第四話「蝶車」

「蝶車」其の一

 研ぎに預けたのが、そろそろ仕上がるころだと、ヲリョウから渡された一筆を頼りにイオリは研ぎに出した肥前忠吉を受け取りに出かけていた。そこは市街の職人たちがまとまって住居している区域であり、足を運ぶのは初めてだった。


 「ええと、お店の名前は… おんたま預処? 何だか変な名前」


 おんたまといえば半熟に煮た卵、温泉卵が浮かんでしまうなと思いながら、大体このあたりかと店先の看板を見ると確かに「おんたま預処」とあるので間違いない。 仕事場を覗いてみると、万能鍛冶の種族ドワーフだけではなく同じ人間や、耳長の長命種エルフといった種族の垣根がない職人たちで溢れていた。


 そして、威勢よく各々が刀剣の研ぎや鍛刀、甲冑具足の修繕などに勤しんでおり心地よい金属を叩く音、擦れる音などがあちこちから聞こえてくる。良い職人は仕事の見事さだけではなく、仕事をする場所や所作の音すらも心地よいものに変えるのだ。


 興味深げにイオリが眺めていると、奥の方に居た一人の職人が「ああ」と気付いてこちらにやってきた。


 「貴女、伊呂波のヲリョウさんとこの娘だね?」

 「はい、代わりにお伺いしました。イオリ・ツキオカと申します」

 「こんな美人がアレを使ったとは驚いた」

 「美人…!? えへへ、それほどでも」

 

 職人は急に顔を緩めるイオリの様子を見て、本当にあの最上大業物を使ったのが彼女なのかと益々わからなくなってしまう。使うとなれば、同じ間借人のマサナ・ゼンヤのほうかと思っていたほどだ。あの男ほどの器用さをはないが、何か「底知れぬ力」を感じる刀の使い方だと仲間内で話題になった。


 「大変申し訳ない。あと一日貰えないかい?」

 「えっ!? やっぱり相当酷いんですか?」

 「そうじゃなくてね。同じくらいの時期、急に大物が入ってしまったんだ」


 職人が視線を送った方を見てみると、自分の肥前忠吉と同じ刀掛けに四尺近い大太刀があった。中反りが強く、拵は華美な太刀拵ではなく打刀のそれで黒一色で統一されていた。

 

 「間違いなく、大物ですね」

 「ああ、身幅の拾い大鋒で地鉄や刃紋も面白い。預かりものだから見せられないが、倶利伽羅の彫刻も見事だよ」

 「預かりもの… あの、一つ聞いても良いですか?」

 「何だい?」

 「お店の名前、おんたまってどういうことですか?」

 「ああ、それは魂って意味だよ。、俺たちはそれを預かって手入れしたりしてるのさ」

 「武芸者の魂…」

 「あの大業物は貴方の魂だ。大事に扱わせてもらうよ」

 「なるほど! 私、てっきり温泉卵か何かと思ってました」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ。ふふふふっ、ははははは!」

 「そんなに笑わないでください!」

 「うふふふふ、それは無理ってもんだよ!」


 突拍子のないイオリの答えに、相手をしていた職人も、何となく聞いていた周囲の連中もたちまた笑い出してしまった。


 これほど無邪気というか無垢な魂を持った武芸者にはお目にかかったことはない。だ。刀身には刃毀れや捲れはおろか、僅かの曇りもないあれだ。若しくは、彼女自身の言う通り温泉卵まだまだ半熟の武芸者であるのかもしれない。


 「いや悪い、笑ったのは謝る」

 「すみません。お詫びの代わりに、もう一つ聞いてもいいですか?」

 「ああ、悪いのはこっちだ。何だい?」

 「あの兜って、兎ですか?」


 イオリが視線をやった先には、兜の頭頂部が長く伸びて二つに分れた奇妙な兜があった。見事な黒漆塗りも相まってかどうしてもそれは兎、それも黒兎にしか見えなかった。


 「あれは兎じゃなくて鯰だよ鯰。俺たちはって呼んでる。さっきの大太刀の主が具足と一緒に預けていったんだ」

 「ありがとうございます。変わった兜なので、ちょっと気になって… またお伺いします」

 

 そう言ってイオリは店を後にしたが、どうしてもあの兜と大太刀が脳裏から離れなかった。職人は気付かなかったようだが、どちらにも一瞬だけ「破軍星立て兜」の紋章が浮かんで消えたからだ。


 「ただいま帰りました」


 伊呂波に帰って来たイオリだったが、いつものようにヲリョウが奥から返事をする代わりに妙な声が聞こえてきた。何だか「うーい」とも「うーむ」ともつかないような、蛙がいびきをかいているような声だ。


 「何だろう…?」


 万が一、泥棒と言うこともあるので気配と足音を消して奥の部屋にイオリは歩いていった。だがそれは杞憂で終わった。声の主は師匠のマサナだったが、こんな様子は初めて見た。

 絵筆を真横に咥えながら、あの六尺はある体躯を丸めて鳶色の瞳が紙面と筆先を見つめている。どうやら完全に創作の世界に入り切っているようだった。もしや、自分が近づいたのに気付いていないのかと思ったが流石は師匠、左手が「こっちに来い」という仕草をしている。


 仕上がった一枚の墨絵をイオリは眺めた。絵の左下から天に向かう枯木、風に揺れるような低木がそこにはあった。


 「見ての通り枯木の絵だが、お前にはどう見える?」

 「えーと、そうですね… 見ての通り枯木の絵です」

 「どうせそんなこったろうと思ったよ」


 「でも、何て言ったらいいのか… 一つ思ったことがあります。」

 「何をこの絵に思った」

 「この枯木の先に、何か止まっていたのかも。鳥とか、蝶とか」

 「ならば何故、止まっていない?」


 ほう、そう見たかという様子でマサナはさらに問いかけた。イオリは何だか、彼と木刀なしで仕合をしているような気持ちになってきた。口論という訳ではなく、これまでの自分の手の内を見透かされるような、間合いに入られるような心地がするのだ。それも、どんどんと心の奥に自分から分け入っていくような。


 「ええと、師匠が描いてないから… じゃなくて、翼や翅を持つなら、ずっとそこに留まったりはしないのかなって思いました」

 「飛ぶのを忘れていたら?」

 「忘れていることなら、いつか思い出せるんじゃないかなって」

 「イオリ、いい見立てをした…ソレで良いんだ」

 「でも私は絵心とか、そういうのはからっきしで…」

 「書画は己の心を表すものだ。ちゃんと今、お前は心の内と向き合った。だから、そう答えられた」


 ははあ、やはりこれも一つの稽古だったのだなとイオリは思った。


 一枚の絵と対峙したとき、どう見立てるのかというのは、対戦する相手をどう見立てるかという技に繋がっている。現に、この墨絵などは、白黒でしかないが墨の濃淡や掠れ、滲み、余白の使い方で多色で彩ったように見える。

 さらには、戦いの中で見えなくなる自分の姿と言うものを、落ち着いて眺めることができたと思う。


 「なら、この絵の真ん中に枯木ではなく、別の何かが立っていたら?」

 「女の人でしょうか… ヲリョウさんみたいな大人の…」

 「おいおい、それは勘弁してくれ。ここにアレなんか描いてみろ… になるぞ」


 マサナはそう言って笑ったが、イオリのほうを見ると何やら「私はそれ以上は何も言ってません」という意思表示なのか両手で口をふさいでいた。噂をすれば陰、そのヲリョウが仁王立ちしている。

 

 「待て! これは違うんだ!」

 「待たない! どれも違わない!」


 彼は作品に自作の朱印を押す前に、彼女から真っ赤な手形を貰うことになった。それも。時折、師匠のこういうところがアレだなと、イオリは同性としてヲリョウの味方をするのだった。


 二人のすったもんだが収まったところで、イオリは「御たま預処」での出来事を話すことにした。研ぎが遅れるのに、ヲリョウは「何だい」とこぼしながら仕事に戻ったが、マサナはそこから先の話に興味があった。

 

 「鯰尾兜、確かにそれだったんだな。」

 「はい、真っ黒な鯰の兜と大太刀がありました。きっとあれは…」

 「ああ、五傑の武具に間違いない。紋章は見えたか?」

 「はい、破軍星立て兜が一瞬だけ」

 「筆頭が出るのは最後として、向こうも武具の手入れ中なら… 先に蝶車が出るか」


 五傑の紋章の中で際立っていたあの紋がイオリの脳裏に浮かんだ。蝶の羽を重ねた車、何かじっと見ていると引き込まれるようなものがある。

 

 「木刀だけで、勝てるでしょうか?」

 「得物だが、あれは刀槍を使わない」

 「もしや、飛び道具?」

 「弓鉄砲くらいなら、まだ易しい。奴の得物はこちらの眼には見えない」

 「えっ!? だとしたら… 魔法…?」


 流石のイオリもそれはないと思っていたが、マサナの表情を見る限り「然り」という調子であった。確かに、異なる世界の武芸者が流れ着く不思議な土地だ。そういうのが一人二人あったところで、何ら不思議はない。現に、あの対爾核などは不思議の権化のようなものではないか。


 「そういうものに近い… この術ばかりは、俺に再現することができない」

 「でも、師匠は勝っているんですよね。一体どうやって…?」

 「勝ってはいない。

 「一体、どういうことなんですか?」

 「さっきの稽古で言ったが、見えなくなったら

 「自分の心と、向き合う?」

 「そうだ。迷った時に、帰るべき場所が必ずある。心の在処はいつも一つだ」

 

 己の心に一条の道を持つ。


 ひょっとして、師匠が描いた枯木の絵はその比喩だったのだろうかと思いつつ、イオリは木刀を執ってその日の稽古を始めるのだった。

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