危機一髪

沢田和早

危機一髪

 オレの人生が危機一髪状態になったのは大学入試に失敗したからだ。

 合格判定はA。進路指導の教師も担任も同級生も両親もみんなオレの合格を信じて疑わなかった。もちろんオレだって合格すると思っていたさ。

 だが結果は不合格。信じられなかった。そして凄まじいストレスがオレを襲った。ストレスってのは怖ろしいもんだ。オレの頭髪はとんでもない勢いで抜け始め、今では頭頂部の一本を残すだけになってしまった。


「あっ、師匠、おはようございます」

「おはよう。今日も予備校、頑張りたまえ」

「はい」


 オレは帽子を取って挨拶する。師匠はオレの隣人で幼い頃から世話になっている。挨拶する時は必ず帽子を取ることにしている。


「おっと、危ない」


 強風がオレの頭を吹き抜けていった。素早く帽子を被らなければ最後の一髪が抜けてしまったことだろう。まさに危機一髪だな。

 予備校へ向かう道は危険がいっぱいだ。この最後の一髪はオレのアイデンティティそのもの。何があろうと絶対に守り抜かなければならない。


「あっ、先輩。おはようございます」

「おう、予備校ガンバレ」

「はい」


 オレは帽子を取って挨拶する。先輩は小学校から高校まで同じだった。必ず帽子を取って挨拶することにしている。


「おっと、危ない」


 トンビが急降下してきた。オレの一髪をエサだと思ったようだ。素早く帽子を被らなければオレの大切な一髪は奪い取られていただろう。まさに危機一髪だな。

 この最後の一髪がなくなればオレはツルッパゲだ。なんとしても守らなければならない。


「あっ、美髪びはつさん、おはようございます」

「おはよう。予備校がんばってね」

「はい」


 オレは帽子を取って挨拶する。美髪さんは同級生の姉でオレの憧れの人だ。必ず帽子を取って挨拶することにしている。


「おっと、危ない」


 戦闘機が超低空飛行でオレの頭をかすめて行った。操縦を誤ったようだ。素早く帽子を被らなければオレの大切な一髪は抜き取られていただろう。まさに危機一髪だな。

 オレの最後の一髪よ。安心してくれ。必ず守り抜いてみせる。ツルッパゲになどなるものか。


「助けてくれー!」


 誰かが叫んでいる。橋のほうだ。行ってみると男が橋げたにぶら下がっていた。自殺でもしようとしたのだろうか。川までの高さは五十メートル。しかも水は流れていない。落ちたら確実に死ぬだろう。


「そこの人、助けてください」


 周囲を見る。どういうわけかオレしかいない。このまま見過ごすわけにもいかないし、仕方なく四つん這いになって手を差し出した。その瞬間、帽子が落ちた。オレの一髪が橋の下に垂れる。


「おお、ロープですか。有難い」


 男がオレの一髪をつかんだ。バカ、ロープじゃない。それはオレの一髪だ。


「放せ。放さないと髪が抜ける」

「太さ五ミリ、長さ二メートルの頭髪なんてあるわけないでしょう。早く引っ張り上げてください」

「やめろー!」


 男は両手でオレの一髪にしがみついている。まずいぞ、このままでは抜ける。オレの最後の一髪が抜ける。ツルッパゲになっちまう。くそっ、こうなったら。


「うりゃああ!」


 オレは橋から飛び降りた。オレの一髪にかかっていた男の荷重はゼロになった。これで抜けることはないだろう。まさに危機一髪だったな。


「うわああ、落ちるー!」


 そうだな。オレも男も落ちる。そして河原に叩き付けられて死ぬ。だがそれでもいい。オレはツルッパゲの生より一髪の死を選んだのだ。悔いはない。






 

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