「九曜巴」其の三

 対峙する二人の呼吸、衣擦れが聞こえるほどに静かになった。


 互いの手にはよく似た木刀が握られている。紛れもなく師弟の対決、イオリは足を八の字に開き、木刀の位置はやや高く引きの構えを取る。一方でマサナの構えは、やや変わっていた。彼の曲げた左肘は固めたように胴を離れず、右腕はまっすぐ高く上段にあった。


 「さて…!?」

 「の先を取った方が勝つわ」

 「筆頭が七分、女史が三分」

 「ああ、間違いない。筆頭だ…」


 この静寂の中で、仕合の見届け人である軍目付いくさめつけたちの話し声があった。軍目付いくさめつけ同士の意思疎通には、言語や表情を用いることなく思考にアクセスすることが出来る。立ち合い最中の協議や、五傑が展開する領域を超えての疎通も可能である。しかし、今この時ほど饒舌に話し合うことは珍しかった。


 徐々に二人の間合いが狭まり、必殺の距離である撃尺に入った途端、同時に仕掛けた。

 

 「よもや相討ちか」


 四人がざわついた直後、突如として木刀を強く打ち据える音が響き渡る。一度ではない、数えること実に六度、静寂を引き裂く雷鳴のようであった。


 「そんな、たった一瞬で…!?」


 この打ち込みは速さのみならず威力も絶大、現にイオリの木刀に焦げ跡を残し僅かに煙が立つほどであった。五傑の筆頭は晴天の雷鳴とともに現れたというが、この早業は雷鳴より速い。腕を伝う痛みすら遅れてくるように思えた。思わずイオリは構えを直すことが出来ず木刀が足元に落ちた。


 「今の一太刀だが… 立木のがよっぽど機敏だったぞ?」


 マサナはイオリの驚きを見透かしたように答え、彼女の間合いから一歩遠くに退きつつ再び構えていた。

 

 「雲耀うんようの太刀… この剣技の極意だ。一呼吸もあれば三十発は叩き込める」

 

 その言葉に思わず耳を疑ったイオリだったが、軍目付いくさめつけたちに至ってはその雲耀の妙技を見たことがある。薄金鎧ラメラアーマーなどは小札が千切れ飛び、板金鎧プレートアーマーであれば鎧諸共に主が延べ板にされるほどだった。


 「師匠…」

 「何だ?」

 「これで終わりってことは、ないですよね…?」


 流石のイオリもこの一撃には怖気ついたかと思ったが、その瞳から闘志は失せていなかった。飛行機乗り《パイロット》ならば雷雲に飛び込むこともある。そんな胆力を持っている彼女を、たかが木刀で驚かすことなど出来ない。機械の翼以上に強い翼が彼女の心の中にある。それは五傑の四人に勝利する事で示してきたではないか。


 「ああ当然だ。まだ、始まっちゃいねぇよ」


 マサナが踏み込むや、中段からの平突きを繰り出した。踏み込みの足音は一つ、何の変哲もない一本突きに見えたがイオリの飛行機乗りとしての目が異変を捉えた。


 「違う… 危ないっ!」


 なんと、この突きは同時に喉、心臓、鳩尾を狙ってきたではないか。信じられないが、超高速の三段突きだ。マサナは、この一手を止める気配はなかった。


 「当たると痛ぇぞ!」


 昔、早撃ちの名人は連射しても銃声は一度というのを映画で観たことがある。しかし、人間が剣術で同じように、回転式拳銃のメカニズムと同じ精密さで動作できるというのは信じがたいものがあった。イオリも木刀の鎬や反りを活かして、防戦しつつ太刀筋を観察する。いかに速かろうとも、どこかにこの嵐の止む瞬間があるはずだ。すると、段々とその技の妙髄が見えてくる。


 突きは繰り出すよりも引きが肝要、ならばその隙を狙って射線上から離脱していく。


 「今だっ!」


 そして回避と同時に、イオリはお返しと言わんばかりに一突きを返した。それも左手の一本突き、右手の動作を囮に左手に切り替えての一撃だった。


 「驚いた。躱した上に、反撃してくるとはな」

 「はぁ、はぁ… 流石は師匠、簡単に取らせてはくれませんね…」

 「マァ何だ。実にを持ったな。イオリ…」


 すかさずマサナは正眼崩しから面を狙った。これをイオリは受け流し、振り下ろいして伸びきった相手の両腕を絡めとった。そのままイオリは背後に回りこみ、木刀で彼の腕を極めた形になり木刀が反射的に手を離れた。


 だが、これにて勝負ありと言うマサナではない。同時に空いた左手で小太刀を逆手に抜き背後を狙ったが、イオリも油断せず間合いから飛び退いていた。その時、置き土産にと膝裏への前蹴りで体勢を崩してやったので、背後への一撃は直撃しなかった。我が弟子ながら、中々にやってくれる。

 

 「かぁーッ!? 師匠を後ろから蹴りやがったな!?」

 「背後を狙うのは、空の格闘戦ドッグファイトなら常識です!」

 

 空の格闘戦は経験したことのない領域だったが、よもや弟子から戦いの常道を説かれるとは思わなかった。


 「未熟は未熟の工夫を重ねて、やがて技を見出す」


 九度の転生、時代と場所を違えても技は深奥に至り「剣聖」と呼ばれるに至ったが、そんな中でいつの時分かにそんな教えがあった。自分が振るう剣は神業とまで呼ばれてきたが、その源は未熟者が重ねた工夫と言う名の鍛錬だ。


 乱世から泰平に移るはざまの時代、南国の片隅にで雲耀の太刀を完成させた。近代革命の動乱にあっては、都大路で毎夜の如く白刃に身を晒して実戦の剣を日々磨いていった。居合はかつて仇討ちのために東国を巡り開眼した抜刀術の究極であり、槍は西国の信仰の地に生きた折に見出した一乗の道であった。


 イオリとの立ち合いの中で見せた技、師匠として彼女に授けた技もそうした積み重ねが成し得たものだった。今になって、余りにも自分から遠のいた言葉を自分の弟子が体現してくれている。ならば、ひょっとしたら自分が目指した場所へ辿り着けるかもしれない。

 

 マサナがそんなことを考える最中も、イオリは攻撃の手を休めない。小太刀の左手使いならば、いかに師匠とて不利に無理を重ねたような条件だ。彼女の太刀筋には、ここで決めたいという気迫、あるいは焦りともつかないものが宿りつつある。気の籠っていない太刀筋、まさしく浮足立って軽くなっている証拠だ。


 「もっと足を踏ん張り、腰を入れろ。そんなことでは、左手の俺にも勝てんぞ!」

 

 半身でイオリの木刀を躱しながらも受ければ即、燕が身をひるがえすように袈裟に転じて常に首筋を狙ってくる。彼にとって小太刀は不利にならず、寧ろこの短い間合いや打ち合えばどうしても非力になる弱点を、機動力という利点に変えているのだった。


 「しまった!」


 そして遂にイオリは木刀を小太刀で抑え込まれ、そのまま引き倒された。更にその先には小太刀の切先が迫っている。まさしく死への急降下ダイブだった。これには思わず木刀を手放し、宙返りで緊急回避をしてみせた。辛くも脱出したが、かなり無理のある回避だった。反撃されなかったことが、唯一の救いだ。


 「いけない、熱くなり過ぎた…」


 乱れた呼吸と冷や汗、それにさっきの自分の不格好な太刀捌きが急に恥ずかしくなる。マサナに一喝された言葉さえ、半分ほどしか届いていなかった。


 「やっと、こっちが見えたな?」


 今はマサナの声も姿もハッキリ見える。そして、自分の得物はヲリョウに託された肥前忠吉が一振だけであること。ここから先は、文字通り真剣勝負になるということがハッキリ判る。


 「イオリ、そろそろ決着だ」

 「いいえ師匠、私もまだ始まってませんから…!」


 ここからが勝負というならばと、マサナは遂に右手で太刀を抜いた。そしてゆっくりと二刀で円相の構えを取る姿からは、不思議と荒々しさではなくまるで水面に立つ水鳥が羽を開いたような優美さがあった。


 「来るぞ、嵐が来るぞ…」


 一方で軍目付いくさめつけたちは、マサナの用いる二刀それがただの両手剣法でないことを知っている。齢十三の頃に武芸を志し生涯六十余戦無敗、彼らはこの言葉に偽りがないと、先の五傑を一同に倒したことで証明して見せた。全盛を誇った最後の転生、臨終の折は。九度の転生を経て磨き上げた肉体、精神、そして技の極致。この道程を、元来は三つ巴だった己の門に重ね九曜巴とした。


 「二刀… 右か左か、それとも両方…?」


 二刀は攻防一体、太刀を封じられ流れが滞れば即座に二の太刀で仕留められてしまう。これを一刀のイオリが彼の円相を突破するには一撃離脱の他はない。それも、ちょっとやそっとじゃない、二刀を振り払うには強烈な一撃が必要だ。片手であっても大した問題にならないことは、さっきの小太刀で嫌と言うほど判らされている。


 僅かに円相が下段に崩れた瞬間に、イオリが抜刀した。左手の逆抜きからの一撃、これを見透かすようにマサナの太刀が受け流してやったが、これが狙いだ。この瞬間にイオリは刀身に右手を添えて切先を押し出して刺突に転じた。


 「まあ、どうせそんなこったろうと思ったよ」


 マサナが呆れた様子でそう言うと、イオリの突きは止められていた。 


 彼が構える左の小太刀が切先を上から捉え、ビクとも動かない。右手の太刀がイオリの籠手、胴、喉、いずれをも狙える位置にあった。攻撃、防御に加えて回避、一連の動作を一拍子で完成させる。この二刀はただの刀ではない。マサナにとっての翼のようなもので、如何様な場所にでも連れていく。


 「いけない… 離れなきゃ!」 


 イオリが退避しようとしたときは遅かった。二刀がイオリの肥前忠吉から離れた途端に、一部の隙もない二刀の連撃が襲う。さながら刀身の林にでも飛び込んだような心地だった。


 「押されてる… 反撃できない!」


 動き回って回避しながらも、イオリの道着にも肥前忠吉にも傷が増えていく一方だった。

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