「蝶車」其のニ

 「あら、貴女らしくもない」

 

 ニコがエリカのところを訪れると、彼女にしては珍しく軽装でごろりと休息していた。常在戦場という心構えを、漆黒の具足と四尺の大太刀で以って示す彼女からすれば確かにらしくもないことだった。


 「随分、荒れてたわね」

 「大丈夫、もう収まったよ」


 五傑、筆頭に見出された自分たち四人のうちその半分がイオリ・ツキオカの登場によって破られている。この点において恨みはない。実際に立ち合った二人が、異能を用いても勝ち得なかった強敵、このような困難を齎す者は一種の友情さえも覚えるところだ。


 そんな中で、有象無象の武芸者が心得違いを始めた。五傑の人数も減り、イオリのような娘子でも二人倒せるのならばと見定めたのか、俄かに対爾核への挑戦者が増えた。だが、そのような自分の実力を見誤るような者を挑戦者とは呼ぶべくもない。小さい、余りに小さすぎる。


 「でも、あの二人を小さくみられるのは癪だからな…」

 「だから十五人をまとめて相手にした… 久しぶりにあんな立ち合いを見たわ」


 故にエリカは、こんな連中を何人も相手にすることは造作もなかった。だが、こんな連中を倒したところで、二人の名誉を取り戻すことは出来るはずもない。そんな心のざわめきが、大太刀と漆黒の甲冑に無用な傷をつけさせた。無様にも、攻撃と防御にも頓着がなくなっていることに後から気付いた。

 

 「やっぱり、貴女らしくもない」

 「その通りだ。だから鍛冶場の音を聴きに行った」

 「ふふふ。そういう音を聴かないと、ってやつだっけ?」

 

 エリカはここに来る以前、無頼の剣士として決闘と戦乱を生きてきた。武具とその主の間に生まれた一種の絆、情愛のようなものがそうさせるのかとニコは考えている。そんな生き方をしていると、武具を手入れする鍛冶場などの仕事の「音」というものは、得物だけではなく自分の心を整える心地がするというのだ。

 

 「これ、前にも話したか?」

 「ちょっとだけ聞いたかも。そういう詩人みたいなところ、嫌いじゃないけど」

 「詩人… 芸術家というなら、ニコはそのものじゃないか」

 「私は芸術家じゃないわ。自分が見たいものを見るだけ… 自分勝手な何かよ」 

 「そうかな? 見るだけじゃなく、創ることができる。そして

 

 そんな風に物事には表裏があり、等しい振れ幅を持つのが道理だ。エリカはニコが持つ能力の美しさを知っている。その美しさに等しい恐怖があることも、よく知っている。ましてや、


 対爾核の内部に入ったイオリは、はたと足を止めて辺りを見回した。

 

 「あれ? いつもの、軍目付(いくさめつけ)さんがいない…」


 これまでの立ち合いは軍目付に案内され、五傑が待つ扉が現れるのがお決まりだった。その代わりに、さっきから一匹の蝶がひらひらと舞っている。


 「複雑に飛んでいるようだが、後ろには飛ばないし翅の動きは、起こりと同じで予測できる」


 いつかマサナに言われた一言を思い出しながら、じっと観察してみた。すると羽の模様が左右で異なる雌雄嵌合体とわかった。何より、その翅の模様に軍目付(いくさめつけ)の例の仮面に似た模様があるではないか。これにイオリは「ひょっとして」と思ったが蝶がふっと姿を消した時、風景が変わった。   


 「どうやら、当たったみたい… でも、これは」


 景色が変わるのはいつものことだが、余りにも変わりすぎている。


 糸杉の植えられた田舎道がずっと伸びている。傍らの畑では土を耕す農夫、落穂ひろいをする三人組が見える。何よりも不思議なのは、空に太陽と三日月が並んでいることだ。紛れもなく、現実ではない。だが、胸に押し寄せる「なつかしさ」は一体何なのだろう。こんな感情も、今までに対爾核で体験したことがなかった。


 そんな奇妙な田園の景色に雲が差した時、イオリはハッとした。


 「誰!? 今、私を呼んだのは!?」


 声の聞こえた方へ振り返ると、金属の車輪が擦れる大きな音が聞こえた。


 驚くのも束の間、イオリは気付くと列車の車両のような場所に立っていた。窓から時折見える灯り、カーキ色に統一された様子から軍用地下鉄道であることがわかる。武骨な車内に、ぽつんと二人腰かける士官が見える。二人が自分に気づく様子はない。さながら、銀幕のワンシーンを眺めるような感覚だった。


 「えっ、あれは私だ… なら、隣に居るのは?」

 

 自分はもう一人に何か話しているようだが、うまく聞き取れなかった。何か不安があるのか、そんな様子に見えた。すると、もう一人のほうがそっと返した。相手の顔はぼやけて見えないが、その声にはっきりと覚えがあった。


 「待って! 今の言葉、もう一度…!?」


 イオリが二人に駆け寄ろうとした時、映像が歪み明滅とともに列車内の景色は消えた。そこで、ようやく対爾核の内部と思しき景色が目の前に広がっている。


 これまで戦った二人が居たような空間だが、そこには戦いの気配がない。原理は判らないが、額装された油彩、水彩の作品が中空に固定されている。静物、風景、特に目を引いたのが人物画だ。武芸者と思しき人物はなく、この世界でも見られない民族的な衣装に身を包んでいる。更に驚いたのは写真があることだ。白黒のみならず、色彩のそれもちゃんとある。これは、イオリが居た世界には存在する科学だが、こちらに来てからは一度も見たことがなかった。


 「作品が沢山、まるでアトリエみたい…」

 「イオリ・ツキオカ、貴女を歓迎するわ」


 イオリの心中を察したような一声にハッとすると、一人の小柄な女性がイーゼルに向かって絵筆を走らせているのに気付く。先ほどまで、そこに人の気配などはなかった。


 「私はニコ・ツァイトベルク、さっきの作品は気に入ったかしら?」

 「作品?」

 「そうよ。ちょっと大変だったけど、貴女の記憶から作り出したの」

 「えっ!? そんなことが…」

 「そうね。この世界では魔法とか、幻術なんて呼ばれてるけど… 何て呼ぶのかは私も知らない。もしかしたら、


 ニコの最後の一言に、イオリは身構えた。この事実を知っているのは、師匠のマサナと居候先のヲリョウとその知己だけだ。何となくだが、彼女が用いる術あるいは異能の性格が分った。おそらく彼女には、見えないものが見える。でなければ、喪失している自分の記憶を辿ることなど出来ないはずだ。

 

 「そんなに構えなくていいわ。今はこっちのほうが先だから」

 「こっち?」


 ニコが、眼に見えぬ力でひょいとイーゼルをイオリのほうに向けてやると、そこには確かに自分の姿があるのだがこれを見た瞬間に我が目を疑った。


 「は、ははは、裸じゃないですか!?」

 「ええ、綺麗な体だから、描いてみたくなったの」


 そこにはイオリの全身図、それも一糸まとわぬ彼女の姿が描かれている。若き十代の肌が持つ弾力、血潮の温かさ、そこには写真と言う記録では表現しきれない写実画の妙味が詰まっていた。だがしかし、まさか自分の裸体を描いているとは思わなかったため、大いに取り乱した上に耳まで真っ赤になっていた。


 「本当に綺麗よ。少しのねじれや、歪みもない。何より貴女には戦いの香りがしない」


 似た体つきの武芸者に、同じく五傑のエリカ・ロートシュテルンがいるが、彼女から戦いの香りが消えたことは一度もない。まったくもって、不思議な武芸者だ。

 

 「ホントに不思議な子…」


 万物を見通すニコが不思議と思う一方で、イオリも彼女の性質を掴みかねていた。自分への殺気もなければ敵意もない。かといって、自分に友好の意志を見せているのでは決してない。何だか自分がしたいことをずっと押し通すような力を感じるのだ。


 「あの… 変な言い方ですけど、これから戦うんですよね?」

 「そうね。でも、もう終わったから気にしないで」

 「えっ? 私は何もしていませんが…」

 「そうね。貴女にとっては、始まっているというのが正しいかも」

 

 イオリはぱっとニコの間合いから飛び退いて、木刀を正眼に構えた。滑らかな一拍子の動作、あれほど美しい身体ならば自然かとニコもまた観察を続けている。だが、そんなニコの姿をイオリは視認できなかった。その代わり、ニコとイーゼルが立っていた場所から異様な気配が漂い始めている。


 「何かいる…?!」

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