「竜剣の丸」其の六
二度目の勝利、今度も体の何処にも刀傷はなかったが、二度の戦いを経て胴着も袴も彼方此方を斬られてボロボロになっている。また、額の汗を拭こうとした時、筋金の入った鉢巻も斬られていたことに今更気付いた。
「やっぱり、戦ってる時は全く周りの事が見えなくなってるんだなぁ…」
稽古したように、考えたように、相手が「こうきたらこう」とか「ああしたらそう」ということは一つもできなく、無我夢中になって向きあっているのだなと思う。
そんな風にして対爾核から伊呂波へ帰る途中、イオリは妙な気配を感じた。気配の方向に抜き打ちの一太刀を放った。すると、投げ文のようなものが両断されてハラリと落ちて来た。何かと思って広げてみるとそこには「おかえり」と書いてあり、文を投げた主がぬっと姿を現した。
「帰って来たってことは、そういうことだな?」
「師匠…!?」
「話は後、こっちだ」
マサナに従って裏路地に入ると、イオリが知らない地下通路への入口があった。
「こんな通路があったんですね」
「昔々の水路だ。野次馬がうるさいと、また面倒だと思ってな」
水路は建造時の護符で守られているため、魔法やその類の術で透視することも出来ないという。この古い水路を二人で進んでいくと、人目に触れず伊呂波の裏にある薪割場に出ることが出来た。マサナは改めて帰還した弟子のいでたちを見た。案の定というか、なるほどというか、そういう印象を受けた。
「大分苦戦したな?」
「はい、音速の打撃には苦戦しましたがこの通り」
「音速の打撃…? ああ、アレを使ったのか」
「前は電撃でしたけど、今回は」
「そうか、連中が異能まで用いるとはお前を
「強敵ですか…」
「というよりも、友と言った方が良いかもしれん。
イオリの短刀の鞘に「竜剣に丸」が刻まれていることを確かめながら、マサナはそんな風に語るのだった。
「あと、師匠が言ってた円の意味が判ったんです」
「流石は俺の弟子だ。」
これにはマサナも感心した。彼はイオリが木刀でもって身に着けつつある合撃(がっし)や一拍子の太刀、これと今回の居合の術利が合わさって「後の先」を確実に取る「転(まろ)ばし)」という技の道が開けると予感していたのだ。
「早速、答えを見せてくれないか?」
「勿論です」
ここでイオリは肥前忠吉を抜いてその技を披露してくれるものと思ったが、何やら彼女は嬉々として薪の破片を手にして地面に正円を描きだした。
「イオリ、何をしているんだ?」
どうにも雲行きが怪しいが、こうなったら聞くだけ聞いてやろうという気持ちになった。
「見ての通り、正円の中心は
「正円の中心は
「それなら、ここに飛び込んでしまえば良いんです!」
「と、飛び込む?」
ここに飛び込んでしまうどころか、それは論理の飛躍と言うものではないかとマサナは唖然としてしまう。そして、当のイオリときたらその調子でどんどんと話を進めていくではないか。
「はい、相手の腕を絡めて刀を捕って、その反動で相手を組み伏せました!」
「お前、刀に素手で立ち向かったのか?」
無謀も無謀の大無謀、一か八かなどは真剣勝負にあって悪手に他ならない。この娘の胆力、心臓に毛が生えているどころではない。
「ええと、相手の太刀筋を変えるために…」
「ちょっと待ってくれ、話を遮ってすまん。非常に言いにくいんだが… 」
「えっ?」
「俺が伝えたかったものとは、全く違う…
「えっ?」
「さっきと同じような顔をするんじゃない」
「師匠もさっきから同じような反応じゃないですか!?」
「やかましい。正円の中心は空だのいかにもな事を言いながら… ええい、お前の回答は零点だ!」
「うわっ! なんか急に嫌な記憶が! 学科の追試! ひええっ!」
イオリに突如としてよみがえる元の世界の記憶、それも士官学校時代に取った赤点であるとか零点という非常に具体的かつ衝撃的な数字の話だった。非常に情けない表情をしているので、詳細は判らないが学科の追試というのはよほどの出来事なのだろうとマサナは思った。
「イオリ、お前の差料を貸せ。一応これが回答だ」
イオリが差し出した肥前忠吉をすらりとマサナが抜刀すると、回答を実演して見せた。それは刀の刃と峰という表裏を転じる軌道、これにかけ合わせて体を左右に転じる軌道がかさなりあって円となるということだった。
これならば上中下いずれの構えであっても、何処に打ち込むにしても、相手の先手や後手を己の一手に変えることが出来る。一見すると単純だが、いざ仕え太刀で受けてみるとその拍子を覚え込むには時間がかかるとイオリは思った。
「師匠、今更ですが大変よくわかりました…」
「この術利を円と表現したつもりだったんだが…」
この技を練り上げていくことで、相手の太刀を捕る「無刀取り」に至るのだが、彼女は未熟ながらも極めて独特な工夫と解釈で、その道を見つけ出してしまったのだ。見つけ出したというよりは、
「でも、それならそうと最初から言って下さい!」
「否、真理とは問いかけることにこそ、その意味もあれば価値もある」
「何か難しい言葉で逃げようとしてる!?」
「まァ何だ。山道を間違ったが山頂に至った… 今のお前はそんなところだ」
「それって、実質的に正解ってことでしょうか?」
「すまん。それは絶対違う。断固として」
マサナは彼女が何とも言えない腹の立つ表情で得意になっているので、それは即座に否定した。
「ちょっとは肯定してください!」
「このたわけ、間違った山道を歩くのと同じだ。一歩でも拍子を違えれば無事では済まなかったんだぞ!?」
このマサナの一喝は本気だった。それこそ、彼の差料から一刀が繰り出された如き迫力があった。イオリも思わず固まってしまった。
「お前が無茶をする性分なのは知っているが、おそらく理由があるな?」
「はい、まだ… まだ自分には真剣を使う覚悟が足りませんでした」
「本当にそれだけか?」
まさか、相手の身体を気遣って無刀取りを用いたとは言い出せなかった。だが、マサナはその理由を知っているような眼差しをしている。ならばと思い、イオリは本音を吐露した。
「私には、五傑と戦って勝つ理由があります。でも、
この一言にマサナは少し沈黙したが、然りと納得する。前の木刀に血痕が無かったように、今この本身の刃には血脂の曇りが一切無かった。小手を打つことすら、彼女にとっては道に違えることなのだろう。
「なら、少しだけ話してやるか…」
マサナは心の中でそう呟いた。どうやらイオリは不殺の道を進む確固たる意志があるようだ。これは、選んだというより、そういう剣の道に選ばれたというのが正しい。
「お前のような剣士と、過去に一度だけ出会ったことがある。奴は不殺の勝利を活人剣、そう呼んでいた」
「不殺の勝利、活人剣…」
「そうだ。そして俺は、その活人剣とやらに
「師匠、それはもしかして…」
「今話すのはここまで… 今日の稽古もここまでとしよう。後は…」
「後は?」
マサナのいう「後」のために、イオリとともに伊呂波の納戸の方へ歩いていった。もう一つ、大事なことが残っている。
「ヲリョウのやつが騒ぐ前に、
「はい、師匠。砥石、何としても探しましょう」
成程、それでわざわざあんな通路を使ってまで、表からではなく裏から伊呂波に帰って来たのかとイオリは納得した。
「さっき刀を借りたとき、こいつは随分と思ったよ」
絵に描いたように「刃毀れはササラは如く」であり刃捲れもある。それでも、切先など折らずにいたのが奇跡だった。しかし流石は最上大業物、曲がりは生じていない。これならまだマサナの研ぎの技術でも修復が可能だ。ヲリョウに気付かれる前にやらねばならない。
「鍛冶屋か研ぎ師に預けるのはダメなんですか?」
「それは一番の悪手だ」
この界隈の
これだけ何でも揃っている伊呂波だ。納戸だっていろんなものがある。しかし、砥石が一つもないのは妙だと思って二人が探していると、目の前に突如として出現したではないか。
「探し物はコレかしら?」
その砥石は、最大の懸念事項たるヲリョウの手中にあった。二人とも「ああ、これで全てが終わった」と言わんばかりの二人の表情に呆れてしまった。
「ヲ、ヲリョウさん、一体いつから…?」
「さっき、マサナが叫んだあたりで何かと思ってね」
「それでその砥石は何故?」
「アンタ、よく先手を取るとかどうのって、イオリに言ってたでしょ? それよ」
成程、それで帰って来た我々がしそうなことといったら刀の研ぎ直し、それも自分に隠れてコソコソとだ。これをヲリョウは見事に看破し、先を取っていた。
だが、それはどうやら二人が考えている理由ではなさそうだった。
「家伝の一振、素人に研がれちゃたまったもんじゃないよ。こいつは馴染みの
「えっ?」
「えっって何よ。イオリ、忘れたの?」
「刃毀れなんかしたら、承知しないって事ですか?」
「違うわよ。アタシは必ず返しに帰って来いって言ったじゃないか。アンタは約束を果たした。それだけのこと」
「えっ、ええっ!? どうしちゃったんですかヲリョウさん!?」
「どうしちゃったんですかって、アタシを一体なんだと思ってるんだい!?」
「ヲリョウ、お前も時々は算盤以上のことをするんだな」
マサナはヲリョウのそういうところが好きでもあったが、どうにも彼女は怪訝そうな表情でこちらを見ている。
「マサナ、アンタは話が別だ」
「何? 話が別って何だ?」
「とぼけるんじゃないよ。こいつに別の拵をこさえた分はキッチリ払ってもらう。あと、竹光の分!」
心当たりがあるどころではない、これにはマサナも「しまった」と思い天を仰いで何とかこの窮地を脱しようとした。
「ええと、
「師匠が弟子みたいなこと言ってんじゃないよ!」
それからその日、イオリは町医者のタキの下で診療を受けた。その間、彼女が担当するお使い及びその他諸々は全てマサナが担うことになった。
師匠とて、ヲリョウからの目こぼしは無いのだ。
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