「九曜巴」其のニ
五傑の筆頭に挑戦者が現れた。
これが一大事であることは、いつも仕合の最初から最後まで見届ける
対爾核に入った瞬間に真っ白で広大な空間が広がっている。筆頭の仕合に関しては、相応の作法があるのだろう。揃いの束帯のような衣装に身を包み、厳かな様子で四方に置かれた床几に腰かけている。例の動物の頭蓋骨のような仮面で表情は判らなかったが、一人が視線を送っているような気がしていた。
どうやら連中も、イオリの挑戦の行く末を気にしているのかもしれなかった。
「あれが、筆頭の得物だろうなぁ…」
真ん中にぽつんと三段になった鹿角の刀掛けがあった。そこには海鼠透鍔の黒い蛭巻の大小が掛けてあり、鞘には九曜巴の紋が刻まれている。
これにイオリは今更驚くことはなかったが、三段目に自分が手にしている木刀と瓜二つの一振が掛けてあることに驚いた。
「似てるけど、全然違う…」
全くその通りだった。その使い込まれた様子は、自分のそれとは比較にならない。黒光りする姿に加えて、柄のあたりは指の後がうっすらと残っているほどだ。イオリが観察していると、四方の軍目付が一同に立ち上がり一礼した。
どうやら筆頭が姿を現したらしい。殺気や威圧というには、余りに違う気配が漂っている。言うなれば、外で初めて対爾核を見たときのような、桁違いの存在を目の当たりにしたときのそれに似ている。
「あれが五傑の筆頭…」
イオリの視線の先には黒い羽織があった。そしてその下には真っ白の道着と袴、朱色の帯が映えている。身の丈は六尺余り、鳶色の瞳で眼光は鋭く縮れた長髪を一本にまとめて結っている。
筆頭の得物のみならず、この姿にも見覚えがあった。いや、ありすぎる。
「まさか…見送るって、こんなところで!?」
声にこそ出さなかったが、思わずイオリは固唾を飲んだ。その様子を何ともなしに筆頭は眺めている。そして、聴き慣れた声で厳かに名乗りを上げた。
「五傑の筆頭マサナ・ゼンヤ、そう今は名乗っている。かつては…」
「剣士として九度転生し、この世界に…って感じですか、師匠?」
イオリの一言に「あーあ」という表情でマサナは顔に手を当てた。素直というか何というか、散々向かい合って来た弟子故にこの性格は致し方なしというか、複雑な気持ちだった。
「おい、そこからは俺の口上なんだが…?」
「す、すみません…」
なんとなくわかるのだが、軍目付の連中も笑いを堪えている様子だった。
「ところで、何で知ってる? ここ以前にも転生したなんて、言ってないだろ」
「あっ、ここに居る
「おい、誰が言った?」
マサナは、やや苛立った感じでちらりと四方の連中に視線をやると「私ではありません」という素振りで頭を振っている。
「他に何か聞いてるか?」
「何か、前に面倒があったとか… どうとか」
「おい、誰が言った?」
再び向けられる筆頭マサナの視線に、軍目付はさらにあたふたしている。
それを余所に「いやいや全く」と頭を掻きながら、何とも格好の付かない登場になったと溜息をついた。青天の霹靂ともいえる対面になるはずが、変な方向で衝撃が走ってしまったではないか。
そこで頭をぶるっとふって、気を取り直したような表情になった。あの特徴的な鳶色の瞳で、じっとイオリを見つめている。
「イオリ、一つ提案がある」
「提案ですか…?」
「これから立ち合わず二人で伊呂波に戻るって道もあるが、どうする?」
「伊呂波に…?」
「そうだ。どうする?」
この問いかけには、流石のイオリも動揺した様に見えた。
最後の最後に立ち合う相手は、自分自身の師匠だ。ここまでの勝利を作って来たのは、間違いなく彼だ。だが、それ以上に彼女の心を揺さぶったのは、二人で伊呂波に帰るということだ。戻ろうという気持ちからではない、マサナに勝利すれば彼もまた何れかの世界へ転生することとなる。
どうすればと思うイオリだったが、ヲリョウの言葉が脳裏をよぎった。今自分にすべきことは何か、その答えはもう既に出ているのだ。するとイオリは凛とした表情でマサナに答えた。
「戻りません… 私は、約束を果たす為にここに来たんです」
「帰還して、向こうでの約束を果たす。そんなだったな…?」
「それだけじゃありません…」
「それは初耳だ」
「師匠に鍛えてもらったことも、ヲリョウさんにいってきますと言ったことも、これも全部約束なんです。
理屈はいかにも彼女らしい拙さがあるものの、その真っすぐさは出会った時以上に確かなものを感じる。
イオリ元来の純真な心で、これまでの立ち合いにも向き合って来た。マサナはニコ・ツァイトベルクが最後に遺した
剣は心也、心に偽り無き者の太刀筋は、常に勝利への道を開くのだ。
「全く、知らないうちに大人になっちまって…」
相手の動揺を誘うのは兵法の常道、この提案に内心は多少動揺するかと思ったが、そんなことは全くなかった。イオリの答えと覚悟に、まるで父親のような気持ちで頭を掻くほかは無かった。
「判った… ならばその約束を果たせ。いや、果たしてもらうぞ?」
そう言いながら、マサナゆらりと刀掛けの前に立つと差料を手に取り帯に差した。それならば、五傑の筆頭に鍛えられたというのであれば、その覚悟を試させてもらうだけのことだった。
「必ず、必ず果たします…!」
「マァ何だ。容易く果たせると思うなよ」
朱色の帯に黒い大小を差し、右手に木刀を携える所作だけで圧倒的力量差は伝わる。まったくよどみがない。人が瞬きや呼吸を意識せずに行うように、常の動作として備わっている。
再び静寂の気配が漂って、四隅の軍目付たちも「いよいよ」という様子で居住まいを正してい居る。
「改めて名乗らせてもらおう、五傑の筆頭マサナ・ゼンヤ。お相手仕る」
「扶桑之國空軍…いえ、今は伊呂波の間借人。そして…」
名乗りを止めたイオリは、すうと息をすって大音声で最後の言葉を放った。
「
軍目付の連中が仰け反るような大音声、その声色に躊躇いはなかった。よし、そのままでいい。いつものイオリだ。まっすぐに向かって来い、今のお前がすることはそれだけだ。
お前の勇気を、俺に示せ。
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