新機一展

赤山千尋

第1話

 今年最後の大仕事。それがこの上なく順調に進んでいた時だった。

「もうこの商売やめない?」

 Bは荷物の縄を緩めながらそう言った。きつく縛りすぎたのか痕がくっきりと残っていた。


「いきなりなんだ?」

 勢いが殺されそうで少し苛立つ。なんで今なんだ。

「別にいきなりって訳じゃない。前からずっと考えてた」

「聞いたことねえぞ」

「言ってないし」

「じゃあいきなりじゃねえか、オレには」

 口を動かす合間に荷物の脚も動かす。使われないビルの暗い廊下を荷物と進む。段差に引っかかり荷物が転ぶ。小刻みにカタカタと震える。夜と空に一際高い音が響く。人の耳を引かないか少し心配になった。

「何が不満だってんだ。稼ぎに文句でも?」

「そうじゃないけど……」

「じゃあスケジュールか。不規則だし、繁忙期は休憩のタイミングもまちまち。『お肌に悪いわ』って?」

「そーいうんじゃなくて……」

「はっきりしねえやつだな」


 そうしているうちに部屋の前に着いていた。入ると月と街の灯りが部屋を照らして

いた。荷物を隅に運んで縛っておいた。

 先に話をつけたいが、やることが一つ増えてしまった。こっちは、後回しだ。

「コーヒー飲む?」

 振り向くとすでにトラベルケトルにカップとコーヒーを用意し始めていた。やるこ

とが一つ減った。

「……ありがと。だけどそれより話の続きだ」

 パイプ椅子を開いて腰を下ろす。一二月の寒さと冷たさをパイプ椅子が尻に突き刺

してきた。

「もういいよ」

「よくねえだろ」

 コーヒーの注がれた紙コップが目の前に突き出された。

「コーヒーなくなった。新しいのある?」

「もうねえよ。買ってこなきゃあな」

 コーヒーを受け取る。手袋ごしに熱が伝わる。素手なら持てないだろう。少し冷ま

してやることにした。

「なら無しだね。残念」

 Bは空のままのカップを床に二つ並べ、ぼうっとそれを見つめていた。

「そんなに飲みたかったのか?」

 満たされた紙コップをBに向けた。

「違うよ、空っぽなのを見てただけ」

「なんだそりゃあ、頭が空っぽになっちまうぞ」

「空っぽじゃないよ頭も……」

「何が言いてえんだよ」

「別に……」

「はっきりしねえやつだな」


 苛立ちが頭と脚を揺らす。とりあえず砂糖が要るか。どこに仕舞ったか。探すために腰を上げ。

「はい」

 上げきる前に目の前に砂糖入りのスティックが突き出された。不意を討つ気回しに

こちらの勢いが磔にされる

「……ありがと。ついでに答えもくれよ」

「答え?」

「そう」

「苦い思いしたくないから」

「砂糖の理由じゃねえよ」

「砂糖の理由じゃないよ」

 ドタンと荷物が倒れた。二人とも押し黙る。冷たくて痛い無音を、熱くて荒い鼻息が追い返した。

 相手が何を言いたいかは分かっていたが、はぐらかしてきた。今までも今も、そうだったしそうしたい。だがここまでくればそうもいかない。

「もう危ない橋を渡るのは嫌」

「だったらもうお前はやらなくていいよ、拾うも運ぶもオレ一人でやるから」

「あんたにもやめて欲しい」

「だからそれはなんでだよ」

「……」

「はっきりしてもらうぞ」

 逃げるなら獲物は逃がすのが基本だが、逃げないなら相手も逃がすわけにはいかない。

「……三ヶ月だって」

「なにが」

「赤ちゃん」

 ついに捕らえた、と思った瞬間こちらも捕らえられていた。頭と体が右を左を行き

来する。が、真ん中に戻るころには覚悟は極まっていた。

「いつわかったんだよ」

「先々週の頭」

「止めるんならなんでその時に言わねえんだよ」

「今のアンタみたいになってたからかな」

「いつも一手早いな」

「アンタの足が遅いんでしょ」

「足は洗うよ」

 キョトンとした顔でこちらを見つめてきた。見つめ返さず抱きしめた。

「これからは肩を並べられるようにするよ」

 お互いの体が震えているのがわかった。外の寒さと中の熱さのせいだろう。

「二人でこれからも話し合わないとな」

「三人でしょ」

「そうだな」


 こうなってはやらなければならないことがある。これから前を向くための、今までの後始末だ。一つ減っては一つ増えるの繰り返しだ。

 部屋の隅に転がった荷物に近寄る。目隠しと口に詰めた布を外した。

「うぅ……助けてくれ……」

 泣きながらそう呻いた。ようやく話が出来るが、話したいことは変わってしまった。

「落ち着けよ社長さん、ちょっと三人で話をしようか」

「金なら出すから……頼む……」

 体と声が震えていた。寒さのせいもあるだろう。

「落ち着けって、オレらはもう危なくないよ」

「何が言いたいんだ……まさか殺すのか……」

「そういうんじゃないって」

「頼む……もうはっきりさせてくれ……」

「アンタを解放する」

 キョトンとした顔でこちらを見つめてきた。見つめ返さず抱きしめもしなかった。

「これからは後ろめたいことはしないよ」

 相手の震えが止んだのがわかった。どうしてだろう。

「これから自首してくる。悪いんだけどしばらくここに居てくれ」

「なら……開放してくれても……」

「悪いね。逃げるわけじゃないから、逃がすわけにはいかないんだよ」

「…………」

 カクンと下を向いてしまった。誰も話さない。口から漏れ出す吐息の白さが、沈黙をわずかに押し返すだけだ。

「コーヒーでも飲むか?」

 冷ましすぎのコーヒーカップを差し出した。

「…………」

 黙ってかぶり振るだけだった。もう何も言いたくないのがわかった。

「ならもう要らないね。残念」

「じゃあオレが飲むか」

 一気にカップの中身をあおる。砂糖を入れ忘れていた。苦々しい味わいが舌と胸を

突き刺してきた。

「早く行こうよ」

「そうだな」

 部屋が暗くなってきた。外を見ると街の灯りが少なくなっていた。月はもう隠れて

いた。

 飲み干した紙コップを自前のカップの横に置く。空っぽの底が三つ並ぶ。わずかな

外灯りが三つに薄い影をつくった。そのまま全て置き去りにして部屋を出た。


「刑事さんには全部がいきなりな話でしたね」

「年末に面倒な仕事させんなよ」

「今日で片がついてよかったじゃないですか」

「協力的でありがたいよどーも。明日も明後日もそうだといいけど」

「お互い来年はいいスタートが切れそうですね」

 今年最後の大仕事。それがこの上なく順調に進んでいた時だった。

「もうこの商売やめたいよ」

 刑事はオレに手錠をかけながらそう言った。きつく締めつけられる。痕がくっきり

残るだろうなと思った。

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新機一展 赤山千尋 @T-CHIHIRO

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