「竜剣の丸」其の五

 先ほどの一手は、イオリの手の内を探るために力を抑えていた。


 それは、眼前に広がる砲撃を受けているような景色が物語っている。例の音速の打撃は、壁面に掛けてある刀剣が激しく揺らし、時には壁を抉りさえもする。

 これと居合の立ち技を必死に躱しつつ反撃の隙を狙うが、こちらが構える暇がないため非常に難しい。前の十文字片鎌槍は攻防一体の相手であったが、これは攻攻一体の強敵だ。


 「音速を生み出すっていうのは、ホントみたい…!」


 イオリの脳裏に過ったのは、自分が元の世界で音速飛行実験に参加したときの事だ。音速を超える時、強烈な衝撃波(ソニックブーム)が機首と尾翼に伝わるが、操縦席の身体にもその衝撃は伝わる。耐衝撃の防護服があっても堪える一撃だ。攻撃が止んだ瞬間、胴に隙が見えたのでイオリが峰打ちを繰り出した時、これをまともに受けてしまった。


 「うぐッ!?」


 一発受ければ意識が飛ぶほどの衝撃力、さらにこれは攻撃のみならず、間合いに入り込まれたときには弾き出す見えない楯にもなる。それは今、彼女が身をひるがえした時に放った一撃で身をもってイオリは体験した。今度は足元の床板が砕ける程の威力、これには丈夫が取り柄のイオリも激痛に身を崩して床に転げた。


 「はぁ、はぁ… これって、万事休すってやつかな…」


 痛みに悶え、歪む視界にもゆっくりと近づくヴィヨルンの姿は見える。このまま仕掛けられれば終わると思ったが、彼女の動きが止まった。何やら様子がおかしい。


 「さっきから飛蝗みたいに… ちょこまか、ちょこまかと…!」


 突如、ヴィヨルンは体勢を崩し片膝をついてしまった。それに、彼女の呼吸が一気に荒くなっているのがはっきりと聞き取れる。まだ頭はフラフラするが、この隙にイオリは立ち上がった。だが、彼女が動きを止めて苦しむ様子を「好機」と見ることが出来なかった。


 「どうしたの、打ち込めばキミの勝ちだよ…?」

 「違う… それは違います」

 「ふふふ、どう違うのかな」


 この絶好の機会に手を止めるとは、やっぱり面白い奴だと自分でも強がって見たものの、自分の体と技に限界が来たことは明らかだった。全身の関節と回転が生み出す速度と威力は絶大だが、これは技を繰り出す方にも反動が生じる。これまで何度と用いることも無かったためか、イオリの回避と耐久力に焦って乱発しすぎたことが負担になったのだ。

 

 この時、イオリもこの異変に気付いた。あの息切れから察するに、肋骨と肺をやられている可能性が大きい。


 「どうにかしなきゃ…!」


 弱った相手を嬲って勝つのは、正々堂々とした勝利ではない。しかし、今の自分の実力で、戦う相手を救出ことなどできるのかとイオリは自問した。


 「真剣を用いるには、相応の覚悟が要る」


 師匠のマサナの言葉が脳裏を過った時、彼女は意を決した様子ですっと姿勢を正して肥前忠吉を差しなおす。イオリの眼からは、闘志が消えていなかった。仕掛けてくるなとヴィヨルンは自分も体勢を立て直した。


 「ふぅん、やる気になったみたいだね…」

 「次の一刀、これで… これで最後にします!」

 「最後かどうか、それを決めるのは、キミじゃないと思うんだけど?」

 「いいえ! 正真正銘正々堂々の真正面から、これで決着です!!」

 「はぁ… やっぱり楽しい奴だよ。キミは…」


 ヴィヨルンは苦笑するしかなかった。どういう積りか知らないが、真正面から堂々と立ち技で勝負を決しようという愚かな出を受け入れてやろうと決めた。最も基本的な技で競うというのなら、この練度で自分に適うはずもない。


 イオリとヴィヨルンは真正面で向きあった。


 不要な力を抜き、視点もまた一点の動作を見つめるのではなく、初動に反応するために全体に散らす。互いが完全な姿勢となっていることが判る。やがて、相手の呼吸や心音すらも聴覚でなく視覚で感じることができるのではないかと思うほど、鋭敏になる。


 そこからの抜刀は、同時だった。


 刀勢、剣先の粘りはヴィヨルンが勝った。これには、ものの見事にイオリの刀は弾かれ中空を舞うことになった。この場合、無手になることを恐れるのは自然、これを追って身をひるがえす。


 ここを狙う積りだったが、イオリの行動はその真逆だった。なんと彼女は、無手のまま自分に向かってきたのだ。


 「勝った」


 ヴィヨルンは確信した。彼女は既に体勢を正面に転じて、両手握りの拝み打ちを繰り出していたが、突如彼女の視界がぐるりと一転して景色が変わった。目の前にあるのは床板、そして自分の手から太刀が消え失せているではないか。


 「一体、何が起きた…」


 なんと彼女はイオリに組み伏せられただけではなく、太刀を奪われ自分の後頭部に向けられているのが判った。理解が追いつこうとする前に、緊張の糸が途切れて蓄積されたダメージが疲労となって押し寄せる。彼女は、髪の毛一本ほども動かせなくなっていた。


 一方でそのイオリも、何とか出来たという様子でやっと無我の境地から戻って来た。


 「師匠の行っていた円の意味、たぶんこういうことかな…?」

 

 あの一瞬の動作がスローで蘇って来る。


 刀を払われれば自分への拝み打ちが来る。イオリはこうなることを狙って刀を打たせたのだった。刀の軌道が決まれば、次の一手は半身で躱すだけで済む。そして柄を握る相手の両腕が成す円の中心を狙って絡め捕る。仕上げは、太刀を描く円運動を活かし、相手の身を前方に転(まろ)ばしてやり反動で太刀が手を離れる。そうして分捕った太刀は、イオリの手にあるというわけだ。ヴィヨルンの帯から鞘を引き抜いて太刀を納める。相手に反撃の気配も、それだけの体力も残っていなかった。文字通り、相手も最後の一刀となったようだ。


 「これで… 勝負ありです!」

 「そうみたいだ… キミの勝ちだ」


 よろよろと身を起そうとするヴィヨルンを、すっとイオリは肩を貸してやった。斬撃の跡をあちこちに残す道着越しに、彼女の体温を感じた。何だか、母に抱かれたような懐かしい温もりがあった。

 

 「大丈夫?」

 「それ、倒した相手に聞くことじゃないよ」  

 「でもさっき、物凄く辛そうにしてた」

 「大丈夫、もうじき収まる」

 「でも…」

 「いいって… ところでさっきの、誰に教わったの?」

 「えっ… なんというか思いつき…じゃなくて、咄嗟に出ました」

 「咄嗟に出た?」


 この言葉に、思わずヴィヨルンはきょとんとした。真剣に立ち向かう胆力。そしてあれだけ滑らかに相手を捕らえる技を、誰にも教わらずに咄嗟の反応で全て実現してみせたというのか。

 

 「この技、前にも見たことがあってね…」

 「そんな武芸者がいたんですか?」

 「いるも何も、五傑の筆頭、僕の師匠と初めて戦った時だよ」

 「ええっ…!? 」


 イオリと唯一違いがあるとすれば、筆頭は自分が居合の使い手と知って最初からこの技を仕掛けて来たということだった。彼女はその圧倒的実力差から、筆頭を師匠と尊敬するようになったのだ。


 「って、師匠に何度も言われたんだけどなぁ…」

 

 ヴィヨルンが自らの師について振り返る時の顔は、どこか嬉しそうな柔らかな表情だった。これほど強い剣士にも師匠が居て、自分と同じように鍛錬を積んでいることに、イオリもまた自分の師匠とのやり取りが思い返された。

 

 「その言葉… 私も師匠に教わりました…」

 「そうなんだ。でも、キミは頼るようなものは何も持っていない」

 「えっ、なんかそれ酷いです!」

 「だからキミは強い、本当の自由っていうのは。だから、これから何処までも行ける。自分の思うところへ…」


 自分は敗れた。それなのに憎悪も嫉妬もなかった。ああそうか、フルールもこんな気分だったのかと、気持ちは穏やかに澄み渡るのがわかった。また別の分岐(タイムライン)へと生まれ変わるが、これから暫くは楽しいまま、どっかをフラフラしてられる。もとより放浪するのが好きな性分だ。


 「自分の思うところへ…」


 ヴィヨルンの言葉をイオリが反芻すると、胴着の隙間から光が見える。慌てて確認すると、自分が差している短刀の鞘が光っていた。そして取り出してみると「竜剣の丸」が刻まれているではないか。まさかと思い振り返るとそこにヴィヨルンの姿はなかった。代わりに仕合を見届けた軍目付が立っており、イオリに一礼した。それは、全てを見届けたという無言の報告であった。


 「ヴィヨルン様は元来、風の如き御人です故」


 この軍目付の一言に、自分の眼には永くあの美しい剣士の姿を留めておこうとイオリは思うのだった。そして、自分の目指す場所にたどり着く強さとは、一体どれくらいなのかと考えるのだった。

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