出兵

佐々井 サイジ

出兵

Q氏は目を開けると、マリンバを叩いたような音がくぐもって聞こえた。上体を起こすと額に何かをぶつけてうめき声が出た。腕を伸ばすと見えない壁で閉じ込められているようだった。視界の端から突然クラゲのような半透明の顔が出てきた。クラゲは表情を変えないままQ氏に数多の触手を巻き付けた。


 体を掴まれ持ち上げられたときに饐えた匂いが漂ってきて、クラゲの腕に嘔吐してしまった。怒らせてしまったのか、別の台に乱暴に載せられ頭が軽く弾んだ。クラゲの背後には青や白の交じり合った丸い星が浮かんでいた。まるで地球のようだった。いや、紛れもない地球だった。


 Q氏は月人によって地球から月へ拉致されてしまった。日本では毎年8万人の行方不明者が出ているが、そのうちの何割かは月へ拉致されている。日本人が拉致されるのは少ない方で、欧米やアフリカの体格の良い人たちが標的になりやすい。地球の各地で目撃される未確認生物は月人である可能性が高い。


 月人の触手がQ氏の耳に伸び、ピアスのようなものを装着させられた。「聞こえるか。それは翻訳機だ。東月国の言葉をお前の国の言葉に自動翻訳している」よく見るとクラゲの鼻の穴のような部分にも同じような装置がついている。あれは耳だったのか。「お前は西月国との戦地へ行ってもらう」


 月は今、北月、南月、東月、西月と別れて内戦状態だった。しかし月人の人口が少ないのでやたらと戦地に行くことができない。考えた月人は遠くに見える地球から戦える人間を調達することにした。人間ならいくら減っても国に損害を被ることはない。こうして地球人は拉致され、戦地で戦うこととなった。


 Q氏は拉致された人と共に射撃、剣術を叩きこまれた。言葉は異なるが、絶望感と帰りたい気持ちは通じ合った。「大丈夫だ」と励まし合うことだけが希望だった。しかし、恐怖に耐えられない一人が訓練場から逃げ出した。監視の月人の触手の先が尖って伸び、逃げた人間を貫いたのを見て帰る希望は捨てた。


 大きな爆撃音が貨物の中から聞こえてきた。途端に地響きがQ氏の鼓膜を切り裂いた。指示役の月人にしたがってQ氏は塹壕に潜って準備を始めた。月人の触手が上がると塹壕からわずかに頭を出し、銃口を敵に向け、練習通り発砲する。標的を確認すると銃を構えて向かい合う生物はQ氏と同じ地球人だった。


 鈍い音がして隣を見ると、アメリカから拉致されたという男が横たわっていた。ヘルメットには黒い穴が開いていた。目は焦点が定まっていない。たちまち、頭から赤黒い血が白い砂に染み込むように広がっていく。Q氏は男の肩を揺すったが応答はまるでない。涙で視界が揺れ、再び銃口を敵に向けた。


 同じ地球人がなぜ月で殺し合いをしなければいけないのか。答えが見つからないまま引き金を引いていると、向かい合った敵が後ろに飛ばされるように姿を消した。音が聞こえないように大声で叫び続けていると、頭に強烈な熱を感じて、後ろに吹き飛んだ。視界の端からゆっくりと闇に包まれていった。

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