焦眉のStart over

壱ノ瀬和実

焦眉

 真冬の風が肌を引っ掻いていく。

 春はまだ遠く、心は温かさを求めていた。

 意味もなく外出しておきながらすぐさま暖房の効いた店を探している辺りに、無計画な自分の生き様を見ているようで笑えない。

 天宮禅南あまみやぜんな。二十歳。無職。

 県道沿いの枯れた木々でさえ根を張っている。平日にもかかわらずフラフラ歩いているわたしとは大違いだ。

 ショッピングセンターの近くまで来たとき、首から提げているスマホから通知音が鳴った。画面を見る。フリーメールを受信したらしい。差出人は、知らない人だった。

 最近はこういうことがたまにある。誰かがわたしについておかしな噂を流しているのだろうか。フリーアドレスとは言え、この手のメールが入ってくるのは空恐ろしい。

 メールには前置きなどはなく、こう書かれていた。

『天宮禅南さま。最近テレビでも流れた、市内のアパートで人が亡くなっていた、ってニュース知ってますか』

 その下には一つのリンクアドレスが貼られていた。アクセスして変なウイルスを食らうのも不安だけど、見慣れたニュースサイトだから大丈夫だろうと、アドレスをタップした。

 開かれたのは、十二月の地元新聞、数日前の記事だった。


『十日午後八時頃、岐阜県○○市△△町二丁目のアパートの一室で五十代の男性が死亡している状態で見つかった。

 男性と同じ職場に勤める同僚が連絡の付かないことを不審に思い男性の家を訪ねたところ、部屋から異臭がすることに気付き、110番通報。その場で死亡が確認された。○○署によると、男性に外傷はなく、そばには火のついた練炭が置かれていた。一酸化炭素中毒とみられる。現場に遺書などはなく、警察は自殺と事故の両面で捜査している』


 記事に掲載された写真には現場となったアパートの外観が写っていた。比較的新しい建物に見える。

 メールに戻って画面をスクロールすると、文章はこう続いていた。


『亡くなったのは私の叔父で、柴田周平、五十二才。独身で一人暮らし。近しい家族はいません。警察は「おそらく事故だろう」といって捜査は打ち切り。私たちもそれをどう受け止めていいのか分からずメールしました。この件についてもし分かることがありましたら、協力をお願いしたいです』


 ……丁度良い。意味もなく外出したのだ。時間を潰すにはもってこいだろう。

 私はショッピングセンターの中にあるこぢんまりとしたフードコートに入って、自動販売機で温かい缶コーヒーを買って席に着いた。平日の昼間と言うこともあって人は殆どおらず、腰の曲がった老婆二人がふにゃふにゃとした喋り方で盛り上がっている以外は、静寂に近いと言っていい。

 再びスマホのメール画面を開き、続きを読んだ。


『柴田は元料理人でしたが、コロナ禍で職を失い、その後は警備会社で勤めていたそうです。早朝にコンビニで働いているところを見たことがあると家族が言っていたので、職を転々としていたのだと思います。他に情報はありません。

 近くに住んでいる親類が私たちだけだったので、清掃会社が入る前に遺品整理をすることになったので部屋に入り、その際写真を撮りましたので、添付します』


 メールはそこで終わっていた。もっと懇願してくるかと思ったが、知りたい気持ちが先行しているだけで、当人にしてみてもそこまで重要なものではないのかもしれない。

 まあいい。暇つぶしなのだ。堅苦しい文章があったからって、引き受けるか否かには大して影響しない。

 さて、写真をじっくりと見ていくことにしよう。

 一枚目は部屋の写真だった。現場写真ということになるだろうか。故人は五十代の一人暮らしということだが、想像していた小汚い家とは対照的な部屋だった。そういえば現場アパートの外観も真新しい建物だったから、築浅で、かつ故人は引っ越して間もないのかもしれない。

 玄関側から撮ったようで、恐らくはワンルーム。かなり狭い。綺麗な部屋ではあったが、もちろん男の一人暮らしだ、服や飲みかけのペットボトルなどが放置され、多少散らかってはいる。敷きっぱなしの布団と、膝下くらいの高さしかない折りたたみ式のテーブル、窓側にエアコンとテレビがあるだけで、他に家具はない。壁には何か文字の書かれたメモ用紙が貼られていて、拡大して見ると、そこには「Retry」と書かれているように見えた。他にも貼られているように見えるが、文字までは見えない。

 清掃会社が入る前ということだが、警察は現場の現状をどれだけ変えているのだろう。もし何も変えていないというなら、部屋に練炭が置かれていた形跡はなく、もちろん遺体があったというようにも見受けられない。

「どこで死んでいたかくらいは書いておいて欲しいな」

 つい声になって出ていた。周りに人がいたら不審がられるような独り言だ。慎まねば。

 缶コーヒーを開けた。熱すぎるのも嫌なので、少し冷ましておく。今は香りを嗅ぐだけにして、また画像に目を落とした。

 警察が大きな現状変更をしていない、という前提で物事を考えよう。

 もしこれが自殺だとしたら、あまりにもお粗末で不完全な計画だと言わざるを得ない。理由は簡単。窓だ。

 ニュースで見る練炭自殺は、より室内の一酸化炭素濃度を上げるために窓に目張りをするイメージがあるが、写真の中の窓にはそれらが一切施されていない。確度を上げるなら見よう見まねでガムテープでも貼るだろう。

 カーテンは閉まっているが、これは現場を周辺の目から隠そうとした可能性が高いか。

 スマホをスクロールするともう一枚写真があった。今度はキッチンだ。相当に狭い部屋らしく、一枚目に写っていたテーブルが二枚目にも少し映り込んでいる。部屋の真ん中あたりから玄関の方を向いて撮ったのだろう。

 向かって右側の奥に玄関ドア、右側の壁に沿うように台所があり、すぐ横にやや背の低い冷蔵庫、その上に電子レンジが乗っている。廊下の左側はおそらく風呂とトイレだろう。ドアノブが僅かに見える。かなり整理されていて、キッチンは部屋と比べても相当に綺麗だ。

 そして、キッチンの前の床に、七輪と思しきものが置かれていた。

「ここで練炭に火を……?」

 警察はこういったものを押収しないのだろうか。それとも返却されたものを、わざわざ依頼人が置いたのだろうか。まあいい。それはそれで手掛かりになる。

 依頼人は、事故と片付けた警察の判断を疑っている。だからわたしにこんなメールを送ってきた。自殺と考えているのだろう。だからなんだ、と部外者のわたしは思ってしまうが、相手の思惑まで考えるのはやめておこう。どうせ穿つことなんてできない。

 写真を拡大して見てみると、電子レンジの上には安っぽい棚があり、調味料と思しきものが並んでいる。

 キッチンはガス台のようで、コンロの上に銀色に光る寸胴が置かれていた。

「ガスの方は使ってなかったのかな……」

 最近のガスが一酸化炭素を発生させるのかは知らないが、元栓を抜いて一家心中、なんてシーンを昔ドラマで見たような気がする。これは遺体発見直後の写真ではないのだから、くみ取ろうとするのは無理があるか。

 床にある七輪のところを拡大してみると、形がわたしの知っているものとは違っていた。上に向かって開いているような形で、窪んだところに炭を入れるイメージなのだが、写真に写っているものは真っ直ぐ筒型のものだ。

「へえ、こんな形のもあるんだ」

 七輪は別に自殺用じゃない。そもそも調理に使うものだし、用途にあった形がそれぞれあるのだろう。

「……ん?」

 よく見てみると、七輪にマジックか何かで字が書かれている。アルファベットだ。横書きかつ筒型のものに書かれているから全てを読むことはできないが、限界まで拡大して、滲んだ文字を必死に読み取る。

「an start ov……かな」

 前にも後ろにも文字は書かれているようだが、さすがに読めなかった。

 故人が書いたものだろう。部屋に貼られたメモ用紙といい、何かを書かずにいられない正確なのだろうか。

 さて、集められる情報はこれくらいか。

 たとえ暇つぶしでも時間を使いすぎるのは自分の主義に反する。時間を使うに値するものなら吝かじゃないが、これはそう難しく考えるべきものでもないように思う。

 そもそも警察は事故と判断したのだ。それを無視してはいけない。警察が間違っている、という前提で考える方が不遜だ。何故警察がそう判断したか、を元に考えを巡らせるべきだろう。理由は必ずあるはずだ。

 わたしは缶コーヒーを口に運んだ。ほどよく冷めた液体が、口の中に苦みを広げていく。

「今日はジュースの気分だったかも」と選択を後悔しつつ、頭の中を整理する。

 椅子の背もたれに身体を預け、目を閉じて細く息を吐いた。


 通報者。

 アパート。

 部屋の状況。

 勤め先。

 七輪。

 練炭。

 一酸化炭素中毒。

 狭い部屋。

 冬。

 あちこちに張り出された文字。

 警察の判断。

 元料理人。


 これは文章問題だ。わたしは依頼者を知らない。故人のことも、何も分からない。今ここに書かれている情報だけで出しうる限りの答えを出す。

 それ以上のことは、わたしにはできない。すべきでもない。

 コーヒーを一気に飲み干した。量の少なさに不満を抱きながら、缶を捨てに席を立つ。

 ふと目を遣ると、老婆二人がパフェを食べていた。わたしもああなりたいなと、少し思った。

 席に戻り、スマホを操作する。

 この件に関してわたしが負う責任は皆無だ。故に、希望的観測を書いたって、別に構わないだろうと自分に言い聞かせる。

 わたしは文章をこう始めた。


『事故死だと思います』


 そこだけは最初から揺るがない。

 まず一つ。遺体の発見時刻。

 午後八時頃に職場の同僚が様子を見に来て、それが発見に繋がったと記事にはあった。故人と連絡が付かなかったから様子を見に、ということらしいが、何故それが夜だったのかが引っ掛かっていた。

 始業時間に職場に来ていなかったから様子を見に、だとしたら普通、日中に訪ねるんじゃないだろうか。だが同僚は夜に来た。心配になるほど連絡がつかなかったのなら急いで訪ねてくるだろう。では何故夜だったのか。

 故人はおそらく、夜間に働いていたのだ。警備会社で働いていたという点もその想像を補完する。

 彼はコンビニでも働いていたという。職を転々としているという可能性もあるが、コロナ禍で職を失ったということは失業してそう時間は経っていない。職を変えたと考えるより、夜は警備、早朝にコンビニでアルバイトを掛け持ちしていたと考える方が自然のような気もする。

 年齢は五十代。身体に鞭を打つにも厳しい年齢だ。疲労も相当にあっただろう。

 死因は一酸化炭素中毒。練炭から発せられる有毒な気体が男性を死に追いやった。

 練炭の用途は、もちろん人を死に至らしめることではない。ましてや、それが元料理人の元にあったなら意味合いは変わってくる。

 彼は帰宅後に、練炭を用いて料理をしていたのだ。

 練炭は長時間燃え続けるかわりに着火に時間が掛かると聞いたことがある。つまり彼は、そんな不便極まりないものを使って、寝る間を惜しんで料理をしていた。腹を満たすためだけにかける労力じゃない。

 元料理人がこだわりを持って料理を作っていた。アルバイトを掛け持ちして、狭いアパートに一人で住み、部屋は散らかってもキッチンだけは綺麗に整理していて、そんな人間が、遺書も書かず、部屋に目張りもしないような無計画極まりない自殺をするなんてありえない、とわたしは信じたい。衝動に駆られてということもあるかもしれないが、確度をあげる行動すら取っていない点は十分に考慮されるべきだ。

 何より、彼が自殺ではないと思った最たる理由。それは、壁に貼られた『Retry』の文字。そして、七輪と思しきものに書かれた文字。

『an start ov』

 故人は前向きな言葉を壁に貼っていた。読み取れないものも含めて、おそらくは何枚も。そこには彼が人生に絶望していなかったことを、仮に絶望していたとしても決して諦めることはなかったことを示しているに違いないのだ。

 だとしたら、七輪にはきっと、こう書いてあった。

『Can start over』

 ――やり直すことができる。

 彼は、再起しようとしていたのだ。

 現状に甘んじることなく、給料のいい夜間の仕事をして、生活は質素に、金を貯め、日中に料理の腕を磨くことで、再び料理人として立ち上がろうとしていた。自ら店を持とうと奮闘していたのかもしれない。

 だが、季節は冬だ。寒さで換気を怠ったのか、心労がたたって失念したのか、結果として狭い室内に充満する一酸化炭素が彼の全身を蝕み、命を奪った。

 一酸化炭素中毒の初期症状は非常に軽微で、故人がそのとき不意に眠ってしまっていたとしたら、身の危険に気付くことなかったかもしれない。

 つまるところ、これは事故だった。

 これらを端的に文章にして相手に返信した。

 数分待ったが、レスポンスはなかった。

「ま、返してこられても困るし」

 なんだかお腹が空いてきた。席を立って、フードコートのラーメン屋で、ラーメンとパフェのセットを頼んだ。

 時々、人生について考えることがある。

 人は過去に戻ることはできない。今が一番若いのだ。一日躊躇えば、一日老いる。やり直すなら今だ。今何かを始めなければならない。

 理屈では分かっている。

 わたしは根無し草だ。辺りを意味もなくふらついて、今日という日を無駄に過ごす。その間にも老いていくのだと自覚しながら何もせず、怠惰に一つの謎を解いて時間を潰すのだ。

 五十を過ぎて尚、再起する男の一生を見た。それらは想像に過ぎないが、それでも、諦めの悪い人間の言葉は確かにこの目に焼き付いている。

 目の前の絶望、そして必死の抵抗と足掻き、年齢による焦りもあっただろう。それらが彼を死に至らしめたのだとしたら、彼が歩んできた日々は、果たして正しかったと言えるのか。

 数分待って、ラーメンを受け取った。温かい湯気と、その脇には冷たいパフェ。交互に食べるのも良いし、最後までパフェを残しておいて、溶けたクリームとコーヒーゼリーを混ぜながらかきこむのも良いだろう。

 すぐ近くの席で、二人の老婆が談笑していた。孫が東京に行くだの、近所の婆さんが退院しただの、空になったパフェの容器を返却口に戻すこともせず、互いに無駄としか思えない会話を、相変わらずふにゃふにゃとした声で話している。

 わたしはラーメンを啜った。食べ慣れたローカルな味。フォークのような先端の付いたスプーンでスープを飲む。少しだけ麺が絡まってくるのが、ちょっとだけうざい。

 この怠惰に、わたしは焦ってなどいなかった。

 時々人生について考える。時々だ。毎日じゃない。

 焦って何かを失うならば、わたしはこの日々を歩く。

 人生はいつだってやり直すことができる。

 それはきっと、いつかの未来でも変わらない。

「……そういえば」

 ふと思い出し、わたしはスマホを手にして、もう一度送られてきた写真を見た。

 人が一人亡くなって、警察が捜査に入り、おそらくは救急隊も駆けつけたであろう部屋にしては、あまりにも綺麗すぎる室内。何故か置かれている七輪と思しき道具。

「まるで、この写真……」

 ――いや、やめておこう。これ以上は考えるべきではない。

 わたしに問いかけられた謎は既に解かれたのだ。

 ラーメンを食べきる前にパフェを口に運んだ。ソフトクリームの甘さに、最初に買った缶コーヒーの名残はすっかり消え失せた。

 せっかく口に残るなら、やっぱり甘い方がいい。

 苦々しい結論なんてまっぴらごめんだ。

 暖房の効いたフードコートで、冬の寒さを忘れるように、わたしは一人、腹を満たした。

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