最終話 「ごめんね。素直じゃなくって」
深い森の中を彷徨いながらやっと出会えた理想の君は、決して恋の矢を引いてはならない人で。それどころか、狙いを定めたと気づかれた時点で、恐ろしい獣に変身してしまう事が分かってしまった。
「だから、芦屋が恋をした事を隠せば理想の君はずっと芦屋の事を思い続けてくれる訳。その為には、①決して視線を合せてはいけない。②決して話しかけてはいけない。③決して恋心を漏らしてはいけない。分かった?」
「いや、城崎。それはもはや恋では無いぞ。恋とは、一目でもいいから姿が見たくて学校中を駆け回り、一言でもいいから声が聞きたくて近づき、一度でいいから思いが通じ合いたくて告白するものだ。芦屋のリアルな初恋をそんな歪んだ戦略で汚すことは断固として拒否する」
「じゃあ、藤本は芦屋の恋がこんなに早く木端微塵に砕け散ってしまってもいいの?」
「それは、いささか不憫だが、恋の痛みを知るのも現実を生きる我々には必要なことだ」
「まぁそうだけど。私は自らの手で止めを刺さなくてもいいと思うのよね~。幸い、理想の君は芦屋の気持ちには1mmも気が付いてないんだし」
「しかし、恋とは…」
「駆け引きも恋の醍醐味のひとつよ!そう、駆け引き。これは恋愛上級者の技術だけど、勉強だけはできる妄想男子の芦屋なら、きっと出来るわよ」
「何?妄想癖が幸いして芦屋が恋愛上級者の技術を実践できるとな!それは本当か、芦屋!」
放課後、緊急会議として俺の席にやって来た藤本と城崎は、俺を差し置いてずっと二人で話し合っている。それなのに、いきなり俺に振られても、答なんて直ぐに出るわけねーだろ。
「まず、勝手に初恋だと決めつけるな。俺の初恋は幼稚園で済ましている」
「それは初恋の仮面を被った憧れだ」
「そして、理想の君が俺に対してもカエル様になるかは分からないだろ。もしかして、俺にはずっと好意を持つもしれないし」
「希望的観測は倍速で破滅に向かうぞ」
「まぁ、俺の恋愛スキルを持ってすれば、恋愛上級者の恋の駆け引きも、出来ないことも無いけど」
「おい、城崎。芦屋の脳まで恋の病に侵されている。これでは正常な判断が出来ないぞ」
「だから、正常な判断が出来なくなるのが、恋なのよ。そこで友達の出番なの。芦屋の恋を全力でサポートするわよ」
「よーし芦屋。当たって砕け散るか、駆け引きをして恋の醍醐味を味わうのか、どっちにする?」
真剣なのか、面白がってるのか、いや、その両方だな。二人は俺の恋を楽しんでいるのだ。
くそっ!こうなったら、恋の奇跡を起こすしかない!
「両方だよ、両方。恋の駆け引きをしつつ、当たって砕けねーよ!」
「よーしその意気だ!起こすぞ、ミラクルロマンス!」
「ミラクル~」
城崎が変な掛け声をかけながら右手を出したので、藤本もその上に右手を重ねた。俺も反射的に藤本の手の上に右手を行くと3人は自然と声を揃えて、重ねた手を上に上げた。
「ロマ~ンス!」
「と言う事で、まずは理想の君が本当にカエル様なのかを確かめましょう。今日は図書委員の仕事で、放課後は図書室にいるはずだから、移動!」
なぜか城崎が作戦の指揮を執り、俺たちは気合を入れて図書室へと乗り込んだ。
カウンターには、別の生徒が座っており城崎が訪ねると、理想の君は返却された本を本棚に戻す作業をしているらしい。俺たちはそう広くはない図書室を捜索して、理想の君を見つけ出した。
窓から差し込む午後の柔らかな光に照らされた理想の君は、月明かりに照らされているようにも見え、俺の心はまた現実から離れようとしたが、藤本に耳を引っ張られて思いとどまった。
「夏目漱石の三四郎はどこにあるか聞いてみろ」
「何で夏目漱石なんだよ」
「彼は、愛の言葉を月に例えて伝えた。芦屋にピッタリだろ」
ちょっと何言ってるのか分からないけど、自力では何の策も浮かばないので、仕方なく藤本の作戦に乗る事にした。
理想の君を取り巻く光に目を細め必死に平静を装い、いつもより少しだけ上ずった声で尋ねた。
「あの、夏目漱石の三四郎って、どこにありますか?」
「あぁはい。夏目漱石は…。あれ?芦屋君?私、覚えて無いかな?お正月に商店街のコスプレ撮影会で会ったんだけど」
少し上目遣いで俺を見上げながら、少し頬をピンクに染めて、少し恥ずかしそうに話す姿は、やっぱり、俺の探し求めていた理想の君でしか無く、危うく見とれ過ぎて言葉を返すことを忘れかけたが、強靭な精神力で持ちこたえて、また少し上ずった声で応えた。
「あぁ、あの時の。恰好が違うから分からなかった」
「そっか、そうだよね。私、あの時、張り切って変な格好してたから」
「イヤ、変じゃない。決して変では無かった。むしろ良く似合ってたよ」
「…え?そうなの?」
「いや、もちろん。今日の制服姿も素敵だけど」
「はぁ、ありがとう」
どうした?俺。どうした?理想の君。俺が好意的な言葉を掛ければかけるほど、理想の君の表情は曇って行くじゃねーか!
「えっと、その…」
「いたいた、芦屋。夏目漱石は、こっちだ。心にも無いお世治を誰彼構わず言うのはよせ。そんな事しても、ディベート力は上がらんぞ。それよりも書物から知識を得ろ」
俺と理想の君の二人だけの世界を無理やり壊すように、藤本が俺の腕を無理やり掴んで奥の本棚の隅へと引っ張て行った。
「おい!あれは何だ。俺は誰彼構わずお世治など言ってねーぞ。変な誤解されたらどうするんだよ!」
「これだから馬鹿は困る」
「はぁ?馬鹿だと?数学の宿題見せてもらっておいてその言い草は何だ。もう一遍言ってみろ!」
「馬鹿に馬鹿と言って何故悪い。勉強が出来ても馬鹿は馬鹿なんだよ。でも、数学の宿題は助かった」
「私も英語、助かった~。ありがとう芦屋。ここは図書館だから、静かにしようね。そして、もう出よう。さすがに迷惑だわ」
城崎は俺と藤本の手を掴むと、さっさと図書室から連れ出した。
「やっぱり、理想の君はカエル様だっだではないか!私が助けに行かなければ、今頃芦屋は自ら淡い初恋を本棚に投げつけて、木っ端みじんに粉砕するところだったんだぞ」
「そうそう。後一言でも好意的な言葉や仕草を向けて入れば、理想の君は芦屋を嫌いになっていたと思うわ」
廊下という安全圏に逃げ込んで直ぐ、畳みかけるように二人に叱責されて、理想の君の顔が曇って行った事に動揺していた俺は、かすり傷にかけられた消毒液のように二人の言葉が沁みて、自分でも驚くくらい素直に頭を垂れた。
「正直、助かった。恩に切る。じゃあ、俺。これからどうすればいいんだよ。あんに清楚で明るくて、可愛くて、純粋な子。目で追うなって言われても、勝手に目が行くし。こっちから話しかけなくても、話しかけられたら嬉しくて思いの丈を言葉にしてしまうし。そうなったら、恋心なんて隠せる自信なんてねーよ」
「芦屋。まだ自暴自棄になるのは早い。私たちが付いているだろ」
「そうそう。とりあえず、天邪鬼大作戦で頑張ろう」
うなだれる俺を二人が憐れみを込めた言葉で慰める。それが余計に傷口に沁みる。
「あの、芦屋君」
背後から、理想の君の声が聞こえて驚いたが、これは藤本が言っていた恋の幻聴かと思い、身を固くしてやり過ごそうとした。
「芦屋君?」
しかし、幻聴は再度俺の名前を呼んだ。俺は目の前にいる城崎と藤本の顔を見て、それが幻聴では無い事を知った。
どう対応するべきか学年トップクラスの頭脳をフル稼働させたが、瞬時に答は出てこず、その間に城崎がスマホで打った文字を見せた。
『渾身の塩対応』
何だよ、渾身の塩対応って!
「何?取り込み中なんだけど」
しかし得意の妄想力を総動員して、渾身の塩対応で理想の君に振り向いた。
「ごめん。これ。夏目漱石の三四郎。借りずに出て行ったから」
「あぁそれ。別にもういいんだけど、わざわざ持ってきてくれたんなら、借りとくよ」
「ごめん。余計なお世話だったね」
「ほんと。まぁ、いいけど」
「あの、ずっと気になってたんだけど、芦屋君って、セーラームーンが好きなの?」
「はぁ?何それ。セーラームーンって何?」
「えっ、あの。私がコスプレしてたキャラクター。決め台詞も知ってたでしょ?」
「あーあ、あれか。あれは、セーラームーンが理想の妄想男子と失恋したての現実主義の女子っていうテーマで、ディベートの練習をしてたんだよ」
「えっ、そうなの?スゴイ。私、すっかり勘違いしてた。ごめんね」
「いや、いいよ。じゃ、俺ら、これからまだディベートの練習があるから、行くわ」
「うん。頑張って、バイバイ」
可憐な笑顔で俺に手を振る理想の君に、そっけなく片手だけを上げて背を向けて廊下を折れると、全速力で階段を駆け下りて自分の教室に戻った。
体育が苦手な俺が、藤本や城崎より早く教室に戻ると、直ぐに二人も追いついて、肩で息をする俺の肩にそれぞれの手を置いて、無言の優しさを伝えた。
「俺が適当に言った本をわざわざ借りて持ってきてくれて。本当の事を言い当てられてたのを誤魔化して冷たくあしらったのに、あっさり信じて。やりもしないディベートの練習を応援してくれる子に、俺はこれからも、気持ちとは裏腹な態度を取らなきゃなんねーのかよ。そんなの、苦し過ぎる」
「芦屋の苦しみは、痛いほど伝わった。よく頑張った」
「芦屋の頑張りは、理想の君に伝わってたよ。恋する乙女の顔だった」
「くそっ!恋って、なんでこんなに苦しいんだよ。振られてねーのに、泣けてくる」
「よし!ならば行こう」
藤本が重い空気を振り払うように声を上げると、俺と城崎の手を取って学校を連れ出し、藤本の失恋の涙が枯れるまで歌を歌ったカラオケボックスに連れて来た。
「苦しい恋の涙を枯れるまで流せば、きっと希望が見えるはずだ。まずは、芦屋の恋のテーマソングをみんなで歌おう」
根拠の無い講釈を垂れながら、藤本がいれた曲は「ムーンライト伝説」。俺はイントロが流れた瞬間に、初めて理想の君に出会った時の事を思い出して、胸が締め付けられて涙が溢れた。それでも、歌い出しは完璧に決めながら、理想の君にぶつけられない思いの丈を込めて歌った。
隣で城崎も泣きながらマイクを握りしめていて、藤本は俺の鞄から取り出した柔らか素材のポケットティッシュで、俺の鼻水を拭いてくれた。
後、どれくらいこんな涙を流せば、俺の恋は実るのだろう。
でも、友達の二人がいればどんな危機も乗り越えられそうな気がする。
了
「危機一髪」 佐倉井 月子 @sakuramo
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