他の世界との繋がりがどうかなど、それこそまさに御伽噺ファンタジーの世界を聞くようだったが、要するにこれは超次元の飛行計画だ。それも航路不明、難易度は計り知れない。


 「そこで、俺の異能で位相同期を補助する」


 マサナの異能とは次元を超越する力であり、対爾核の機能と共通点が多い。このため、増幅器として位相を安定させるというのがマサナの考えだった。


 「しかし、これでは筆頭の位相が不安定に…」

 「それってもしかして…」


 大目付の言葉にイオリはハッとした。この理屈ならば、不安定な方向に飛ばされるのはマサナの方になる。 


 「イオリ、そんなことを気にするな。何処へ行こうと、剣の導きに従うさ」

 「師匠…」

 

 この期に及んで、自分にできることは何もないのだが、何とかしたいと思うのがイオリの性格だ。そこで彼女は剣が導くというのならと、何か閃いた様子だった。


 「それなら、これを持って行ってください!」


 イオリはそういって、彼にヲリョウから授かった肥前忠吉を差し出した。師弟をしているとその意味は言わずとも判る。五傑を倒す武芸者であっても、心は年相応の乙女、こういうロマンチストな所がある。しかし、彼女の眼は真剣そのものだ。まさか自分にも帰る場所があったのかと、気づかされた。


 「師匠を剣が導くなら、その先で…きっと、きっと待ってます…!」

 「仕方ねえな。他ならぬ弟子の頼みだ…今は、お前の言葉を信じてみる」


 大目付が二人を見守っていると、軍目付が「時間がありません」と思考へ語りかけてきたが「野暮は止したまえ」と返してやっていた。


 「大目付、頼んだ」

 「それでは始めましょう」


 大目付の一言で、ぼうっと床が光ると転送が始まった。太陽柱サンピラーのようなものが幾つも立ち上がり、徐々に互いの姿が見えなくなると、周囲の声も届かなくなった。


 二人の眼前には見たことのない世界の景色が続々と切り替わっていき、やがてそれらも色彩を失い白黒だけの世界となる。徐々に周囲の光柱が消え、やがて床も元に戻ると、大目付の眼前から二人の姿は消えていた。


 「位相同期および転送終了を確認、図書寮アーカイヴスへの記録を開始します」

 「委細承知、抜かりなく…」


 軍目付いくさめつけからの報告があった。大目付は何か思うところがあってか、二人が旅立ったその場所をしばらく眺めていた。

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