「晴天の雷鳴」其の五

 「私に兵法と武術、戦うすべを教えていただけないでしょうか」


 イオリの申し出を、マサナは「そういうことだと思った」という調子で聞いていた。弟子を持つというのは、一体何時ぶりのことだろうか。面白い娘だとは思っていたが、これも昨日の「晴天の雷鳴」の思し召しだろうか。


 「特段構いやしないが、何たってそんな申し出を?」

 「はい、お話すると長くなるのですが、私はこの世界の住人ではありません。なので、元の世界に帰る方法を考えていました」


 この二人のやり取りを聞いていたヲリョウだったが、どうもその帰る方法というのが引っかかって仕方がない。


 「まさかイオリ、その方法って…」

 「はい、ヲリョウさんが話してくださったように、私もアレに挑みます」 

 「ちょっとイオリ! そういうのは考えたんじゃなくて、っていうんだよ!?」


 この世界の武芸者、或いは心得があるならいざ知らず余りに無謀過ぎる。まるで明日の仕合に今日の稽古ともいうべきか、生兵法は大傷の元だ。望む場所へ行くどころか、行ったきりことは火を見るよりも明らかだ。


 この世界で生きていくことすら投げ出すことは、ヲリョウからすれば損も大損それも超特大損に感じられた。


 「でも、今のところ帰還できる見込みはこれしかないんです。」 

 「これしかないって言ってもね…」 

 「まだハッキリ思い出せませんが… 約束があるんです。向こうで」

 

 この一言にヲリョウは、最初にイオリが呟いていたことを思い出した。約束、或いはよほどの任務か判らないが、言葉にならずとも彼女を動かしているのだからよっぽどのことなのだろう。


 「イオリ、俺は無謀とは思わん。可能性は、有る」

 「このバカ、そんな簡単に言うんじゃないよ。この娘、ちらっと言ったけど普段のこと以外は丸っきり忘れてるんだよ?」

 「忘れているだけなら、思い出せばいい」

 「このバカ、そんな簡単に言うんじゃないよ」

 「おい、二度も言わんでいい。ヲリョウ、お前さんどれくらいアレの伝承を知ってる?」

 「どのくらいって、晴天の雷鳴とともに現れたとか、望む土地へどうたらとか…」

 

 ヲリョウの答えにイオリもまた「これ以上は」という様子だった。 


 「少し詳しく話そう。ヲリョウや街の衆は、アレだのソレだの呼んでいるが、対爾核《たいじかく》という名前がある」


 あの白銀の鏡みたいな表面に「爾《なんじ》を映し、向き合え」という戒めから来ているという。また、同じ時期に現れたという武芸者はあの建造物の中にいるということだった。


 「伝承にあるように、その連中は五傑とよばれている。そいつらに勝てれば、手形のようなものが手に入る」

 「それがあれば、自分が望む場所に行けるってことですか?」


 イオリもヲリョウも、マサナの話を食い入るように聞いていた。

 「しかし何だいマサナ、あんた随分詳しいけれど…まさか」

 「マァ何だ。長いこと武芸者(こんなこと)をやっていると、色々あるんだ」

 「そんなこと、今まで話したこと無かっただろ!?」  

 「特に言う必要もないと思って、言ってなかった」


 ヲリョウが思った通り、そのまさかだった。対爾核(たいじかく)に挑んで帰って来た者はいないというものの、その稀有な例がこの間借人第一号だった。

 

 「四人まではどうにかできた。ちょっと待ってろ…」


 そう言ってマサナは自分の差料、蝋色鞘で透かし鍔の大小を携えてくると何やら真言のようなものを唱える。イオリとヲリョウがそれを眺めていると、何やら紋章が表面に浮かび上がって来た。ヲリョウもイオリも、これには驚く他は無かった。

 

 「こんなの初めて見たよ」

 「これは一体…」


 月輪に星に久留子《つきわにほしにくるす》、龍剣の丸《りゅうけんのまる》、蝶車《ちょうぐるま》、破軍星立て兜《はぐんほしたてかぶと》と、これは対自核の表面に浮き上がる文字の中に時折見られたものだ。


 このためか、これらの紋章は長らくこの地の武芸者にとって憚れるものとして同じ意匠を用いないことが不文律となっていた。そのうえ、このような不思議な細工が出来る職人はこの界隈にはないことを、ヲリョウはよく知っていた。

 

 「連中への勝利を意味する刻印で、俺にだけ反応する」

 「確か、もう一つあったね。こういう紋章が?」

 「そう。最後の一人、筆頭は九曜巴なんだが…」

 「その最後の一人は…」

 「アレはなかなか難しい。何と言えばいいか…」

 「もしかして、お腹が空いて戦えなかったとか…?」


 ヲリョウにマサナが詳細を語ろうとしたところで、いきなりイオリが割って入った。それも、この緊張感あふれる時になんという予想をするのだと思わず脱力してしまった。こういうところは、イオリはある意味で肝っ玉が据わっている。


 「ちょっとイオリ、こんな真面目な話にそんなこと…」

 「ふふふ、はははそれはいい。マァ何だ。そういうことにしておく」


 そして笑いながらマサナが再び立ち上がって、一振りの赤樫で出来た木刀を持ってきてイオリにずいと差し出した。


 「見たところ、その短刀以外に得物はないんだろう。なら、これを使うと良い」

 「これは…」


 街中で見かけたようなそれとは違っている。明らかに厚く、重い。形状もまた刀身を模しているものの、舟の櫂を思わせるシルエットになっている。

 

 「重量やその配置(バランス)を真剣同様にして、一番の強度を持つのがその形だ」

 「なるほど…」


 しげしげと眺めていたはずのイオリだったが、いつのまにか正眼に木刀を構えており、自然と振り下ろした。その風音は、柄の握りや重心の置き方、姿勢がいずれも完璧であることを証明している。


 これにはマサナはもちろん、ヲリョウでさえも目を疑った。


 「こいつは驚いた。ちゃんと振れるじゃないか」 

 「ちょっと違うんです。マサナさん…いえ、師匠とお話していると、思い出すんです。向こうの世界のこと…友人のこととか」

 「何だ。向こうにの知己があるのか」

 「その人も、やっぱり師匠みたいに色々教えてくれるんです…それが思い浮かんできて、それで自然にというか…」

 「イオリ、俺の発言がなかったように話を続けるのをやめてくれないか…」


 少々がっかりしたマサナだったが、イオリの中には文字通り眠っている技がある。それを掘り起こすか、自分が補強するか、形はいずれにせよ鍛える甲斐があるというものだ。そして、向こうの世界にいる知己というのは余程の剣客とみるのが自然だろう。その約束というのも、段々と気になって来る。


 「二人とも盛り上がってるところ悪いんだけどさ…」

 「なんだヲリョウ」

 「そんな小汚い木刀なんかより、お前さんの差料を貸してやったらいいじゃないか。減るもんじゃなし」

 「真剣は不慣れなものは、弾みで己の手足を斬る。打ち所が悪ければ折れて曲がる」

 「なるほど、そうなっちゃ素手で戦う他はないってことかい」

 「その通りだ。、イオリこれは覚えて…」


 マサナが言い終わるが早いか、先ほどと同じ風音があったかと思うとガチャンという嫌な音がした。音のした方向を見ると、赤樫の木刀はイオリの手を離れ、明らかに高価そうな質物の壺に突き刺さっていた。


 「イ、イオリぃぃッ!?」

 「あ、明日から! だから勘弁してください!」


 このイオリとヲリョウのやり取りに、マサナは果たして自分の見立てが合っていたのか甚だ不安になるのであった。

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