「晴天の雷鳴」其の四
この男、何という身のこなしだろうか。
イオリは荷物を背負っているということもあるが、自分があっちにぶつかり、こっちにぶつかりとやっとのことで歩いているというのに、あの男は魚が水を意識しないようにスイスイと歩いていくではないか。
「待って下さい! 聞きたいこと、聞きたいことがあるんです…!」
「何だ。待ってほしいのか、話が聞きたいのか、どっちだ?」
「ええと、どっちもです!?順不同です!」
男が立ち止まると、勢い余ったイオリが激突して跳ね飛ばされてしまった。
「ふふ、面白い奴だ」
ひっくり返ったイオリを眺めてみると、長身ゆえに鹿のような精悍さがあるものの、どうにも動作が小動物のそれであり、少しばかりアホっぽいところがあるなと男は踏んだ。
「大丈夫か?」
イオリが体勢を整えながら間近で男を見ると、あの俊敏さや器用な動きが想像できないほどがっしりした体格をしている。身の丈は、実に六尺以上、縮れた長い髪の間から鳶色の瞳がじっと自分を見下ろしている。
「先に俺から聞かせてもらう。何を思ってあんな無体をした?」
「何を思って…? あんな堂々と悪いことをしてるのを見過ごせません」
「放っておいても大丈夫と、連れは言わなかったか?」
「確かに、言ってましたけど…」
男はこの小娘が想像以上に単純、それも話を聞き終わる前に動き出すタイプだと理解した。しかし、何ら自分に利するところはないが何となく、一つくらい説明してやろうと思った。
「周りに居るのは、比較的まともな武芸者だ。ただ眺めていただけではない」
「どういうことですか?」
「賊は目的のものを手に入れるまでは気を張っている。こういう時、何をしでかすか分からない…」
男の話をイオリは食い入るように聞いている。言わんとすることが、単純な彼女にも段々と判って来た。
「物が手に入れば気も緩む。何かを担いでいれば片手が塞がる」
「そうすれば、逃げ足も鈍る… それで戦うとなれば!?」
イオリが男の言葉につられて、ぽつりと呟いた。それを聞いた男は「それが正解だ」という表情で彼女を見ていた。
「そう、焦らずとも勝機が自ずとやってくる。ところがお前さんときたら、連中が一番殺気立ってる時に突っ込んでいった」
そうなれば、さっきの答えとまるで逆の展開になっていた。なるほどと、イオリは自分の無謀が恥ずかしくなってきた。余りに無策な突進、自分の最大の弱点だと幾度も言われたところであった。
「それに、商人っていうのは金銀を守るための術を身に着けてる。仮にあれが持っていかれたって、見せ金だよ」
「それじゃ、店の主人が困ってたのも…」
「無論、芝居だよ。大方、丁稚や番頭が捕り手に手配していただろうな。兵法の基礎は騙し合いだ。なら、商人の方が俺たちよりずっと手慣れている」
「な、なるほど…」
ここの世界の住人はそれなりの心得がある者、若しくはその末裔たちだとヲリョウから聞いた。それは日常に戦いがあり、戦いの中に日常を持つ人々ということを意味する。ならば、兵法はおろか武術もままならない今のイオリには為すすべもない。この短刀と根性だけでどうにかなる話ではない。それでも、一応の理由が彼女にはあるようだと男は見ていた。
「で、でも…お店の陰で」
「店の陰で?」
「子供は怯えていました。
イオリの言い分になるほどこれは一本取られたと思った。なるほど、道理と言えば道理だ。しかし、男にとってそんなことはどうでもいい様子に見えた。
「だから何だというのだ?」
「だから、力ある者が力なき者のために戦うのは、当然のことなんです!」
武芸などは畢竟、暴力の美辞麗句ではあるが真に道たらしめるのであれば、力なきものの為に振るうことが正しい。長い間、こんなことを言う者がいなかったためか妙に男はこのイオリが気になった。
「しかし面白い奴だ。一応、名前だけ覚えておく」
「ええと、イオリ…イオリ・ツキオカです」
「何…お前さん、イオリというのか?」
「は、はい…」
男はその名前にひっかかったのか、最初に声を掛けたとき以上に真面目な表情をイオリに向ける。少しの沈黙となったが、先にイオリが口を開いた。
「あの、まだ貴方の名前を聞いてません」
「ん?名前?」
「私が名乗ったんですから名乗るのが礼儀ですよ!」
「マァ何だ。お前が適当に考えておいてくれ」
「えっ、なんですかそれ!?」
イオリはこの男が真面目なのか不真面目なのか、いまいちよくわからない。少なくとも、先ほど兵法や武術を語っていた時とは雰囲気が違う。
「色々と呼ばれてきたが…マサナ・ゼンヤ、これが一番新しい名前だ」
「これが一番新しい?」
「マァ何だ。長いこと武芸者(こんなこと)をやっていると、色々あるんだ」
「さて、立ち話をしている場合じゃない。連中の仲間が来るかもしれん」
再び歩き出したマサナの後を慌ててついていくと、イオリは何だか見覚えのある道を歩いている気になった。どうやらこれは、気のせいではなかった。二人は伊呂波と書かれた看板の前に立っていた。するとそこに、ヲリョウがぬっと現れた。
「あら、アンタ何処にいってたかと思ってたらイオリまで…」
「えっ、ヲリョウさん。お知り合い何ですか?」
「知り合いも何も、うちの間借人第一号だよ」
「ええっ!?」
ヲリョウの話では、ある日マサナは伊呂波の店先でひっくり返っていたという。
余りいつまでもむさ苦しい中年男がひっくり返っていては、商売の邪魔になる思った彼女は、多大なご厚意と親切によって食事を振る舞い、マサナはこれに大変な恩義を感じた故に間借人となってあらゆる雑事をこなすことで奉公しているという。
「おいおい、空腹の文無しに差料と飯を交換させて長いこと扱き使うのが、お前さんのご厚意と親切ってなら、地獄の鬼のほうがよっぽど親切だぜ」
「そういう御託は、地獄の方も経験してから言うことだね。いったい何だい、いきなり二日ばかりどっか行ってしまって」
「マァ何だ。長いこと武芸者なんてものをやっていると、色々あるんだ」
イオリはとりあえず二人の出会った経緯と、この何とも言えないやり取りから「どういう間柄」なのかというのは非常によく理解できた。引き続きガヤガヤしている二人だったが、かってに仕事を放ってフラフラしていたマサナの分が悪いようで話題を変えた。
「ところでイオリ、俺に聞きたいことがあると言ってたが…?」
「そうでした。マサナさん、お願いがあります」
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