「月輪に星に久留子」其の五

 終日臨時休業


 こんな看板が伊呂波の店先に掲げてあった。そして店の中にはヲリョウと、またもや首根っこを引っ掴まれて連れてこられた町医者のタキが居た。何やら、大変に眠たそうにしている。


 「鶏の鳴く前に呼び出されるなんて…」

 「こういうとき、この界隈で一番確かなのはお前しかいないからな」

 「ふぁ… 本当に帰って来るんでしょうね?」

 「帰ってきてもらわないと困るんだよ…」

 「しかし、あの娘(こ)が武芸者だったなんてね」

 「全く、こっちも驚いたよ。色々と…」


 ヲリョウはそういいながら、イオリが見せた剣士の片鱗によって破片になった壺のほうに目をやった。何があったかは知らないが、その様子から面白いことをする娘だとタキは思った。


 「一体全体、どんなのを相手にしてるんだろう」

 「そりゃ、何というか… それこそ怪物みたいなやつじゃないかな?」

 「ああ、なんだ。それならを見たことあるなら大丈夫ね」

 「ふぁ… どういうことよそれ」

 

 二人がこんなやり取りをする一方で、マサナは墨絵の下絵などを描きながらイオリの帰還を待っていた。彼女への無言の信頼というべきか、自分の指導による自負か、その表情は平素と変わらなかった。


 「そろそろかな」


 愛弟子(イオリ)の帰還は、早朝にも関わらず伊呂波の店先が俄かに騒がしくなったので判った。


 対爾核から帰還したイオリは一人で伊呂波へ戻ってきたつもりだが、偶然彼女を見つけた武芸者や朝起きの商売人たちがいつのまにか野次馬となり、物凄い大行列になっていた。


 この物凄い人だかりを、ヲリョウがいつもの調子で追い払う声が聞こえる。


 「どれ、帰って来たか」


 のそのそと顔を見に行くと、そこには堂々とした様子でイオリが立っていた。


 「ただいま帰りました!」

 「よし… 勝ったな?」

 「はい!」

 

 マサナの問いかけに、イオリはずいと短刀を差し出した。その鞘に刻まれた「月輪に星に久留子」が意味することは、彼もよく知るところだった。しかし、ヲリョウとタキはまさしく目が点になってあんぐりと口を開けていた。


 「お二方そんな顔してないで、向こうでイオリの怪我を診てやってくれか」

 「ああ、勿論だよ」


 奥の部屋でイオリの上の胴着を脱がしてやると、刀傷は一つもなかったものの、つやつやした彼女の若く柔らかい肌に、青黒くなった打撲傷があちこちにあった。


 「…!?」


 ヲリョウは肝っ玉が座っている方だが、争いとは無縁のような性格をしたイオリの身体に突如として現れた暴力、戦いの痕跡には動揺してしまう。


 「動かせる?」

 「はい」


 その一方でタキは商売柄、淡々とイオリの関節や骨に異常がないかを確かめていく。打撲以外の外傷は無し。野良試合や喧嘩の後の武芸者などを診たことがあるが、それに比べればまるで童(わらべ)がそこらで遊んだ程度のものだった。


 「よし、これ貼って終わりってところだね!」


 タキが医療鞄から妙な壺を取り出した。そして彼女は薬さじで中身をすくうと、ヌメヌメとした深紫色の半固体の塗り薬が何とも言えない光沢を放ちながら姿を現した。また、外観以上に何とも言えない妙な匂いが部屋に広がっていく。


 ヲリョウとイオリの怪訝そうな顔を余所に、タキはペタペタと何か書いてある紙に塗り薬を塗りたくっている。

 

 「タキ、何だいソレ…」

 「何って…貴女、湿布を見たことが無いの?」

 「アタシが聞きたいのは原料だよ…」

 「耳長の長命種(エルフ)から教わった秘薬を基に、私が知ってる打身や切り傷に効く薬草とか諸々を突っ込んでしたのよ」

 「たぶん、お前の改良でにしてると思うけど…」

 「あと、貼るだけじゃなくて温めた酒で飲んでも効くわよ。粉にしたのもあるけど、伊呂波で置くつもりはない?」

 「遠慮しておく」


 タキがついと差し出した紙袋をヲリョウは押し返した。アレを粉末にするという過程も二期になるし、何だか飲むなんて言うのはちょっと考えたくない。


 「それじゃイオリちゃん、ちょっとゴメンね」

 「ウギャー!?」

 

 えいやとタキが湿布を貼るや、イオリは物凄い声と共に飛び上った。その声の大きさときたら、まるで空中に言葉を印字したかの如きものだった。

 

 「タキさん、これ何ですか?!」

 「えっ、イオリちゃんも湿布知らないの?」

 「こ、これは私の知ってる湿布と違います!」


 貼られるとヒヤリとして気持ちが良いのは同じだが、段々とヌルヌルとした手で撫でられるような、何だかくすぐったいような感覚が襲ってくるではないか。まるで、湿布に按摩(マッサージ)をされているようだった。


 「薬効を高めるために護符を使ってるから、こいつは効くよ。そのうち収まったら、痛みも跡も消えてる」

 「は、はい…わかりました」

 「それじゃもう一枚いくよ?」

 「ウギャー!?」


 そんな具合でイオリが治療を受けている間、マサナは彼女が用いた木刀を眺めていた。


 ところどころに、槍の本身で傷つけられた跡がある。その傷跡を辿っていくと、ただ闇雲に受けたのではなく、真剣を用いたときのように峰や鎬など、角度を利用した受け流しに用いていたことが判る。ただの鈍器ではなく、真剣を模した武器であると頭と体で理解している証拠だった。


 「もう真剣を扱える下地は出来上がったが問題は… ほう!?」


 それ以上にマサナが関心を持ったことは、この勝負を如何にしてイオリが決着させたのかだったが、それは木刀に血痕がないことがそのまま「答え」になっていた。


 「そうか、お前も不殺の道を選んだか… さて?」

 

 対爾核では軍目付(いくさめつけ)から五傑へフルール・グランディーネの顛末が報告されていた。彼女の敗北という信じがたい内容だったが、ニコ・ツァイトベルクの透視能力によって記憶を映像にしたことで、仕合の仔細までを確かめた。


 「そうか、敗れたか…」


 投射されたフルールとイオリの立ち合いをいつまでも興味深げに眺めていたのは、エリカ・ロートシュテルンだった。


 「イオリ・ツキオカ、そこまでの能力を秘めているというのか…?」


 勝敗以上に驚かされたのは、彼女が不殺という方法で決着させたことだ。

フルールの十文字片鎌槍と雷撃に関しては、力試しで幾度となく体験したが並大抵の武芸者が「どうにかできる」ものではないのを良く知っている。ましてや、ここ最近の挑戦者でフルールに異能を使わせるまで追い込んだ相手はいなかった。


 勝敗を決した一撃もまた、槍を踏み台にして封じて自らの利とする鮮やかな奇襲、これにも一同は驚かされた。


 「すばしこく動き回って最後には跳ぶ…まるで飛蝗だ」

 「ええ、飛蝗は嫌いだなぁ…」


 エリカの独り言に相槌したのはヴィヨルン・タジオだった。極めて真剣な場面を観ているというのに、小袋に入った豆菓子のようなものをパクついているという、相変わらずの勝手気ままぶりだった。

 

 「フルール… いなくなっちゃったね」

 「我々も敗れれば例外ではない」 

 「ふぅーん、は冷たいんだね」

 「そう呼んでいいのはアイツだけだ」


 黒兎というのはエリカの紅い瞳と漆黒の甲冑をからかったものだが、そんなからかいの言葉をかける者はもういない。ヴィヨルンとて、自分と同じ「勝手気まま」な性分がある者がいなくなったという喪失があった。


 「ヴィヨルン、お前はどう見た」

 「どう?」

 「二人の立ち合いだよ」

 「なんか…楽しそうに見えたなぁ…」

 「楽しそう…だと?」 

 「ああ、だから悲しくないんだね。寂しくならないんだね。フルールは、…」


 ヴィヨルンの言葉に、エリカもまた「そうか、そういうことだったのか」と心の仕えが取れる心地がした。最後の最後に、最高の仕合に巡り合ったのだ。


 自分たちのような者たちが、戦いを楽しいと感じる時は「強敵」に巡り合った時だけだ。この世界で、対爾核で立ち合った武芸者などは数え切れないが、そのような相手にであったことはなかった。


 「ねぇ、エリカ姉… 次あいつが来るなら。僕が相手をしてもいいかい?」

 「二人で仕掛けるという方法もあるが?」

 「いや、僕だけにやらせてよ。あいつが、本当に楽しい奴か試したい」

 「そうでなければ?」

 「楽しくなければ… いつも通りにやるだけ。すぐ終わるよ」


 エリカの問いにそう答えたヴィヨルンは、自分の合口打刀拵の鞘に刻まれた紋章「竜剣の丸」をじっと見つめていた。

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