「晴天の雷鳴」其の三
翌朝、賑わいを魅せる市街の雑踏をヲリョウの後ろをイオリが歩いている。早速イオリは自らの身体を以ってヲリョウへの返済を始めることとなった。今日はいわば馴染みたちへの顔見世といったところだ。
「身体で払うって…まさかの肉体労働ですか…」
「しのごの言わない。自分で食べた分くらい、ちゃんと働きなさい」
イオリは買い出しおよびその他、肉体的な雑務をこなすこととなった。軍人ということもあるのだろうが、それにしても並の男などよりは余程膂力が強かった。
第一に、体の使い方に無駄がない。彼女には飛行服では目立つので、自分の古着を貸してやっているが、腰に差した短刀もあって外見だけならば立派な武芸者に見える。
「翼竜が化けたってことは、なさそうだけどねぇ」
さらに驚くべきはその回復力。昨日はあれほどの事がありながら、たらふく食べて眠ったら完全に元気を取り戻している。それにイオリが眠っているときのいびきは、翼竜の咆哮の如きであったが、あれなら翼竜だって驚くのではないかと思う。
「ヲリョウさん、アレがさっきお店で話してた」
「そう、流れ着いた武芸者たちが皆してあすこを目指して行くんだよ。自分が行きたい場所に行けるって…よくわらからないけど」
「自分が行きたい場所…」
「戻ってきたやつはいないから、確かめようもないんだけどね」
「この辺りの人たちは、みんな武芸者なんですか?」
イオリが周囲を眺めると耳の長い色白の種族、巨岩の如き筋肉を持つ猪のような種族、蜥蜴のような肌を持つ種族、数えれば霧はないがいずれの種族も「己の腕に覚えあり」という風で、彼らの傍らにある自慢の得物は遠巻きにも手入れが行き届いているのが判る。
「そう、どこからともなくやってきて居ついているのよ。私はそれの末裔…あの連中と私たちみたいなのが四割、あとは土着の人たちが五割ってところ」
ヲリョウの話を興味津々でイオリは聞いていたが、どうにも一つ気になることがあるようで指折り数えていた。
「あれ? 残りの一割はどんな人たちなんですか?」
「簡単よ。ああいう連中」
ヲリョウの指差した先には金銀を専門とする両替商があった。
そして店の中から、やはり武芸者風の連中が五人出てきた。どうも、その人相と装備の類から穏やかな取引ではなく、極めて一方的な分捕りにやってきた様子だった。
「ヲリョウさん、あれって…!?」
「本当に行き場のわからなくなった気の毒な連中だよ」
経緯はどうであれ武芸者が身を持ち崩すときというのは、己より強いものに敗れた時に他ならない。そして圧倒的な事実を拒む者がすることは、悪事の他はない。
「主、心遣いは有難く頂戴する」
「滅相もございません…」
頭目らしいのが店主に話す姿は、自分の強さを肯定するために、見せつけるために、何のためらうことなく弱者を狙う卑怯者のそれであった。そうして己の優位と自尊心を満たす。時にそれは、金銭と言う具体的な結果とともに実現させられるのだった。
「ほらイオリ、あんなの眺めてないでさっさと帰るよ…あれ?」
どうせいつものこと。もうじき邏卒とひと悶着あって捕縛されるのだからとヲリョウは既に撤収する気でいたが、声を掛けたイオリが見当たらない。
「まさか」と思うのが早いか、イオリは連中の前で仁王立ちしているではないか。
「ちょっと待って下さい!」
イオリの大音声には両替商の主人や周囲の人間たちも驚いてしまった。そして、この突如として現れた無謀な勇気の体現者を、賊徒の五人組は嘲笑するどころか呆れて見ていた。頭目と思しき顔中に傷のある男がぬっと前に出て逆にイオリに尋ねた。
「ほう、これはお嬢さん。どれくらい待てばいいのかね?」
「盗った物を返して、お引き取り願います!」
「用向きはそれだけかね?」
「えっ…はい!それだけです!」
「俺たちは俺たちの故あってこういうことしてるんだ。お嬢さんの方こそ、とっととお引き取り願おうか」
「頭目、何ならこいつも連れてきますか。一応は女、幾らかにはなりますよ」
配下の、猪の如き逞しい一人の野卑な冗談に便乗して他の連中も笑っていた。
イオリにとっては大変悔しいことだが彼女が見せた勇気などは、この五人にとって何の脅威でも無ければ興味もなかった。次にするべきことと言えば、退けの一言で突き飛ばすかそれこそ分捕りものの一つとして担いでいくかであった。
徐々に、五人とイオリの間合いが狭まるその時だった。
「頭目!邏卒の連中がもう来やがった!」
この声に連中はぎくりとした様子だったが、連中より驚いたのはイオリだった。よく似ているが、今の声はあの中の誰の声でもない。しかし、動揺からこの一声で五人組の注意が散漫になった。
「違う、今のは…誰!?」
イオリが考えた声の正体が、群衆の中から突如として現れた。それも群衆をかきわけるのではなく、まるで蝗が跳躍するように飛び出してきたではないか。
何事か一同は天を仰いだが、イオリの目の前に着地するや、賊徒を二人打ち伏せてしまった。男の手にはそのへんで拾ったと思われる一尺余りの薪ざっぽうが見えた。
まさしく電光石火の早業、これにたじろいだ三人のうち頭目へ男は強襲する。
すかさず頭目を守らんと、先ほどの大柄な一人が渾身の力で戦斧を男めがけて振り下ろす。しかし、男は例の薪ざっぽうで柄を絡めとると、そのまま油を搾るように相手の腕を搾りあげてしまった。一瞬の出来事に、激痛が走るのが一拍子遅れるほどだった。
しかし相手もさるもので、その隙に残った一人が男の胴へ直刀(レイピア)の一突きを繰り出したが、これは切先を打ち据えられて速度を殺されたと同時に逆に薪を口にぶち込まれることとなった。白い歯が何本か飛んでいった。
残る頭目も、この男も互いに絶対有利の間合いに立っているが仕掛けることはなかった。得物に手をかけたのはいいものの、完全に後の先を取るこの男を相手に出来ることはもうなかった。全てを見通すような男のぼんやりとした視線に、蛇に睨まれた蛙のように頭目は脂汗が止まらなくなった。
気が付けば本当に邏卒の一団が現れ、一味は捕縛されていった。散々大暴れした例の男に関しては、まるで存在していないかのような扱いであり、当の本人も何事もなかったようにすたすたとその場を撤退していった。
「ちょっと…ちょっと待って下さい!?」
イオリはつい先ほど言ったような言葉を放ちながら、荷物を慌てて背負うと雑踏をかき分けて男を追った。
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