後編
ウィロウの魔法のおかげで、村の雰囲気はすっかり変わった。仕事が楽になった村人たちは笑顔が増え、形式的に行われていた収穫祭などの祭事も、大人から子どもまでが集まって楽しむものになっていった。
そんな風ににぎやかに過ごしているうちに、ウィロウは十歳になった。キュスと出会ってから二年経った今も、石けんは未だに原型を保っている。かなり使っているにもかかわらず、少しも減る様子はなかった。
やがてウィロウは、村の外の人たちも、魔法で助けたいと考えるようになった。
他の村や町の人々は、今もなお厳しい生活を強いられ続けている。長く王座についている王様は、貴族だけが得をし、平民が損をする政策ばかりを打ち出すのだ。
「……キュスは応援してくれるかな」
ウィロウは原っぱに寝転がってつぶやいた。
そのそばでヤギたちは夢中で草を食んでいる。魔法のおかげで草を十分に食べられるようになったヤギたちは、質の良い乳をたくさん出すようになった。それを飲む村人たちは、ますます元気に仕事に取り組めるようになった。良い循環だ。
「……ウィロウ?」
懐かしい声に、ウィロウはガバッと起き上がって振り返った。
そこには、二年前と少しも変わらないキュスが立っていた。
「キュス! また来てくれたんだね!」
ウィロウはキュスにガバッと抱き付いた。
「ふふふ、背が伸びたわね」
「野菜がうんと育って、ヤギのお乳をたくさん飲んだからね! 十センチも伸びたよ」
ウィロウは自分の石けんをキュスに見せた。
「あの時、キュスが魔法を教えてくれたから。わたしも村のみんなも元気になったの。ありがとう……」
顔を上げたウィロウはハッと息を飲んだ。
キュスは血走った目を肉食獣の様に大きく開き、ギリッという音が聞こえるほど強く白い歯を噛みしめている。
「……どうして、まだそんなに残ってるの?」
「……えっ?」
「どうしてそんなに魔力が残ってるのよ!」
キュスが髪を振り乱し、ウィロウの手を乱暴に掴むと、石けんが草の上に落ちた。
ウィロウは「痛い!」と叫び、力いっぱいキュスを押して手から逃れた。
「ど、どうしたの、キュス……」
震える手で石けんを拾うウィロウを、キュスはギロリとにらんだ。
「私よりも魔力を持ってる奴がいるなんて許さない! 何のためにわざわざ魔法の使い方を教えたと思ってるの! 早く無くなるように、さっさと使えって言ったのに!」
キュスは獲物を前にした獣の様によだれをダラダラと垂らしながら叫んだ。
「……キュスは、わたしが嫌いだったの?」
キュスは「フン」と鼻を鳴らした。
「嫌いなんてもんじゃないわ! あんたは何も知らないだろうから教えてあげる! この世界はね、魔力が多い奴が偉いのよ! 王様より! ずっと私が一番多かったのに! こんな田舎の、ちっぽけな子どもが私より偉いですって! ふざけないで! 私はね、ふんぞり返って、苦しんでる人間を見るのが好きなのよ! だからあの日も、この汚らしい村に見に来たのよ! 平民たちがボロ布みたいに生きてる姿をね!」
悪魔のような顔をしたキュスを見たウィロウの頭の中に、鈍色の泡がブクブクと湧き出てきた。キュスの顔が見えなくなると、その輪郭をなぞるように、母親の顔が浮かび上がって来た。
よく笑うようになった、ウィロウの大好きな母親だ。魔法のおかげで楽になったと言って、最近はたくさんおしゃべりができるようになった。その時間が、ウィロウは何よりも好きだった。
でも、魔力は、人を惑わすんだ。
ウィロウは涙をこらえ、石けんをゴリゴリと腕にこすりつけながら、ブツブツと唱えた。
「……この世から魔法を消して。跡形もなく。誰一人にも、一滴も、魔力を残さないで」
それに気がついたキュスは、耳をつんざくような叫び声を上げながら、ウィロウの手をもう一度つかもうとした。
しかし、一歩遅かった。
大きな塊となって崩れていく石けんとともに、原っぱを埋め尽くす程の大量の泡が発生し、ウィロウもキュスも思わず目を閉じた。それでもウィロウは、石けんを擦る手だけは止めなかった。
次に目を開けた時、ウィロウの手の中から石けんは無くなっていた。
草の上で倒れているキュスは、気を失っていた。
ウィロウは息を止めて立ち上がり、ヤギを連れて家に帰った。
その後、キュスがウィロウの前に現れることは二度と無かった。
ウィロウが魔法を使えなくなったことを残念がる者は少なかった。ちょうど同じ日に、今の王様が退任し、新しい王様がすぐに平民を思いやる政策を施行したからだ。
さらに驚いたことに、魔法のせっけんが世界中から無くなった。しかしこれに関しても、誰も残念がる者は現れなかった。魔法のせっけんを持つ者の中には、邪悪な者も多く、人々を苦しめていたのだ。
「王様のおかげで、ウィロウががんばらなくて良い世界になったわね。今日からは元気よく笑って、たくさん遊んでちょうだい。それがウィロウの新しい仕事よ」
「うんっ。ありがとう、お母さん!」
ウィロウは軽くなった革袋をポイッと放り、母親に抱きついた。
こうして、世界から魔法は消えたのだった。
まるで泡のように。
泡となって消えた 唄川音 @ot0915
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