僕を家畜扱いしてきた女の子が、僕と付き合いたいと言ってきた

生出合里主人

僕を家畜扱いしてきた女の子が、僕と付き合いたいと言ってきた

「あんたなにやってんのよ!」


 僕、犬田いぬだ良夫よしおは、姫野ひめの芽愛めいからいきなり怒鳴りつけられた。


「え?」

「あんたが買ってきたの、『ザ花とゆめ』じゃないの! あたし『花とゆめ』を買ってきてって言ったよね! あんたには『ザ』の文字が見えないわけ? あんたの目はふし穴かっつーの!」


 あぁ、怒っていてもかわいいな。

 天使がお説教しているとしか思えない。


「ごめんね姫野さん。本屋さんに取り替えてもらうね」

「これは一応、もらっといてあげるわ。ちょっと、なにボーっと突っ立ってんのよ。早く買いにいきなさいよ。まったく使えないわね。家畜のくせに」


 そのたれ目をつり上げた目つき、たまらないなぁ。

 小さな口から出る大きな声も、山を切り裂くそよ風のようにすがすがしい。


「ごめんね。すぐに買ってくるから」



 僕と芽愛は、高校で三年間同じクラスだった。

 芽愛は入学早々、スクールカーストの五番目あたりに君臨する。

 トップじゃないから、彼女の取り巻きは多くない。

 でも僕は彼女に絶大なカリスマ性を感じて、命令にはできる限り従うようにしていた。


「あんたわからないの?」

「え、なにが?」

「あたしはのどが渇いているのよ」


「じゃあ、なにを買ってくればいい?」

「チッ、そんなの感じ取りなさいよ」


「えーと、姫野さんはコーラが好きだよね」

「今までの経験から予想するんじゃなくて、感じ取れって言ってるのよ!」


「のどが渇いた時は、スポーツドリンクがいいと思うけどな」

「はあ? あたしに意見してんじゃないわよ! 家畜のぶんざいで!」


「ごめんごめん。お願いだから、なにが飲みたいのか教えてよ」

「なんでわからないよの。ネクターよネクター」


「それ、学校の近くに売ってないんだけど」

「探せばいいでしょ。見つかるまで帰ってこないでね」



 もちろん、彼女に対する恋愛感情はある。

 頭のてっぺんから靴の底まで、彼女のすべてが僕の理想だ。

 長い髪をいじる仕草も、「チッ」と舌を鳴らす癖も、彼女の言動の一つ一つが僕をとりこにする。


 でも告白なんて、とんでもない。

 僕は家畜どころか、虫けらにすぎないんだから。


 彼女は天に向かって燃え上がる炎。

 僕は彼女が発する明かりに引き寄せられるけど、近づきすぎると焼かれてしまう。


 だから僕は、彼女に触れることができない。

 近くにいられるだけで十分だ。



 魅力のかたまりのような芽愛は、当然ながらモテまくった。

 彼氏は決まってイケメンだったけど、彼女はすぐに飽きてしまう。

 彼氏をとっかえひっかえする芽愛を、僕はいつも近くで見ていた。


「なあ芽愛、なにあの男」

「あれは家畜だから、気にしないで」

「家畜って、さすがにひどくない?」

「あたしの近くにいられるだけで嬉しいんだもんね。ほらブタさん、ブーって鳴きなさいよ、ブーって」

「ブー」

「キャハッ、ブタがブーって鳴いたわぁ」


 彼氏を呼びにいったり、デートの荷物持ちをしたり。

 バレンタインのチョコ作りを手伝った時は、ほとんど僕が作った。

 僕はもらえなかったけど、残りかすは大事に保存してある。


「なんであたしが二股かけられるのよ!」

「姫野さんにはもっと、ふさわしい男がいるよ」

「あんたちょっと殴らせなさいよ!」

「いいよ。いくらでも殴って……うっ……グーなんだね」


 芽愛は彼氏と別れると、いつも僕にやつ当たりをしてくる。

 パンチが鼻に当たって血が出ることもある。

 それでも彼女が機嫌を直すと、僕は嬉しかった。



 僕と芽愛は、東京の同じ大学に進学する。

 僕はもっと偏差値の高い大学にも受かったけれど、彼女と同じ大学じゃなきゃ意味がない。


 芽愛は都心のマンションで一人暮らしを始めた。

 僕はその隣にあるボロいアパートに下宿する。

 彼女に呼ばれたら、すぐに駆けつけないといけないからだ。


 念のため彼女の家の玄関前に監視カメラを取りつけて、誰が来たのかチェックできるようにした。

 もちろん彼女と相談して決めたことだ。


 かわいらしいつぼみが大輪の花になるように、女子大生になった芽愛は恐ろしいほどきれいになった。

 芽愛は僕が買った服で着飾り、僕が買ったアクセサリーで輝き、僕が買った化粧品で艶やかになった。


 監視カメラの画面には、次から次へといろんな男が現れる。

 彼女に逐一確かめるけど、全員彼女の彼氏なんだそうだ。



「芽愛、あの男って芽愛のストーカー?」

「気にしないで。あれはあたしの家畜だから」

「家畜って。そんなこと言ってると、そのうち襲われちまうぞ」

「ありえないわ。だって家畜はしょせん家畜なんだもん。ねえブタさん」

「ブー」

「今ブーって言ったよな。最高だなあいつ」

「でしょっ」


 僕は高校の時と同じように、彼女の恋愛をサポートした。

 彼氏に怒鳴られても、殴られても、僕は役割を果たした。


「車がないと不便ね。ちょっとあんた、聞いてんの?」

「それは、そうだね」


 僕は急いで免許を取った。

 バイトに励み、貯金をおろし、田舎の親に頼み込んで、中古車を購入する。


 それからというもの、僕は彼女の「足」になった。

 芽愛を彼氏との待ち合わせ場所に運び、彼氏も乗せてデートの場所まで連れていき、何時間か待って、二人をそれぞれの自宅まで送る。


 送る順番によっては、彼氏と二人きりになることもある。

 最初は戸惑う彼氏たちも、そのうち僕を便利な乗り物として、いて当然の存在と思うようになる。


「じゃあ一時間ぐらいしたら迎えにきて」

「芽愛、今夜は三時間コースでいこうぜ」

「やだぁ、何回やるつもりなの?」


 芽愛と彼氏が、芽愛の家とか、彼氏の家とか、ホテルとか、どこかでよろしくやっている間、僕は近くでじっと待っている。

 駐車場代はかさむし、時には駐禁で捕まったりするけど、そんなことたいした問題じゃない。


 彼女が思いどおりに生きられれば、それでいい。



「お前、本当は芽愛を抱きたいんだろ?」

 歴代の彼氏たちは、一度はそんな質問を僕に投げてくる。


「僕は家畜ですから」

 そう答えると、彼氏たちは笑い、あきれ、しまいには関心を失う。


 彼女が僕を選ぶ日がくる?

 そんなことがあるのは、物語の中だけだ。

 何年も選ばれない男は、永遠に選ばれない。

 それが現実。



 熱帯雨林のように暑かった夏が、ようやく終わろうとしていた頃。

 制服を思い出させる素朴な服を着た芽愛が、妙にしおらしい表情で僕に近寄ってきた。


「あのね犬田君、お願いがあるんだけど」


 芽愛が僕を名前で呼ぶのは、高一の時以来三年ぶりだった。

 その一言で、僕は内臓を差し出すことができる。


「どうしたの? 姫野さん」

「これからは芽愛って呼んでいいわ」


 あぁ、腎臓でも肺でも脳みそでも、なんでも持っていってくれよ。


「め……芽愛……さん……。僕は、なんでもするよ」

「カードが使えなくなっちゃったの。お金貸してくれる?」

「そんなのお安いご用だよ」


 十万、二十万、三十万……芽愛の要求は日増しに増えていった。

 でも貯金はしておいたから、その程度ならなんとかできた。



「あのね良夫」

「良夫? 芽愛さん、なにかあったんですか?」

「あの……彼氏が困ってて……。悪いところにね……お金借りちゃったみたいで……」


 僕はありったけの貯金を持って、その悪い会社ってところへ向かった。

 彼氏の代わりに殴られ、蹴られ、踏みつけられ、借用書にサインした。

 寝る暇がないほどバイトをやるはめになったけど、内臓は取られなくてすんだ。



 けれど労働時間が増えることは、芽愛のそばにいられない時間が多くなることを意味する。

 そこで緊急時に僕のスマホへ連絡が入る防犯ブザーを買い、彼女に携帯してもらうことにした。


 だけど彼女の人生を完璧にするためには、もっと入念に対策を練らないといけない。


 彼女にこういう問題が起きたら、こう対処する。

 あらゆる場面を想定して、すべての状況に対応できるようにしておかないと。


 僕は考えつく限りのパターンを書き出し、パソコンでフローチャートを作成していった。


 彼女のなりたい職業が決まったら、その業界にコネを作っておく。

 彼女が仕事で成功するように、裏で手を回しておく。

 彼女が仕事をやめた時に備え、再就職先を用意しておく。


 彼女が結婚したい相手ができたら、その男を脅迫してでも結婚させる。

 結婚相手が浮気していないか、探偵に調査を依頼する。

 彼女が離婚したくなったら、あらゆる手段を尽くして別れさせる。


 彼女が子供を欲しがってもできない場合、妊活の方法を伝授する。

 彼女が育児に苦労するようなら、助ける女性を差し向ける。

 子供が健全に育つように、子供の言動を監視する。


 フローチャートは何千何万と枝分かれして、ぼう大な量になった。

 これからもふくれ上がっていくことだろう。



 木枯らしが吹き荒れる夜、僕は芽愛から呼び出される。

 掃除するとか電球を取り替えるとか、彼女の部屋には日頃から出入りしていた。

 だけど今日は、いつもとは違う雰囲気があった。


「良夫……あたし、彼氏に浮気されちゃった」

「あの男、昔からプレイボーイだったらしいからね。だいじょうぶ。芽愛さんならもっといい男が見つかるよ」


「彼ね、お前も浮気すればいいじゃないかって言うのよ」

「浮気なんて、芽愛さんがそんな下劣なことをする必要はないよ。彼の浮気を止めたいなら、僕がなんとかするから」


「彼ったらね、変なこと言うの。良夫と寝たら、俺にふさわしい女だと認めてやるって」


 そう言いながら、彼女は寂しそうにうつむいた。

 今夜の芽愛は肩を出して、背中を出して、脚を出して、いつになく大胆な格好だ。

 映像として脳裏に永久保存したいところだが、そんなことを考えている余裕はない。


 肝心なのは、彼女が幸せになれるかどうかだ。


「なら、話を合わせておけばいいんだね。彼氏に聞かれたら、確かに芽愛さんと一夜を過ごしたって答えておくよ」

「でも彼、具体的にどうだったのか教えろって」

「だったらどんなことをしてどうだったのか、同じことを言えるようにしておこう」


 芽愛は上目づかいで僕を見て、ゆっくりと首をかしげた。


「良夫は、あたしとしたくないの?」

「人間が人間以外の動物とする性行為は獣姦と呼ばれ、性的倒錯の一種と考えられている」


「あの……今まで家畜とか言って悪かったけど、べつに悪気があったわけじゃなくて、冗談っていうか、ノリというか、話の流れで言っただけだから……」

「いや、ものの例えとかじゃなく、実際僕は芽愛さんの家畜だから」


「なにもそこまで言わなくても……。あたしのこと、うらんでる?」

「まさか。僕は芽愛さんの役に立てれば、それだけでじゅうぶん幸せなんだから」



 僕の提案どおり、彼氏にウソをつくだけで問題は解決した。

 だけど雪の降る夜、ずぶ濡れの芽愛が僕の家に駆け込んでくる。


「良夫……ねえ良夫」

「どうしたの? そんなに辛そうな顔して」


 顔も雪で濡れていたけど、芽愛は明らかに泣いていた。

 芽愛が失恋して泣く姿なら、数えきれないほど見ている。

 だけどここまで落ち込んでいるのは初めてだ。


「今回はね、生まれて初めて本気になれたの。なのに……なのに裏切られた。もう男なんか信じられない!」


 そう言って、芽愛は僕の胸に飛び込んできた。

 彼女の体は冷たくて、でも柔らかかった。


「芽愛さん、だいじょうぶだよ。僕が必ず、芽愛さんが好きな人と付き合えるようにしてあげるから。だから芽愛さんは、絶対幸せになれるよ」

「だったら、良夫が幸せにしてよ」


 僕の腕の中からすがるような目つきで見上げてくるその顔は、どんな宝石よりも美しかった。


 僕はこのような場合に用意していた言葉を口にする。

「それは、できない」


「えっ、ウソでしょ」

「それだけはできない」

「なんで? 良夫はあたしのことが好きなんでしょ? 昔からずっと、あたしこと好きだったじゃない!」


 芽愛は僕の体を激しく揺さぶった。

 彼女のプライドを、多少は傷つけてしまったのかもしれない。

 でも先のことを考えれば、ここで僕がブレるわけにはいかないんだ。


「もちろん、好きという言葉に含まれるあらゆる意味で、僕は芽愛さんのことが大好きだよ。でもだからこそ、僕は芽愛さんと付き合うことはできない」

「意味わかんない。好きなら付き合えばいいじゃん」


「僕が芽愛さんを幸せにする計画の中に、僕が芽愛さんと付き合うという選択肢は用意されていないんだ」

「は? 計画? 選択肢? なんのこと?」


「僕は芽愛さんのことを、誰よりも思っているという自信がある。でも残念ながら、僕は完璧な人間じゃない。もし僕が芽愛さんにとって、よくない存在になったらどうする? 僕が芽愛さんと付き合ったら、芽愛さんを彼氏から守るヤツがいなくなるじゃないか。だから僕自身は芽愛さんと付き合わず、芽愛さんを守ることに徹しようと決めている」


 芽愛はなぜか、恐ろしいものを見るような目で僕を見ていた。

「なんか、さすがに怖いんだけど」


「怖がらせたのなら、ごめんね。でもこれは、みんな芽愛さんのためだから」

「あたしのためとか言って、全部あんたの自己満足でしょ。そういうの、もうやめてよ。あたし、もうあんたとは会わないから」


 そう言って芽愛は、夜の闇の中に消えていった。



 問題ない。

 これも想定内だ。

 彼女が僕を選ぶことも、僕を嫌うことも、僕から離れていくことも、すべてフローチャートに含まれている。


 離れているほうが動きやすい場合もある。

 今後は彼女の視界に入らないところから、彼女の人生をコントロールしていこう。


 この命ある限り、僕は彼女を守ってみせる。

 だからね芽愛、君は思いっきり人生を楽しめるんだよ。



 だけどね芽愛、君の言っていたことは正しい。


 結局僕は、君のことを愛してなんかいないのかもしれない。

 僕はただ、君を支配していたいだけなんだ。



 家畜なのはね、君のほうなんだよ。

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