「月輪に星に久留子」其の三

 日の出を迎える少し前、イオリは一人対爾核の目の前に立っていた。


 「なんだっけ… そうだ、大合衆国の航空母艦。アレ、ちょっと思い出すなぁ…」


 記憶に蘇ったのは、元の世界に存在した超大国の海上城塞にして超大型滑走路であった。あの時は演習、それも海軍対抗の模擬戦闘だったようなと、そんな記憶が微かに脳裏によみがえって来た。


 市街に人の気配がないということもあって、白銀の巨大な物体はその威容が益々増しているように見える。その表面に「月輪に星に久留子」が表示されたのを目視できた。そしてイオリは差している短刀の鞘を眺めた。


 「紋章が五つ揃えば…」


 五傑に勝利できれば自らの望む場所へ行くことが、元の世界への帰還が叶う。あり得ないほどに近く、遠くに待ち受ける道を切り拓くのは自分だと、グッと力が入る。

 

 「そういえば、こういう時はとか言うんだっけ…」


 さて、この超巨大な白金の壁とも扉ともつかない物体だが、そんな挨拶はおろかどこが入口で出口なのかすら判らない。ジーっと観察して見ても、そこに映るのは師匠から貰った鉢金を巻き、木刀を左手に携える道着と袴姿の自分だった。


 それがどうも様子が違って来た。鏡面に映るイオリの顔の真ん中に黒い染みのようなものが現れたではないか。段々とその染みは大きくなったと思いきや、そこには狩衣とも法衣ともつかぬ着物を着た人間が映ったではないか。


 「一応、人だよね…?」


 イオリは唐突な怪人の登場に、おっかなびっくりであった。何やら動物の頭蓋骨とも何とも言えない仮面で顔を隠しているため、性別は判らない。しかし、相手が一礼したのでこちらも一礼を返した。一応は、非言語でも意思疎通が可能な相手ではあるらしい。


 「あ、あの私、ここで…仕合を…その…」

 「承知致しております。こちらへ」


 謎の人物に手を引かれ案内されると、イオリも共に例の鏡面のような白銀の壁にするりと吸い込まれてしまったではないか。この技術や理論はまったく判らなかった。


 更に判らないのは、案内されながら歩いていると回廊の外には庭園が見える。このような景色は、先ほどまでいた市街のどこにも存在していない。


 「あの、すみません…」

 「私には名前がありません。この対爾核にて軍目付いくさめつけをしております」

 

 要するに、この人物は五傑と挑戦者の立ち合いについて、その結果の正当性を証明する監察方である。その軍目付の歩みがはたと止まったところに、扉があった。

 

 「仕合が終わりましたら、再びお伺い致します。それでは」


 軍目付は一礼すると、再び姿を消した。それと同時に扉が開いた。


 「ここが…」


 イオリが注意深く中に入ると、床は板張り、上座には祭壇があり、数体の偶像と燭台が見えた。罠などは仕掛けられておらず、どうやら鍛錬の道場や何らかの儀礼を行う空間を兼ねているとイオリは思った。


 そして祭壇の中央には件の「月輪に星に久留子」の紋章が見える。それ以上に目を奪われるのが、壁面に刻まれた文字だった。これは判読できなかったが、一定の法則を感じられることから「もしや」と思ったところでイオリに声を掛ける者がいた。 


 「名前、それと供養の真言だよ。私が倒してきた武芸者の」

 

 声の主は、祭壇のある上座に一人の女が立っていた。


 褐色の肌で背丈はイオリより高く、筋骨隆々とした肉体がボディラインをさらに際立たせている。そして右手には猛々しい十文字片鎌槍を携えており、小太刀ほどもあろう大笹穂の左右に三日月の如き非対称の鎌が光っている。

 

 「気になるか?十文字鎌こいつの片方は虎に齧られてな。研ぎ直してこうなった」


 冗談ともなんともつかないことを言いながら、飄々とした態度で近づくフルールをイオリは警戒する。虎に齧られたというが、彼女の覇気ならば虎すら追い払えるようにも思える。


 「そんな怖い顔するな。アタシは五傑の一人、フルール・グランディーネだ。得物はコレだけ…そっちは?」

 「イオリ・ツキオカです。得物は、木刀これだけです」


 イオリが素直に差し出した木刀、なんだかそれが無謀な挑戦を象徴するようでフルールは少し滑稽に思えた。だが、イオリのまなざしはまっすぐであることを見逃していない。


 「ははは、そんなものでアタシに勝てるとでも?」

 「はい…負けるために、ここに来たつもりはありません」

 「ふぅーん、言うじゃないか。それじゃ、やろうか?」


 二人は道場の中央に立つと、フルールはぶんぶんと十文字片鎌槍を振るった。その音が、ぴたと止むと互いに向き合って構えた。イオリは小細工のない正眼であった。


 先にフルールが仕掛けた。正中線を狙った刺突に始まり、イオリの木刀をすり抜け飛燕の如く片鎌がイオリの首、手首、腿といった動脈を狙う。道場に響く空を切る音が、この連撃の速度と威力を物語っていた。


 だが、これに併せて槍の柄、物打ちに木刀が当たる音が響く。イオリは、大笹穂の刺突に加え、全方位に対応できる十文字鎌の攻撃を悉くいなし、回避していたのだった。


 「こいつは驚いた」

 

 通常の武芸者であれば、初手の刺突はもとより、首や腿の動脈、各関節への斬撃によって行動不能に陥れ勝負ありとなっている。なるほど、ヴィヨルン・タジオが「一振りごとにつよくなる」と妙なことを言っていたが、どういうわけか判った。


 今度はイオリが反撃に転じ、逆に相手の穂先を大いに乱していく。すかさず繰り出す一撃は単純そのものであったが、侮ってはならない。時折、合撃になるときは本身の槍でありながら押し敗けするほどだった。


 これはイオリの繰り出す一太刀に迷いがなく、剣の切先まで気力がみなぎっている証拠だ。


 「入った!」


 何とか相手の間合いに入ったが、フルールはすかさず石突を振り上げての反撃に転じた。イオリの木刀はこれを払い、すかさず面を狙っての一振りを繰り出した。


 だが、これをフルールは柄を真横にして防ぎ互いに競り合う形で膠着した。二人は、互いの息遣いがハッキリと聞こえるまで肉薄する。


 「ははは、なかなかやるじゃないか」

 「はぁ、はぁ…はい。穂先がこれだけ大きいと、動作が見えやすいので」

 「何だと?」


 十文字片鎌槍が左右非対称であるのは武具として不完全なように思えるが、却って穂先での陽動を巧みにするところがある。だが、。そして幅広な刀身にあたる光の角度、自分の姿、この一瞬をも好機と捉えた。そう、右手の所作のみならず千変万化の大笹穂を光の反射で攻撃パターンを予測して回避するに至った。


 恐るべき動体視力、圧倒的な勘。飛行機乗りでなければ培われなかった武器が、イオリの身体に蘇っている。無論、彼女のこうした背景をフルールが知ることはないが、久々に出会った強敵であると大いに嬉しくなる。


 「そうこなくちゃ…そうこなくっちゃな!」 


 イオリの木刀を滑らし、態勢を崩したところに槍を支柱に猛烈な回し蹴りを食らわして、ようやくイオリを間合いの外に出してやった。


 「いてて…」


 体勢を崩したイオリを、再びフルールの槍が狙う。


 穂先を定めたまま、彼女の胸中には不思議な感情が湧いてくる。この十文字片鎌槍が、まだだったころ。この世界で初めて敗北した相手、五傑の筆頭との立ち合いを彼女は思い出すのだった。あの時はたかが木刀と思った自分の未熟さがあった。


 「この勝負、簡単には終わらないな…ならば」


 全身全霊にて、この挑戦者と向き合う。今のフルールにはその感情だけであった。

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