阪神大震災(前編)への応援コメント
携帯電話はすでにあり、移動しながら使えたようです。
平成5年に商用インターネットサービスが始まり、阪神淡路大震災では地元の大学や企業をはじめ、多数の大学や研究機関や企業がインターネットを通じて、被災地の画像や安否情報、地震に関する学術情報等を発信。神戸市はインターネットを利用して、焼失地域の地図や避難所一覧、静止画像による被災地の状況等の情報を発信していました。
パソコン通信のニフティサーブは震災発生当日、「地震情報」を開設。復旧活動の本格化に伴い、26日にはボランティア情報や救援物資の流通円滑化を目的とする「震災ボランティアフォーラム」が開設。多数のボランティア団体を結ぶ役割を果たしたそうです。
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鳥取県中部地震への応援コメント
P-S時間の話が出たので、阪神大震災の話になりますが…。
就寝中に、「ゴゴゴ…」という地鳴りのような音で目が覚めました。何だろう、と思っていると突然激しい縦揺れが。
「うぉっ!地震だ!」と思いました。これまでに感じたことのなかったような大きな地震でした。しかも縦揺れ。
「理系な人」の私は、「こんなデカいP派、初めてやわ。まだP波続いているし、震源どこやろう?」と寝ぼけ頭で考えていました。そしてS波が。私が寝ていた布団の横には大きな本棚を置いてあったので、倒れなかったのは奇跡でした。そして停電。
午前様だった私は再び眠りにつき、目が覚めた7:30頃に停電が復旧。テレビで被災した神戸の街が映し出され、びっくり仰天したことを覚えています。
おっしゃる通り、P波を検知して緊急地震速報が出るので、震央周辺は当然緊急地震速報の前にひどく揺れますよね。
作者からの返信
なかなかできる体験ではありませんでした。
ある程度の規模でないと速報アラームは鳴りませんし。
揺れながらアラーム鳴るのは、ある意味でシュールでした。
もう知ってるぞ、と。
東日本大震災への応援コメント
その時は、八尾市内の病院で、電子カルテを入力中でした。揺れていることを感じて、隣に座っていた後輩に、「今、揺れてない?」と尋ねたら、「いや、揺れてないですよ。先生、お疲れですね」と言われたことを覚えています。そのちょっと後からいろんな人が「揺れているよねぇ」と言い始め、医局のテレビを見て地震を知りました。NHKを見ながら、「どんなデカい地震やねん」と思っていたら、津波が襲ってきて、まるで悪い夢や、ひどい映画を見ているような気持だったことを覚えています。
作者からの返信
ほんと酷い地震でしたよね。
大阪なら、震度2か3くらいかな。
東北から遥か彼方まで揺れる。とんでもないエネルギーです。
もう2度と遭遇したくはないですね。
南海トラフもどうなることやら。
総論への応援コメント
危機一髪のない社会。まさに理想ですね。
安全のための技術向上と、日々の精進、本当に心得るべきことです。
鳥取県中部地震への応援コメント
被害が少なかったのは何より。
速報アラームが後から来るというのも、本当に珍しいですね。
東日本大震災への応援コメント
歴史に残るレベルの大津波でしたからね。
あんなのは二度と御免ですね。
阪神大震災(後編)への応援コメント
未だに自衛隊にアレルギー反応を示している人、いますもんね。
あの頑張る姿を見てわめき立てるなんて、理解できない。
阪神大震災(前編)への応援コメント
都市直下だったから、被害が大きかったですからね。
東日本大震災への応援コメント
あの頃は母が癌で入院中。毎日見舞いに行っていた時、地震発生。ベットに覆い被さって必死に母を抑えてました。もう寝たきりで、テレビを見るくらいしか楽しみがないのに、全てのテレビが津波の瓦礫だけを流し、ぽぽぽ〜んのCMの流れる中、相撲まで不祥事で放送されず、何一つ楽しいものを見せてやれずに、一ヶ月後に死にました。
葬儀の日は大雪が降り、農作業が休みになり、おかげで近所の農家さんが、全員葬儀に出てくれたのが思い出です。
作者からの返信
あの当時の記憶は鮮明に残ってます。
どこもかしこも大変でした。
幸い、知人縁者に深刻な被害はなかったですが、今でも揺れは記憶してます。