「竜剣の丸」其の四

 イオリはヲリョウから預けられた初代肥前忠吉を差し、対爾核までの道を歩いていく。最初は木刀一本とその身一つだったが、今は共に歩いてくれる人がいる心地がした。


 「ありがとうヲリョウさん、師匠… 何て言うなら、絶対に勝たなきゃ」


 真剣の重量と重心移動に慣れるために素振りなどをこなすのは当然だったが、これに少しでも扱いやすいようにと、拵えはまるっきり別のものをマサナが選んでやっていた。


 柄は定寸より少し短く、胴の中程にくびれを持たせた立鼓形で柄巻は鹿角の漆塗り。これは居合の勝負になった時、片手打ちのやり取りになった時に扱いやすさがグンと変わる。こじりなど刀装具はすべて鉄という実戦向きになっている。

 鞘にもまた工夫があり、組紐を通す返角かえりづのも独特の角度がついている。これは抜刀時の鞘の脱落を防ぐと同時に、この角度を利用すれば即座に胴を守る楯にもなり得る。


 「大昔、居候させて貰った諸侯が剣に熱心でな。その侯が考えたのがこの拵だ」


 そんな風にマサナは語っていたが向こうの世界でも居候、間借人だったのかと可笑しくなったのを思い出す。これで少し、緊張が解けた。脱力は手足の筋肉のみならず、視覚聴覚のこわばりを取る。


 「よし…」


 対爾核の前に立つと、例の如く軍目付いくさめつけが現れて五傑の下へ案内される。

 ここまでは前と同じなのだが、イオリはある違和感を覚えた。軍目付がかぶっている動物の頭蓋骨のような仮面は同じだが、服装が白地に赤黒の縞模様の背広に似たものを着ている。そして何より、前の一人よりも上背もあり手足が異様に長い。しばらくは無言だったが、長い回廊を歩くうちにイオリはどうしても聞きたくなった。


 「あの…軍目付さん。何だか前と違ってませんか?」

 「はい、先日貴女を案内したのは、私とは別のものです」

 「他にも、同役の方がいらっしゃるんですか?」

 「はい、時に仕合の審議や仲裁をしますが… 私の任期では一度だけですね」

 「審議や仲裁?」

 「はい、流石は九度の転生を経て、尚も剣聖であり続けた御仁… 先代の五傑などは造作もなく倒しましたが… それから少し面倒がありましてね」

 「な、なんかよくわからないけど、大変そうですね…」

 「さて、説明をお続け致しますか? こちらにヴィヨルン・タジオ様がおわします」

 

 軍目付が立ち止まると、いよいよ二人目の五傑がその先で待つ扉が現れた。


 「ご案内ありがとうございました」

 「それでは決着の後、再びお伺い致します」


 一礼すると軍目付は、そのまま氷の溶けるように姿を消した。扉が開かれると、先に戦ったフルール・グランディーネとはまた違った空間だった。床板張りの道場という雰囲気は同じだったが、壁には多種多様な刀剣が提げられている。これも前のように追悼か、はたまた勝利の証明かとイオリは考えていた。


 「どうも剣士との対決が多くてね」


 その真ん中に五傑の一人がちょこんと正座していた。名前から男性かと思ったが、女性だった。黒髪の一本結、色白で切れ長の一重、武芸者というには春風のように柔らかく可憐な雰囲気がある。


 「軍目付から、名前は聞いているだろうけど五傑のヴィヨルン・タジオ… よろしく」


 何より、かなり若い。その澄んだ声色にはまだ、幼ささえ感じられる。自分よりも四つか五つ程下だろうかとイオリは思う。だが、相手が少女だろうと対爾核にあっては、ましてや五傑ならば戦わなければならない。


 「ボクはキミがかどうか知りたい。それだけ」

 「あの… 楽しいかどうかって、私は芸人ではありません」

 「ふふっ、ははは! やっぱり楽しい奴みたいだな」

 

 ヴィヨルンがすっと手をかざすと、空間から一振の合口打刀拵えが現れて浮遊している。その鍔すらない最小限の装飾は使い手の実力を伺わせる。腰反りの強さから中身は太刀と判る。


 「どこからでも、存分にどうぞ」


 彼女は差料を掴むと、そっと自らの左側に置いた。イオリにはこの姿が、まるで龍を手懐けているているような、手許に置いているようにさえ見えるのだった。


 「どうしたの? そっちは僕と戦いたいんでしょ?」


 ならばと思い、イオリがヴィヨルンとの間合いを詰めた。すると、突如として目の前に大切先が現れたではないか。その切先から、藤の花が咲き乱れる如き丁子乱れは刃区(はまち)まで広がっている。これを手にする白袴の彼女は、さながら花を揺らす風にさえ見えた。


 「簡単に間合いに入るから、これで終わりと思ったけど… なかなかやるね」


 ヴィヨルンの一刀が届かなかったのは、彼女が手加減したからではなかった。イオリは彼女の髪を結う紐が、微かに揺れたのに初動を察知して踏み込みを半歩とどめたのだった。


 「コレが怖くないんだ?」

 「どっちかというと、美しいかな…?」

 「いい良い眼をしているね。大昔、王室御抱え鍛冶が鍛えた太刀だよ」


 ヴィヨルンは方蹲踞のまま納刀すると、ゆるりと立ち上がる。この所作が余りに滑らかであったことと、常にあの大切先がこちらの眼前にあるようで、彼女に打ち込む隙を与えなかった。


 「見たことないけど、龍が眠りから覚める時ってこんな感じなのかも…」


 イオリは彼女の鞘に紋章「竜剣の丸」が見えた事からそんなことを考えた。だが、関心している場合ではない。運よく結い紐の揺れに気付けたが、この美しい少女の使う居合は、マサナのそれを遥かに凌いでいる。二度もそのような幸運で乗り切れる相手ではない。


 二人は対峙しながら、呼吸を整えつつ初動を読み合う。


 先に仕掛けたのはイオリだったが、ヴィヨルンが後の先を取った。抜刀と同時にイオリの太刀を受け流し、すかさず返す刃で彼女を打とうとした。これをイオリは大分不格好だが受け流すことができた。崩れた体勢で剣先の粘りを欠いたせいか、合撃(がっし)に持ち込むことができなかった。まるで型稽古のようにお互いの刀は鞘に収まり、再び対峙する。


 「うん、そこら辺の武芸者よりはずっと強い。やっぱり楽しい奴だ」


 ヴィヨルンは嬉しくなる。常に一刀か数手で勝負を決していた彼女に「それ以上」を見せてくれるような剣士とは、久しく出会っていない。同じ五傑のフルール・グランディーネを破ったのは伊達ではなかった。


 「なんとか防いだけれど、これじゃ勝てない…」


 イオリは防戦一方となったことに焦った。師匠の技の利を活かすのではなく、頼るようになれば動きが固まると言っていたが、まさにその通りだった。ならば居合ではなく、斬り結ぶにしても必ず先を取られる。一体どうすると考えていた時、突如として自分の間合いにヴィヨルンの影と太刀が迫ってきた。初動が見えないどころか、気配がすっかり消えていた。


 「えっ!?」


 通常居合は左半身を引く動作が基本の原理だが、ヴィヨルンは右半身を引く抜刀を仕掛けて来たのだった。これによって気配を消すだけではなく、通常の居合よりも間合い(リーチ)が伸びる。相手が居合の術利を理解するゆえに「絶対に出来ない」と思う動作を、彼女は技に変えていたのだ。


 「兵は詭道。意表を突かれたときは」 

 「利を活かすのではなく、動きが固まる」


 イオリの脳裏に過る師匠の言葉は、今まさに相手が仕掛けて来た一刀に現れていた。この一刀は躱しきれず、胴を払われてしまった。だが、妙な手ごたえにヴィヨルンは首を傾げた。


 「あれれ、仕留めたと思ったんだけどな…」


 飛び出したものは鮮血でも内蔵でもなく、巻いていた真っ白なさらしだった。彼女が常に携帯する短刀の柄がチラと見えている。だが、これで助かったという訳ではない。


 「ま、間に合った…!」

 「へぇー、やるじゃない。あと一手あれば、やられてたよ」


 なんとイオリはで受け流し、すんでのところで太刀筋を反らすことに成功していた。ヴィヨルンがいうようにあと一手、例えば左の逆手抜刀の際に切先を右手を添えて刀身を押し出していれば、刺突や首筋への一刀にも転じることができる。


 一振りごとに強くなると、かつてイオリを評したがまさにその通りだ。未熟は未熟の工夫を重ね、それがやがて技となり花開く。ならば、自分も技を見せてやろうと、本気を出そうとヴィヨルンは心を決めた。

 

 再び対峙し、互いが抜刀する。


 イオリが後手となっため、ヴィヨルン受け流しつつ反撃しようとした。その刹那、斬撃の直後に打撃のようなものを受けて体勢を崩した。驚くのは、その衝撃は背後の壁面に懸かっていた刀剣を吹っ飛ばしていたことだ。不意の出来事にイオリは思わず膝をついてしまったが、直ぐに立ち上がった。


 「いてて…」

 「かなり丈夫みたいだね。コレを受けて立ち上がれるなんて」

 「一応、それが取り得かな」


 ヴィヨルンの一言にイオリは返しながら立ち上がったが、まだ考えが追いつかない。


 「左手で鞘を使った当身、それとも鎖分銅… どれも違う気がする」


 イオリはあれこれ考えたが、それにしては間合いが遠すぎる。仮に、蹴り技だとしてもあの姿勢からでは足が伸縮でもしない限りは不可能だ。この見えない打撃の正体が、イオリにはまるで判らなかった。


 「僕は体の動きで音速を生み出すことが出来る。今のはその衝撃波…」

 「体の動きで音速を…!?」

 「そう、原始的な徒手空拳でも出来るけど… 居合の体捌きは特に相性がいいみたいだ」


 イオリは師匠に剣術、居合には腕力の他に術利の速度があると教わったが、まさかを持つ剣士に遭遇するとは思いもよらなかった。武術が元来、武器術であるならば動作させる身体もまた「武器」であることは確かだ。

 

 「さて… どうしようか?」 

 

 イオリは落ち着きを取り戻したつもりであったが、先ほどの一撃で自分の筋金の入った鉢巻を飛ばされていたことに気付いていなかった。

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