異世界転生の権利を獲得しました

由希

異世界転生の権利を獲得しました

 鬱だ死のう。

 ……と言うのはそろそろ死語になりつつある言い回しだが、今まさに俺はそれで、この廃ビルの屋上にいる。

 何しろ勤めていた会社の社長が逃げ、給料未払いのまま倒産。それを話した途端出来たばかりの初めての彼女には振られ、口座の残高が三桁しかないまま家賃の支払日は明日に迫っている。

 いわゆる人生、詰みという奴だ。そりゃ屋上から、身も投げたくなるってもんだろう?


「……うっわ、怖」


 それでもフェンス越しに下を見れば、どうしたって足は竦む。そりゃそうだ。いくら死にたくたって、普通は死ぬのは怖い。

 痛みも感じず即死すればまだマシかもしれないけど、下手に意識なんて残ってしまったら死ぬほど苦しむ羽目になる。まあ死ぬほどと言うか死ぬんだが。


「……でもこのまま生きてたって、路頭に迷うだけなんだよなあ……」


 死ぬ勇気もなく、かと言って生きる気力もなく。どうしようもなくなって、俺が途方に暮れていると。


「おめでとうございます!」

「っうわあ!?」


 背後で突然大声を出されて、俺は思わずフェンスの向こうに落ちそうになる。あ……あっぶねえ! 死ぬかと思った!


「いきなり後ろで大声出すんじゃねえ! 危うくフェンスから落ちるとこだっ……た……」


 苛立ちと共に後ろを振り返った俺は、しかし、次の瞬間絶句していた。


 そこに、女神がいた。

 比喩ではない。本当に、ゲームに出て来る女神みたいな女がいた。


「おめでとうございます! 厳正な抽選の結果、見事、あなたに異世界転生の権利が授けられました!」

「は?」


 呆然とする俺に構わず、推定女神は完璧な営業スマイルでそう続ける。……は? 異世界、転生?

 それは、アレか。最近WEB漫画とかでよく見る……。


「今回の転生は何と! 見た目、性別、生まれに種族に所持スキル……全て事前にカスタマイズが可能! 大変お得なプランとなっております!」

「いや、あの、ちょっと待って」


 そのままガンガン畳みかけてくる推定女神についていけず、一旦制止を試みる。待ってくれ。まずは一度、きちんと状況を整理させてくれ。


「はい? どうなさいました?」

「あの……アンタ、誰」

「私ですか? 転生担当の女神です!」

「そのまんまだなオイ」


 思わずツッコミが口から出る。ここまで何も新しい情報が得られない自己紹介初めて聞いた。営業部の部長が聞いたら、メチャクチャダメ出ししてくる奴。


「えっと……その転生担当の女神様が、俺に何の用」

「ですからあなたが抽選で選ばれましたと」

「抽選って、何の」

「今ここで死ぬと、異世界転生出来る権利です!」


 オイ何つった今遠回しに死ねっつったかお前。んで異世界転生だと?

 馬鹿馬鹿しい。吐くならもうちょっとマシな嘘あっただろ。


「あ、その顔、疑ってらっしゃいますか?」

「こんなトンチキな話を鵜呑みにする方がどうかしてると思うが」

「疑り深いですねえ。それでは、私が女神だという証拠をお見せしましょう」


 そう言うと、自称女神がスッと右手を上に上げる。その、次の瞬間。


 文字通り、世界が一瞬で切り替わった。


「……っ!?」


 思わず、息を飲んだ。

 立ち並ぶビルの群れは、緑豊かな森に。冷ややかなコンクリートの床は、柔らかな土の地面に。

 見慣れたはずの世界が、ほんの一瞬で、まるで見知らぬものに様変わりしていた。


「な、何だこれ……!?」

「転生先の候補の世界の一つに、一時的に転移しました」


 て事は、これが異世界……!? こ、こんなの、ちょっとやそっとの小細工で出来る訳ない!


「これで、信じて頂けましたか?」


 俺が慌ててこくこくと頷くと、風景はまたもや一瞬で元に戻った。……信じざるを得ない。この女は、本当に女神なんだ。


「……何で俺を、異世界に転生させたいんだ?」


 改めて、俺は女神に聞いた。女神というのが本当でも、その目的が解らない。


「この世界は、人が増えすぎたと思いませんか?」

「は? 何だよ急に……」

「それは他の世界からこの平和な世界に転生したいと申し出る魂が、後を絶たないからです。何しろ大半の世界では、毎日が生きるか死ぬかの戦いの連続なんて日常茶飯事ですから」


 なるほど、一理ある気がする。そりゃこの世界にも問題は多いが、例えばモンスターとの戦いが日常の世界からしたら、実に平和で魅力的に見える事だろう。


「ですがそのせいで今、他の世界で生まれる命は減少しています。そしてこの世界もまた人が増えすぎたせいで、問題が多発しています。そこで立ち上がったのがこの、異世界転生プロジェクトです」

「異世界転生プロジェクト……?」

「他の世界の良さをこの世界の人々に伝え、希望者を新たな命として転生させる。この世界で異世界転生ものがブームになったのも、そのプロジェクトの一環です」


 マジか!? 異世界転生、この女神が流行らせたのか!? だとしたら有能すぎんだろ!


「とは言え一度に希望者を転生させてしまうと、こちらの事務処理も追い付きません。そこで「この世界から逃げ出したい」と願う魂を無作為に選び出し抽選にかけ、当選した方を順に転生させております次第です」

「つまり、俺が……」

「そうです! 厳正な抽選の結果選ばれた幸運な魂、それがあなたです! ご理解頂けましたか?」


 ……とりあえず理解と納得はした。ブッ飛んでる部分も多いが、一応筋が通ってはいる。

 けど、いきなりそんな事言われても……。確かに死にたいとは思ってたけど、さすがに今すぐには心の準備ってもんが……。


「な、なあ……それって、今じゃなきゃダメな奴?」

「申し訳ありませんが、後がつっかえておりまして。今すぐ転生しない場合権利を放棄したと見なし、また新たに抽選を行う事になっております」


 ええ……じゃあ今決めるしかないって事か。そうだな……どうせ俺の人生、もう詰んでるんだし……。


「じゃあ……えっと……死にます」

「本当ですか!? よくぞ決断して下さいました!」


 俺が了承を返すと、それまで営業スマイルを頑なに崩さなかった女神の目が爛々と輝いた。そして何もない空中からタブレットを出現させ、俺に手渡す。


「それではこちらに、どのような設定での転生をご希望か、出来る限り詳細にご記入下さい!」

「これって、何でも叶えてもらえるのか?」

「はい、何でも!」


 質問に女神が頷くのを確認し、俺はタブレットに視線を映す。決められる設定の項目はたくさんあったが、それがめんどくさい奴の為かお任せボタンまで用意されてるのが実に手厚い。

 一通り設定し終わり、最後に自由欄に一言添える。……これで、この世を旅立つ準備は整った。


「はい、終わったよ。んで死ぬって、やっぱりここから飛び降りればいいのか?」


 タブレットを返し、俺は女神に改めて聞く。


「そうですね、死に方は皆様にお任せしておりますが……痛いの苦しいのがお嫌であれば、特別オプションとして、この場で眠るように衰弱死させる事も可能です」

「何だ、それ早く言ってくれよ。そんなら衰弱死させてくれ、頼む」

「はい、かしこまりました! それでは、お手を失礼します!」


 そう言って女神は、俺の手を取り握ってきた。その柔らかな感触に、ああ、そういえば元カノはろくに手も握らせてくれなかったなあなんて、そんな今となってはどうでもいい事を思い出す。

 間もなく訪れる、強烈な眠気。体に力が入らなくなり、意識が急速に遠ざかっていく。


「それでは、良い来世を!」


 女神のその言葉を最後に。俺の意識は、一気に暗転した。



「……やはり人間とは、救い難いほど愚かですねえ」


 たった今事切れた男の遺体を、女神は、冷めた目で見下ろした。もうそこには、あの貼り付けたような笑顔はない。


 女神は男に二つ、真実を明かさなかった。


 一つは一旦転生すれば、前世の記憶は二度と蘇らない事。もう一つは彼女の提示した設定が、全て転生後の幸運の前借りにより行われているという事。

 即ち有利な設定、超常的な設定が多ければ多いほど、転生者は不運という名のツケを払う事になる。例えば不老不死を望んだならば、永遠に実験動物としての生を歩むという風にだ。

 この世界の魂の過密化は、それほど深刻なのだ。こんな詐欺まがいの手口で、異世界への転生者を募らねばならないほどに。

 女神も最初は、この手段に葛藤を覚えていた。こんなのは、命をいたずらに弄ぶ行為だと。

 しかし転生者として選出した人間の尽きる事ない欲望に触れるうち、そんな葛藤も、次第に失われていったのだった。


「さて、今回はどんな無茶振りをされるんですかね……あんまり手続きが雑多なものは、正直勘弁して欲しいんですけど」


 溜息を吐きながら、女神がタブレットの入力内容を確認する。と、その目が、驚いたように見開かれた。


「これは……この世界の普通の人間と変わらない? 自由欄は……」


 女神が画面をスクロールさせ、自由欄を確認する。そこにはただ一行、こう書き添えられていた。


『ただ穏やかに、平和に長生き出来たらそれでいい』


「……」


 ぽかんと、呆気に取られたように女神が立ち尽くす。それも束の間、堪えきれないようにその唇から笑いが漏れた。


「……っ、フフ……結構この仕事やってますけど、こんな欲のない設定初めて見ましたよ……こんな人もいるんですねえ……」


 今度は心からの笑みを浮かべ、女神はそう呟く。それはどこか、楽しげな笑顔だった。


「ええ、約束しましょう。何せあなたには、ほぼ手付かずの幸運が残っているのです。きっとこんな風に死のうなんて思わない、幸せな一生が送れますよ」


 再び女神が、男の遺体に視線を向ける。その目に、ほんの少しの慈しみを宿して。


「……それでは、良い来世を」


 男の死の直前に向けた言葉を、もう一度繰り返して。女神は、その場から姿を消した。





fin

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