「竜剣の丸」其の三

 イオリが近所の河原で一人稽古しているというので、マサナは様子を見に行った。


 なるほど確かに、彼が与えた櫂型の木刀を熱心に振っている。それも棒振りではない、れっきとした刀の振り方になっている。それは、空を切る音にも現れていた。


 「ほう、腕力に頼らず胸筋と背筋も動かしてるな。剣先も十分に粘っている」

 

 ちょっと試してやるかと、マサナは後ろからひょいと小石を投げてやったが、振り返ることもなく返す刃でかつんと払い落した。

 ならばと、今度は四つほど別方向に当たるよう投げたが、これは身をひるがえすのと同時に四方へ太刀を繰り出して叩き落とした。


 「太刀筋に乱れ無し、あと少しで一拍子の太刀が身につくな…」


 マサナが関心していると、イオリはなんだかぷんぷんした様子でこっちを見ている。 


 「師匠、さっきから悪戯するの止めてくださいよ」

 「すまんな。ちと、真面目な相談があって来た」

 「あっ、お昼のアジサバの塩焼きなら、あげませんよ」

 「お前、俺の真面目な話を何だと思ってるんだ」


 時折見せるイオリの図太い神経と胃袋の欲求に、果たして本当に彼女の剣士としての才能が眠っているのか不安になる。余談だが、アジサバというのはこの近辺の漁港で一番獲れる大衆魚の王である。あげないと言っているがつい先日、彼女はどさくさ紛れに自分の皿にあったのを半分ほど齧っている。


 「そろそろ、本身を使う。そこで話しておきたいと思ってな」

 「本身…真剣の事ですよね?」

 「そう、真剣を使うのは相応の覚悟がいる。それは判るな?」

 「はい… わかっています」


 イオリは自分が握っている木刀をちらっと見た。


 十文字片鎌槍のフルール・グランディーネとの勝敗は、相手の得物を破壊することと奇策が功を奏して不殺と言う形で決着することができた。果たして真剣同士の斬り合いで、それができるのかと考える。

 

 「木刀で残りの四人に勝つのは厳しい。特に次の一人が厄介だ」

 「厄介?」

 「ああ、抜刀の速さを武器にしている剣士だ。こいつ術は、チトばかしコツが要る」

 「でも、素早く剣を抜くだけなら、あまり強そうに思えません」

 「どうしてそう思う?」

 「えーと… 最初から抜くぞと構えていれば、初動は完全に読めるのかなって」

 「それも一理あるが、抜刀の術… 居合には別の速度がある」

 「別の速度…?」

 「そうだ。お前の場合、実際に体験したほうがいい」

 

 二人は伊呂波に戻り、裏手にある薪割場でその実際を鍛錬することにした。マサナは一振の大刀を用意してきた。

 

 「師匠、それがひょっとして私の…」

 「いや、竹光といって刀身は竹を削った板だが、型を覚えるには役立つ」


 竹の刀身を見せられ、イオリはちょっとがっかりしてしまったが、その拵えであるとか柄糸の巻き方の丁寧さ、鞘の塗装の仕上げなどは偽物には思えなかった。何でも、鍛錬のためにマサナが自作したという。

 

 「師匠、結構器用ですね」

 「ふふふ、間借人とは俺のことだ」


 マサナが何を誇らしげにしているのかよくわからなかったが、その竹光の大刀をマサナが腰に差した。改めてそういう姿を見ると、何だか別人に見える。


 「さてイオリ、こいつの柄と縁頭を押さえろ。それで俺が抜刀できなければお前の勝ちだ」

 「えっ? 師匠… それ本当に言ってます?」


 目の前にある柄の先、マサナの臍のあたりにある縁頭を押さえてしまえば、抜刀などできないのは子どもでも判りそうな道理だった。イオリは、ふんと両手でしかと縁頭を押さえた。

 

 「押さえました!」

 「はい、お前の敗け!」

 「えっ…? ええええっ!?」


 いつの間にかマサナが抜刀しているではないか。抜刀どころではない、竹光の刀身が突如として現れたように見える。 


 「手を当てる直前に抜いた? いや、明らかに私が先だったのに!?」


 全く不思議だった。例えるなら同じタイミングで駆けだしたのに、いつのまにか相手はゴールにいるようなものだった。


 「おいイオリ、眼が点になっているが、お手上げか?」

 「は、はい」

 「よし、それなら答えを見せてやる」


 するとマサナは横向きになり、壁の方にさっきと同じように縁頭を当てた。先ず、柄は握りにかかるのではなく、下から上に添えて前へ押しやる。同時にこのとき、左足を引くことで抜刀が圧倒的に早くなる。


 イオリもこれに倣って試してみたが、なるほどこれが腕力以外の速度ということかと納得した。


 「抜刀するのは右手の動作と思い込んでいました」

 「無理もない。もう一つ、応用を教えておく」


 マサナが教えたのは片方蹲踞の姿勢からの抜刀だった。


 今度は縁頭を地面につけており、この体さばきからの抜刀、反転と立ち上がりの際に受け流しからの反撃。水平納刀からの斬撃というものだったが、ここではイオリが木刀で鍛錬した成果がでた。マサナが真剣を扱っても十分に戦えると予想したのは正しかった。


 「イオリ、居合の極意は鞘の中で勝つことだ」

 「鞘の中で勝つ…?」

 「さて、どう勝つ?」

 「うーん…」

 

 イオリは珍しく頭を使っている表情を見せたが、何かを閃いたようで急にいつもの元気はつらつとした表情になった。


 「わかりました! 抜刀せず鞘に収まったまま、ガーンとぶちかまします!」

 「まあ、どうせそんなこったろうと思ったよ」

 「なら、ガーンとぶちかまします!」

 「いや、そういうことでもないんだ」


 いやいや仕方ないなと思いながら、マサナは割ってある薪を一本引っこ抜いた。余りにも酷い回答だったためか、それで小突かれるのかと思ったがそういう様子ではなかった。


 「ちょっとそこに立て」

 「こうですか?」


 イオリが直立したところに、マサナは薪でぐるりと円を地面に描いた。

 

 「これは、どういう意味ですか?」

 「一つの考え方、お前ならもうじき見つけられる」


 マサナはこれまで木刀で培った一拍子の太刀筋、これと居合の術利が合わさって「後の先」を確実に取る「まろばし)」に至ると予感していた。この技の極意はまさに「円」の思想であるのだが、イオリの柔軟な考え方と今の成長速度なら到達することが出来る筈だ。


 「考えながら居合の所作を練習しておけ。ちょっと俺は野暮用がある」

 「えっ、師匠はどこへ?」

 「お前にも刀が要るだろう。ちょっと都合してくる」

 「都合って事は、アンタ幾らか払うのかい?」


 二人のところにヲリョウが現れた。どうも、この女主人が用いる言葉というのは刀以上に金物の臭いと切れ味を持っている。


 「ヲリョウ、お前こんな時も金を取るのか…」

 「当たり前だろ。伊呂波うちの刀は、一応は質物。品物だからね」

 「わかったわかった。後から支払いの段取りはするから、蔵を見せてくれ」

 

 伊呂波の蔵には店頭には出さない貴重な品物が収められている。特にマサナが用いるような様式の刀は数が減っているため、厳重に保管している。


 「目録か何かあるかい?」

 「ほら」


 ヲリョウが渡した目録のページをめくりながら、マサナは刀箪笥をせっせと開いては中身を検分していった。彼女は彼がいつになく真面目な表情で刀を眺めているので、余程の気負いがあるのだろうと思った。


 「刀剣の戦いなら、大剣クレイモアなんかもあるけど、これでいいのかい?」

 「俺が言うのも何だが、この刀と剣術はどこの世界に行っても通用する」

 

 全部で三十五振の検分を終えたが、どうにもしっくりこない様子だった。成程確かに最上大業物であるとか、それ相応の銘刀があることは判ったがこれでは不十分だった。

 

 「これだけの業物眺めて、ため息ってのは無いんじゃないの?」

 「実戦となるとが要るんだ。それに、俺はイオリについていってやることはできない」

 「ねぇ… なら、待ってな」


 ヲリョウはマサナの意外な一言に何かを思ったのか、一人で蔵の中でも更に厳つい錠前のついた部屋に入っていくと、黒漆塗りの刀箱を抱えて出て来たではないか。

  

 「こいつはどうだい?」

 「ヲリョウ、ひょっとしてこいつは…」

 「うちの爺さんのだけどね。銘は…とか何とか…」

 「もしそいつがという銘なら、俺の居た世界じゃ最上大業物だ」


 鞘を払ってみると、大切先のがっしりとした刀身、地金はよく鍛えられており直刃の刃紋、五寸ほどの刀身彫刻が鎺にかけて施してある。余りに酷い言い間違いとは裏腹に、ヲリョウが熱心に手入れをしていることがわかった。


 そして何より、峰に一つ誉傷がある。紛れもなく戦いを知っている刀であり、優秀な使い手が後世に伝えた証拠だ。イオリの命を預けるに値する。


 「イオリ、お前の差料が見つかった。驚け、最上大業物だぞ」

 「それって、どれくらい凄いんですか?」

 「俺の差料より二つばかり上の位階、刀の頂点てっぺんだ。ヲリョウに礼を言うんだな」

 「美人で優しいヲリョウお姉さん、ありがとうございます。これ、一生大切にします!」

 「何だかソレ、前にも聞いた気がするけど… 誰もやるなんて言ってないよ」

 「えっ… やっぱりこういうのは、話の流れからご厚意なんじゃないんですか!?」

 「前にも言ったけどタダってことは無いの… だから、必ず返しに帰って来なさい」

 「ヲリョウさん… はい、必ず勝って戻ってきます!」


 突如として現れたヲリョウの不器用な優しさが可笑しいと思ったが、この優しさにイオリは大いに励まされた。

 

 「ああ、でも家伝の一振だ。刃毀れなんかでもしたら承知しないよ?」

 「えっ!?」

 「仮に折ったりでもすれば、五傑を倒した後も下働きだぞ?」

 「えっ、ええええっ!?」


 マサナまで便乗して畳みかけて来たので、さっき見せた優しさは一体何だったのかとイオリは脱力してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る