「月輪に星に久留子」其の四

 イオリは全身が火のように熱くなっていた。


 本物の槍、本身を目の当たりにした恐怖や戦闘の興奮が心臓を高鳴らせる。呼吸も乱れているが、ここは落ち着かなければいけない。

 

 「あと一歩、あと一歩踏み込めれば…」


 必勝の瞬間は必ず訪れると彼女の脳裏を過るのは師匠、マサナの言葉だった。早まってはならない、ましてや己の技量を過信してはならない。

 

 今度は、互いが同時に仕掛けた。


 十文字片鎌槍の柄と木刀が、ゴツゴツとぶつかり合う。槍は穂先の鋭利さは勿論だが、柄のしなやかさを活かした打撃も有効である。特に合戦などでは集団で密集して相手を打ち据えるのは定石となっている。


 このことも、マサナとの特訓で想定済みではあったが、やはり打撃に粘りがあるせいか左肩と脇のあたりに一発ずつ直撃を受けた。


 咄嗟に利き手側は躱したつもりだが、打撃の他に痛みが走った。


 「何これ、痺れてる…!?」

 「気付いたかい?アタシはちょっとばかし、電気を操れる。この技、普段なら竜とかデカブツ相手に使ってるんだがね」

 「私、そんなに大きいですかね…?」


 イオリも強がって軽口を飛ばしてみたが、相当に厄介な技だ。師匠との稽古でどうこうできる代物ではない。


 「アンタがここに来た時、雷が鳴ってたね。なら、去る時も鳴っていたほうがいいだろう?」


 フルールが槍を振るうと直接の打撃ではなく、空間放電による一撃が繰り出されるではないか。こればかりは初動が掴めず、寸前で躱すしかないが二度ほど直撃を受けてしまった。


 「雷雲に突っ込んだ時と、まるっきり同じ…!?」


 飛行機で大空を駆けていた時を思い出している場合ではない。目くらましの中に、本命の一撃がイオリに襲い掛かる。すんでのところで、大笹穂は躱したがどうにも体が痺れて、片鎌で道着の袖を裂かれている。

 

 「案外丈夫じゃないか、イオリ・ツキオカ?」

 「ええ… こればっかりが、取り柄ですから…」


 これで容易に間合いに入ることは困難となった上に、二人の戦いが通常の一対一の「仕合」からジワジワと追い込む「狩猟」にその性質を変えているのが判る。フルールはあくまで、己の槍に自信を持っている。仕留めるものは、この小手先の術ではない。かならず仕掛けてくるはずだ。


 「まだまだ…」


 勝機は必ずある。雷雲であるならば、その切れ目から晴天に突き抜けるように、その瞬間がやってくる筈だ。


 そしてそれはやって来た。


 電撃の止んだ先に閃く十文字の鎌と大笹穂、繰り出したフルールもこの瞬間を待っていた。足の甲を狙った刺突と見せて、返す片鎌でイオリの足を薙ぎ払おうとした。自然とイオリはこれを躱そうとして体勢を崩すことに成功した。


 ここで胴への突きを繰り出し、これで勝負は決する。


 あれだけ電撃を受けると、今までのような判断力はおろか回避運動も追いつかない。それほどまでに追い込んでやったはずだ。だが、イオリの行動は違った。


 フルールの繰り出した穂先を躱し、物打ちのあたりを踏み台に柄の撓りを活かして垂直に飛び上ったではないか。その脚力でもって、彼女の槍が折れた。


 「飛んだ!?」


 この跳躍から落下の加速度は、イオリの膂力と背筋の力とともに木刀に伝え、フルールに重なる彼女の影から、その威力と重量を感じずにはいられない。この一撃は徹甲弾の砲撃の如き一撃に変化している。


 フルールは苦し紛れに、折れた槍をひるがえして反撃に転じようとしたが、余りに遠く余りに遅すぎた。


 「やられる。このアタシが…!?」


 通常の武芸者の立ち合いでは、勝利が常に槍の穂先にぶら下がっているような概念だった彼女にとって、その槍を折られるとともに消えてしまったのだ。死を覚悟した生物としての本能からか、咄嗟に両腕を交差して頭部を守ろうとした。間に合ったところで、どうにかなるものではない。


 イオリの着地が先か、木刀の振り下ろされるのが先かは判らなかったが粉砕の音とともに、勝負は決した。


 あたりは水を打ったように静まり返り、聞こえる者はイオリの弾んだ息の音のみだった。今まさに、彼女の全身には戦闘という極限の緊張からの解放が心音や流汗となって顕れている。


 「何をしてるんだよ…」

 

 声の主はフルールだった。


 イオリが繰り出した渾身の一撃は彼女の頭蓋ではなく、床板に振り下ろされていたのだ。そして彼女の木刀は、見事に床板をぶち抜いていた。その上、床底にまで到達しているのが木片とともに飛び散った土で判った。


 「もう、貴女は戦えません。だから、わたしの勝ちです…」


 もし、これが直撃していれば頭蓋骨を粉砕するどころか、その威力は頸椎すら押しつぶしていただろう。仮に肩で受けていれば、木刀であっても己の半身をへし切っていることが想像できる。


 この事実を十分に理解している故に、フルールの怒りは更に高まった。この武芸者は、こともあろうに五傑の自分に「不殺」という情けをかけたのだ。


 「ふざけるなよ!?」


 フルールは怒鳴ってはみたものの、いささか不格好だった。


 彼女の身体は恐怖からの開放で力が抜け、立ち上がることができなかった。だが、不格好なのはイオリも同じで、初めての命のやり取りから解放され、木刀を杖に立っている状態であった。しかし、そんな状態でもイオリはそんなフルールにすっと手を差し出した。


 「何だよ…結局アタシの負けかよ…」


 差し伸べられたイオリの手を見つめながら、思わず笑ってしまった。一体何が可笑しい、自分が負けた姿か、それとも、自分を追い詰めたこの乙女の無謀な挑戦。おそらくはその全てであった。そのどれもが初めてであり、最後であることが彼女にそうさせた。


 フルールはイオリの手を借りて立ち上がった。


 「アンタが、これで終わりっていうなら…それ、貸してくれる?」

 「えっ…? だ、ダメです!?」


 フルールはイオリの懐に見えた短刀を指した。これにはイオリもその意味を察して慌ててしまう。優れた武芸者が敗北の生き恥を晒すくらいなら、そういう作法に乗っ取った最期があるということだ。


 考えただけで青くなったイオリは、彼女に短刀を渡すまいと必死に身をよじったり忙しなく動いて抵抗した。あまりにうねうね、ぬるぬる動くので段々とフルールも腹が立ってくる。


 「いいから渡せっての!!」 

 「だからダメです!?」

 「うるさいやつだな」

 「痛っ!」


 イオリがいつまでも短刀から手を離さないので、パチッと軽めに電撃をくれてやった。フルールは短刀を取ると、鞘のあたりをすっと撫でたように見えた。

 

 「ほら…これで次に進める」


 フルールがぶっきらぼうに短刀をイオリに突き返すと、鞘に彼女の紋章である「月輪に星に久留子」が刻印されていた。


 「五傑以外と戦ってこれだけ熱くなったのは、本当に久しぶりだよ」

 「あ、ありがとうございます」

 「筆頭を入れて残り四人だが、まだやるのかい?」

 「はい…」


 いちいち素直な奴だ。さっきまで、死闘を繰り広げた相手とはとても思えない。それでも、あの地面に突き刺さっている厳つい木刀でもって、自分に挑んできたのだ。


 「そこまでの無謀をして、アンタは一体どこへ行きたいんだ?」 

 「私の居た元の世界に…まだ全部は思い出せていませんが、約束があるんです。だから、どうしても…」

 

 危険を冒してまで、更には記憶を失っても果たしたい約束。そんな約束を交わす相手は誰か。情夫か、それとも古い友人か、いずれにしてもこれだけの強さに繋がる存在なのだろう。


 こうした理由で強くなった例は、これまで出会ったことがない。


 「また会うことがあれば、次はアタシが勝つ」

 「の、望むところです!」


 愉快だ。こんな武芸者、こんなに愉快な武芸者とは出会ったことがない。それ故にもっとこのイオリを見てみたいと、どれだけ強くなるのか見てみたいとフルールは思ったが、それは叶わぬ夢だった。勝負を終えた二人の前に例の軍目付が、まるで水から上がるように床からぬるりと姿を現したではないか。


 「勝負はこれまで… イオリ・ツキオカ殿の御勝利、相違ありませんね」


 軍目付の一言とともに目の前に広がっていた道場の景色は失せ、対爾核(たいじかく)の内部空間と思しき場所にイオリと軍目付が立っていた。そこに、フルールの姿が無いことに気づいた。


 「此度の勝利、お祝い申し上げます」

 「あ、あの…一つ聞いてもいいですか?」


 軍目付が所作に乗っ取った挨拶をしたとき、どうしても気になってイオリは尋ねた。自分は彼女を殺しはしなかった。だが、何者かから罰せられるのか、或いはそれこそ処分されるのか気がかりだった。


 この軍目付、物事を観ることが仕事ということで察しが良いのか、口ごもるイオリを余所にそれからの彼女のことについて答えた。


 「彼女は新たな段階フェーズに移行します」

 「新しい段階フェーズ?」

 「はい、再び武芸者として別の分岐タイムラインへ生まれ変わります」

 「それなら… もしも、もう一度会えるとしたら…?」

 「私は武芸者ではないので、詳しくは存じ上げませんが…」


 軍目付の表情は仮面の下にあるのかわからなかったが、はてさてと言う様子で少し天を仰いで考えている様子だった。


 「女史と同じ道を歩み続ければ、どこかに道の交わる分岐タイムラインがあるかもしれません」

 

 そんな言葉を反芻しながら、イオリは美しい朝日が昇るのを眺めていた。対爾核の白銀の表面には朝日に照らされた彼女の姿が、姿

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